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「よし、『妹やっちゃえ、今までで最高のやつをキメてやれ』」

 ぐるぐると腕を回して気合い十分な築音に、念入りに応援をかけていく。「ほいさ」と返事をした築音はその場でぴょんぴょんと二、三度跳ね、蓮太郎と一瞬のアイコンタクトを交わすと、矢のように飛び出していった。

「いっけー妹! 『お前のかわいさはソドムの火だ! バベルの塔を焼き尽くせ!』」

「ア――――ニャ、あたたたた――――っ……」


【止めろ馬鹿者!】


「――!?」

 それはひどく不快な声だった。けして大音量ではないが不思議と耳の奥に沁みとおり、それでいて脳がその伝達を拒否するような奇妙な感覚に全員が襲われる。咄嗟に剣を止めた築音は、しかし止めきれず、振り抜きかけた聖剣ハチドリは大樹の幹に半ば埋もれるように突き刺さり、止まった。

「……おい妹、今のは!?」

「わっかんない! 樹が喋ったのかな!?」

 蓮太郎たちも慌てて駆け寄る。と、築音からじゅうぶんな距離をあけて、ずしん、と何か巨大なものが落ちてきた。

【樹が喋るものか。おれだ】

「ツクネ、カマエテ、デス!」

 ウリユが警告の声を上げたそれは、一目に分かる魔物だった。というか、このフロアで幾度となく一行を襲ってきたカエルザル共の親玉であることが明らかな面相だった。すっきりと二足で直立してはいるがその全身は焦茶の体毛に深く覆われ、体高は三メートルほどもあろうかと見える。そしてその身体に比してもなお不釣り合いなほどに大きな、つるつるとした蛙に似た頭が乗っている。

「! アーニャ、ついにボス戦来たね!?」

「お、おう! 向こうからやって来るとは思わなかったが……」

 築音は幹に突き刺さった剣を抜こうともがくが、慌てているためかうまく行かない。そんな築音を守るようにウリユが前に出、友は築音を助けようと駆け寄る。が、カエルザルの親玉はその場から動かず、またあの不快な声を轟かす口を開いた。

【止めよ。お前たちと戦う意思はない】

 親玉は手こそ上げなかったが、だらりと突っ立ったままでそう言った。カエルの口はぱくぱくと開け閉めされていたが、合間には細長い舌がちろちろと覗き、とても人語が喋れるような構造には見えない。してみるとこの不快な響きは、なんらかの翻訳魔法的な作用によるものだろうか。

「戦う意思がないなら、何故現れた。何故我々を止めた」

 この中で唯一、喋る魔物にも慣れているであろうウリユが蓮太郎に並んで言った。片手には抜き身の宝剣を油断なく構えている。

【剣をおさめよ。元より貴様らに敵うとは思っておらぬ。出て来た理由はむしろ貴様らのためだ。貴様らの愚行を止めるためだ】

「愚行だと? それはこの樹を斬ろうとしたことか?」

【如何にも】

 親玉が重々しく「如何にも」などと言っているタイミングで、築音と友が引っ張っていた聖剣ハチドリがようやく抜けた。反動で折れ重なるように尻餅をついて「うきゃー」と緊張感のない悲鳴を上げる二人に、「しーっ」と麻咲が注意を促している。

 ウリユはそんな築音たちに気勢を削がれてか、ふっと息をつくと宝剣を鞘におさめた。まだ親玉とは互いにゆだんなく距離を保ってはいるが、とりあえずは話を聞こうという姿勢である。

「えーっと、あなたは」

 と、これまで傍観していた蓮太郎が、無警戒に歩み出て言った。

「あなたが、ここのボスですか? というのは、この階層の魔物たちを統率している存在か、ということですが」

【奴らは皆おれの眷属ではあるが、特に統率はしていない。おれの抜け毛から勝手に発生して、好き勝手に階層じゅうに散ってゆく】

「では、あなたが命令して俺たちを襲わせていたわけではないと?」

【無論だ。そも、ラ・スボス様を倒すほどの戦士に、おれのような階層主の残滓がかなうはずもない】

「ふむ……」

 どうやらこちらが思った以上に、親玉は事情を把握しているらしい。またウリユが代わって尋ねる。

「待て。貴様はラ・スボスを知っているのか」

【戦士よ、おれは貴様を覚えているぞ。おれはラ・スボス様によって生み出され、最深層の守護を任され、以来貴様に討ち果たされるまで、数千年にわたってその任を遂行してきたのだ】

「私は貴様を知らない。最深層の守護者は人型の魔人であったはずだ」

【この姿では分からぬのも無理もあるまい。おれの肉体は完全に滅んだが、ラ・スボス様が死んで解放された魔力がおれの精神の残滓につどい、この肉体を新たに形作ったのだ】

 言いながら、親玉はゆっくりと自分を指すように右手を胸に置いた。その仕草は不釣り合いに人間じみていて、元は人型であったことを彷彿とさせる。ウリユは毅然とうなずいた。

「わかった、そのことは置いておこう。話を戻すが、貴様は何をしに現れた。我々のためとはどういうことだ?」

【簡単なことだ】

 親玉はその蛙づらを窮屈そうにそらすと、真っ直ぐ上を指差した。

【貴様らの求める次の階層へと向かう扉、それはこの樹の天辺にある。望むのならば、案内ぐらいはしてやろう】


  ◇  ◇  ◇


 迷宮から兄妹の秘密基地へと帰還すると、日差しは赤みを帯びているもののまだ外は明るかった。誰から言うともなく一行は基地内のベンチやがらくたの上に腰を下ろし、今日の出来事について意見を言い始めた。

「やっぱり森林伐採はちょっと軽率だったのかなあ、築音ちゃん」

「んー? まあ伐採してたからこそ親玉が出てきたんだし、前には進んだんじゃない?」

「私もそう思うわ。親玉が本当のことを言ってるかどうかはともかくとして、大きな手掛かりが得られたことは間違いない」

 突如として現れた人語を解する巨大なカエルザルは特に名乗ることはなく、こちらも名を尋ねることもなく――なんとなれば、それが名を持つかどうかすら不明であったので――その代わりとして『親玉』という呼び方が定着しつつあった。親愛のかけらも感じられない呼称なのは、彼(?)の声を聴くたびに感じるえもいわれぬ不快感も影響していたであろうか。

 しかし親玉は少なくとも表面上は敵対者でなく、むしろ親切ですらあった。曰く、半球状に広がった階層のなかで、次の階層へと通じる扉はそのいちばん高くなっている天井部にある。そしてそれへの足掛かりとなるのは築音が斬ろうとした樹だけということなのだった。その言葉を信じるならば、あのまま切断に成功すれば扉へと辿り着く方法を失ってしまうところだったわけだ。

 だがもしそうなったとしても、『親玉』にとっては痛くもかゆくもないことではないのか。と問うと、彼はこんなことを言った。

【貴様らをここへ閉じ込めてもおれには何の得もない。どころか、扉を見つけあぐねて樹を根こそぎに斬られてしまってはたまらん。ラ・スボス様の呪縛から解き放たれた今、おれの望みはこの階層でのんびりと過ごすことだ。むしろさっさと次の階層に向かってもらった方が助かる】

 それならば何故もっと早くに姿を現さなかったのかと問えば、問答無用に退治されてしまうことを畏れたのだと言う。勝手に次の階層を見つけてくれるならそれで良かったが、その望みを自らの手で斬ろうとしている。そこで進退きわまってやむをえず出てきたというのである。

「……ウリユさんはどう思いました、あいつの言ってること? 一応スジは通ってるようなんですが」

「どうにも信用できんな。そもそも、奴が自分の眷属であるカエルザルを制御できないというのが眉唾だ。カエルザルを操って我々を襲わせていたが、それでは我々を排除できないと判断して自ら出てきた、という方がしっくりくる」

 ウリユの推論は、他の四人の胸にもすっきりと収まるものだった。カエルザル達の動きは本能のままというよりは、明らかに組織だった動きに見えていたからだ。

「そうだとしたら、親玉の言ったことのうち何が本当で何が嘘なのかが問題ね」

「むーん、あの樹になんかあるっていうのは嘘じゃないと思うんだよね。あたしが斬ろうとした瞬間、だいぶ泡食って出てきた感じだったし。斬られたら困るのは間違いないんじゃないかな」

「良いほうに考えれば、カエルザルに襲撃を命じてたのが親玉さんだったとしても、今は本当のことを言ってるとも考えられるよね。最初は倒せると思ってたけど諦めて、自分の巣がある樹を斬られたら困るから、さっさと次の階層に行ってもらうことにした、みたいな」

「悪い方に考えるなら単純に罠でしょうね。樹の上はカエルザル達のホームグラウンドみたいなものだろうから、トラップなり待ち伏せなり好きなようにできるでしょう」

「そしてそのどちらであるかを確かめる材料は今のところない、か。リスクを認識したうえで、奴の提案を受けるかどうかだな……」

 親玉は、樹上にあるという扉まで案内してもいい、と言っていた。さすがにすぐには決断できないので、明日返事をすると答えて今日は帰ってきたのだった。

 この問題に、蓮太郎はごく呑気な口調で決断をくだした。

「まあ、受けるしかないんじゃないですか?」

「またお兄さんは、そんな簡単に……」

「だってさ友ちゃん、この提案を蹴るとして考えると、その後何したらいいかわかんなくならない? 魔物とはいっても、話が通じるうえに少なくとも表面上は協力を申し出てきてる親玉さんを、信用できないってだけでぶった斬るのは俺らには荷が重いと思うんだよね」

「それは、殺そうとまでは思えませんけど」

 一度交渉のテーブルについた以上、決裂したからといって『じゃあ殺します』となるのはただの蛮族なのだった。

「でも、信用できないからやっぱり樹を斬りますって言ったらけっきょく敵対するだろうし、その結果殺すことになったら同じことだよね。かと言って樹には登りません森林伐採もしませんってなると、また元の不毛な調査に逆戻りなわけだし」

「一応、親玉と関係ないとこで樹登りするって選択肢もあるんじゃない?」

 麻咲が言ったが、ただ言ってみただけで自分でもそうすべきとは思っていない様子だった。かりに親玉の誘いを断って独自に樹上調査を行うことにしたとして、樹上を見張る手段がない以上、罠を仕掛けられるリスクは変わらない。

「あたしはアーニャに賛成。もしおやだまーが樹の上でなんかやってくるとするなら、目に見えるとこにいてもらった方がやりやすいんじゃない? いきなり襲ってきたとしても、正直負けそうな気はしないし」

「まあ、築音は何があっても大丈夫だろうな」

 ウリユが苦笑する。そもそも築音はこの迷宮の大ボスであるラ・スボス氏を一番初めに倒しているわけで、それ以上の敵がいないのは明白なのだった。

「ウリちゃんはもちろんとして、友ちゃんもアサちゃんも自分の身を守るぐらいはできそうだよね? となると、一番危なそうなのはアーニャなわけだけど」

「全力で守られる所存だ」

「……まあ、一番危険な伊坂くんがやる気なら、やるでいいんじゃないかしら」

 麻咲の言葉に、全員が異口同音に賛成する。

「とはいえ、油断するわけにはいかないからな。できる限りの準備はして、親玉に応えてやるとしよう」

 蓮太郎がまとめて、方針は決まった。

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