5
本格的な伐採作業は、その週の土曜日から始まった。
「それでは本日より、ラスボス迷宮第一階層の伐採を開始する。作業員諸君はくれぐれも安全第一を心掛けて作業にあたるように。ケガしても労災は下りんからな!」
「ブラックだあ~」
「労災が認められたらビックリしますよ。……ていうか何ですか、お兄さんのそのキャラは」
「友ちゃん、こういうのは形から入っていかないと。それでは皆さん、今日も一日、ご安全に!」
「「「「ごあんぜんにー」」」」
こうして放課後異世界森林伐採記が始まった。土木作業風なのは掛け声だけでなく、今日は全員が麻咲の用意したヘルメットを着用している。どこで調達してきたものやら、全て『安全第一』の標語入りである。
「じゃあ妹、準備はいいか?」
「おうさ。今宵もあたしの聖チェーンソーハチドリが環境破壊に飢えてるよ」
「聖チェーンソー……?」
首をかしげる友をよそに、築音は抜き身の聖チェーンソーを高らかに掲げてみせる。別に細かい歯がついてギュリギュリ回っていたりはしない。
「よし。ウリユさんは周囲の警戒をお願いします」
「ああ。今日もどこか剣呑な気配を感じる。油断はしないとも」
今日のために、予行演習は行ってあった。そもそも樹を切り倒せるかどうかも試してみなければならなかったし、倒したそばからニョキニョキ生えてくるようでは意味がないからだ。
そこで前日の放課後に手頃な樹を切り倒してみたところ――望んだ通りの結果が得られた。樹木は切り口から溶けるように霧散し、その魔力はウリユの宝剣に吸い取られていった。また、枝葉はもちろん切り株までもがなにもなかったかのように消え失せ、後からは何も生えてくる様子はなかった。念のため切った樹のあった場所にペグを刺しておいたのだが、その場所は今日になっても変化はない。
さらに効果を実感する出来事もあった。ここ最近は築音たちを恐れてかめっきり姿を見せなくなっていたカエルザル達が、樹を切り倒したとたん三匹も現れて襲ってきたのだ。もちろんまたたく間に返り討ちにし、樹を守ろうとしたであろう彼らの行動は、逆に伐採作戦の有効性を確信させる結果となった。
そういうわけなので今日からの伐採作業でもカエルザルの妨害は予想されることで、ウリユはむしろ生き生きとした表情で油断なく宝剣の柄に手をやっている。あてどなく森林を彷徨うよりは、襲撃に備えるほうがやる気が出るのは道理だった。
「で、友ちゃんと秋本さんは俺の護衛ね。俺は応援してるから」
「……別におかしなことは言ってないはずなのに、何故か違和感がありますね」
「その指示を胸張って言える伊坂くんはある意味すごいと思うわ」
「――よし、作業開始!」
蓮太郎は左右を後輩と同級生の女子に守られつつ、伐採作戦の開始を宣言した。
「ほいさ!」
動いたのは築音である。あらかじめ目星をつけておいた手頃な太さの樹を前に、助走の距離をとって構える。
「アーニャ!」
「おうさ。――『妹の最強伝説は今日始まる! 地上からありとある樹という樹を刈り尽くし、根絶やしにするのだ!』」
ぽうっと腕輪が輝き、光が妹に吸い込まれていく。もちろんここに来る前に、蓮太郎は全員に応援をかけてある。しかし、さすがに魔力で構成された太い樹木はその状態のウリユの宝剣や築音の聖剣をもってしても、容易に傷つけることはかなわなかった。
「『さあ行け妹、今日はひときわ輝いてるよ! 林業従事者の顔になってる!』」
そのため樹を切り倒すためには、応援の『重ね掛け』による築音の必殺の一撃が必要なのである!
「アーニャあた――――っく!!」
妹の跳躍にあわせて腕輪から発生した光がその身体を、掲げた刀身を包み、白熱させる。必殺のアーニャあたっくは、金属を裂くような甲高い音とともに大木の幹を切り裂いた。その音はなるほど、ちょっとだけチェーンソーに似ているかもしれなかった。
繋がりを絶たれた幹が傾いで他の樹々にもたれかかり、枝が折れきしむ音を聞きながら、麻咲と友はささやきあった。
「……お兄さんのあれ、本気で言ってるんですかね?」
「効いてるからには本気なんじゃないの?」
と、そんな雑談を遮るように、倒れた樹の断面から魔力を吸っていたウリユが警告の叫びを発した。それはいつもの凛々しい声ではなく、どこか調子っぱずれで――
「キマシター! タクサンデース!」
――この作戦では翻訳魔法が使えないため、この頃みるみる上達している日本語での呼びかけである。友と麻咲はどこかほっこりとしつつ警戒態勢をとった。ウリユと築音はすでにそれぞれ数匹のカエルザルを相手どって戦闘が始まっている。ほとんどは鎧袖一触に二人が片付けてくれるが、いつ抜けてこないとも限らないのだ。
「うわ、ほんとに樹切るとわらわら出てくるな……」
「謎生物だけれど、一応住みかを荒らされたら怒るぐらいの習性はあるのかしらね?」
「なんか悪いことしてる気分になりますね。……見た目がアレなんで罪悪感は湧いてきませんけど」
「可愛い猫型の魔物とかじゃなくて良かったね」
などと人間勝手なことを話していると、一匹のカエルザルがウリユの剣をかいくぐって蓮太郎たちのもとに飛びかかってくる。落ち着いて前に出た麻咲が特殊警棒を横凪ぎにして叩き落とすと、友が木刀を振り下ろしてトドメを刺した。
「お見事、友ちゃん。追加の応援いる?」
「見ての通りですので、いりません」
「私には聞いてくれないのね、伊坂くん?」
「……いや、俺は秋本さんのこともちゃんとかわいいと思ってるんだよ? ホントだよ? なのに
「いいのよ伊坂くん、分かっているから。分かっているからいくらでも本音で話してくれていいのよ?」
「分かってない人の言うことだよねえそれ!」
こうして、ちゃくちゃくと伐採作業は続いていく。
「『いいぞ妹! 環境を破壊するかわいさ!』」
「アーニャあたーっく!!」
「『そこだ妹! その微笑みは砂漠化を呼ぶ!』」
「アーニャあたーっく!!」
「『ひょっとして地球温暖化も妹のかわいさのせいなんじゃないか!?』」
「アーニャあたーっく!!」
「……大丈夫築音ちゃん? お兄さんにイラっとしてない?」
「ほへ? なんで?」
思った以上に作業は順調に進んでいき、築音は小休止をとっていた。外したヘルメットを脇に挟んで汗をぬぐい、友から手渡されたペットボトルの中身をうまそうに飲む。
「築音ちゃんは大物だなあ。わたし途中から応援してるのか馬鹿にしてるのか分からなくなってたよ」
「アーニャは昔から、あたしのことになるとちょっと何かおかしいからね!」
「だいぶおかしいよね。築音ちゃんのことだから大丈夫だと思うけど、もしお兄さんに変なことされたらわたしにすぐ相談してね?」
「友ちゃんの俺に対する信頼が日に日に下がっていくんだけど」
「上がる要素がないもの。せめてあななたたち兄妹の授かったのが、剣と腕輪逆だったらね」
麻咲がため息まじりに言う。
「逆かあ。――アーニャ頑張って! アーニャの剣が世界を救うと信じて!」
「妹アターック!」
「それはそれでドン引きですね」
友がくすりと笑う。
「そもそもデスクちゃんの『アーニャあたっく』だってあれ毎回言わなきゃいけないの?」
「デスクちゃんやめ! なんかあれ叫ぶと、フワっとしてるアーニャの応援がギュッ! て剣に込めれる気がするんだよねー」
「ちゃんとした理由あったんだね……」
和やかに四人が談笑していると、周囲を警戒してきたウリユが戻ってくる。そして頓狂な日本語で、
「ダレモ イナイデスネー」
と言ったものだから、四人はますます気が抜けて笑い声をあげた。
ウリユは苦笑しながら蓮太郎の手をとり、腕輪に手をそえた。
「そう笑うな。……魔物の気配がないとはいえ、気が緩みすぎだぞ」
「すいません。――カエルザルはもう打ち止めですかね?」
「この辺のはそうかもしれん。まあ、魔力が残っている限りまた湧いてくるんだろうが」
そう言ってウリユが振り返った先には、樹が減ってずいぶんさっぱりした森が広がっている。二本に一本ぐらいの割合で残すようにしているので平地になってはいないが、それでも視界がよくなり、かなり遠くにある入り口の扉が見えた。カエルザル達は樹を切り始めた最初こそさかんに襲撃をしかけてきたが、徐々に数を減らし、今は気配もない。
築音がウリユの腰にある宝剣を覗き込むようにして尋ねる。
「いっぱいカエルザルも斬ったし、でっかい樹のぶんも吸ったし、ウリちゃんの剣もそろそろ満タンになった?」
「いや、微々たるものだよ。樹は大きく見えるが、魔力としてはカエルザル共の半分も詰まってないようだ」
「へえ、スカスカには見えませんけどね……不思議」
友が傍らの樹の幹を叩きながら言う。
「不思議と言うなら斬ったカエルザルや樹が消えるのも、この場所じたいだってそうよね。不思議なりに法則があるのが素晴らしいわ」
麻咲は満足げにしていたが、ついと真面目な顔になって、
「だけどそうなると、この方法もけっきょくそれなりに時間はかかりそうね」
と、目の前に鬱蒼と広がる森をながめわたして言った。蓮太郎も頷く。
「そうだな。妹への応援もネタ切れになりそうだ」
「……毎回変える必要あるんですか?」
「時間がかかるのはしょーがないじゃん。あたしは別にいいよ、単にうろうろしてた時と比べれば数段こっちのが楽しいし」
あっけらかんと言う築音に、ウリユが微笑んだ。
「そうだな。少なくとも、ここにある樹を刈り尽くすまでは目標がなくなることはない」
「さすがに刈り尽くすまでやったら妹もうんざりしてるでしょうけどね……。さてじゃあ皆、一定の成果もあがったということで、今日はこれくらいにしとくか?」
蓮太郎が言い、それぞれの顔ぶれは異存ないと頷いた――かと思いきや、築音がひとり大きく手をあげた。
「はいはーい! アーニャ、せっかくだからもう一本だけ斬ってかない?」
「なんか気になる樹でもあるのか?」
「気になるっていうかね――」
と、築音は樹々の奥にスタスタと歩いていく。一行がなんだなんだと後をついていくと、築音は一本の樹の前でその幹をぺたんと叩いて言った。
「これ! こいつ試しに斬ってみようよ!」
「築音ちゃん、さすがに……」
「これはまた……立派ね。外にあったら自然遺産ものだわ」
それはひときわ立派な巨木であった。ここにいる五人で手をつないでも取り囲めないほど太く、節くれだった幹を見上げても枝葉に覆いかくされてどれほどの高さまで伸びているやら見当もつかない。麻咲の言う通り、外の世界なら由緒正しき御神木として大事に保護されていそうな威容をほこっていた。もっともこの階層にはそのレベルの巨木が他にも何本もあるのではあったが、それでも最も巨大な樹のうちの一本ではあろうと思われた。
「これ斬りたいの? 何ともまあばち当たりというか自然破壊というか贅沢というか。てか斬れるのか? これ」
「わかんないから試してみたいんじゃん。それに森林伐採の締めくくりにふさわしい大きさでしょ。今日という日のランドマーク、みたいな!」
「斬ったら無くなるんじゃないかな、そのランドマーク」
これまではわりと斬り易そうな樹を選んで伐採してきたこともあって、蓮太郎たちの表情は懐疑的だった。が、意外にもウリユはこの築音の提案に賛意を示した。
「試してみてもいいのではないか? もしこれが斬れるならば、今後も『あーにゃあたっく』で築音が斬れない樹はないということになるだろう」
「あーにゃあたっくってウリユさんの口から出ると、何か申し訳ない気分になりますね……」
「確かに、現状の伐採力を測るにはちょうどいいのかもね。斬れなかったら斬れなかったで、早めに対策を練る必要があるわけだし」
「でしょー! うさぎにつの、いっちょやってみようよ!」
「妹、それ兎に角(とにかく)って読むんじゃないか?」
「相変わらずお兄さんはよく分かりましたねそれ」
うさぎにつのやってみることになって、一行は準備に取り掛かった。準備といってもこれまでと変わりない。周辺を見回り、築音の助走路と斬る方向を決め、樹の倒れてくる方向を予測して、蓮太郎たち非戦闘員は他の樹の陰に避難する。相手が巨大になったからといって、せいぜいその安全マージンを大きめに取る程度の差しかなく、準備はすぐに整った。
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