3
ペグ差し迷宮探索が始まって一週間が経った。
蓮太郎たちは毎日欠かさず迷宮探索に赴いていたが、代わり映えのない成果が続いていた。代わり映えがないとはいっても迷宮探索であり、散発的にではあるがカエルザルの襲撃も続いている。新しい愉快な仲間である麻咲を迎えた直後でもあり、刺激的な毎日ではあった。
とはいっても、成果が上がらないと焦りのようなものも生まれてくる。
迷宮第一層――または最下層の森林エリアは、最初に端まで辿り着いたときに覚えた印象の通り、おおむね円形かつドーム状の構造になっているようだった。スタート地点の扉はだいたいその中央に位置していた。森歩きに慣れてくるとそれほど広くは感じない程度の大きさで、途中一度買い足したペグは森の至る所に刺さっており、探索のおりに見つけて「ああ、ここはもう来たところだったか」なんてことも珍しくはなくなっていた。
そうなると似たような景色ばかり続くこともあり、徒労という言葉も頭に浮かんでくる。また遮蔽物の多い森の中では、たとえペグが刺さっている場所にしろ、近くに見落としている扉がないとも限らない。直線で動き回るには広くない森林エリアも、虱潰しにするには広すぎた。漫然と歩き回るだけでは、永遠に何も見つかりそうにないという気分になっていた。
「さようなら、伊坂くん」
「うん、じゃあねー」
そんなある日の放課後である。蓮太郎はいつものように声をかけてきた麻咲を見送ると、鞄を肩にかけて立ち上がった。友人のもとに顔を向けると、これまたいつものように麻咲とのやり取りをジト目で見守っていた鳩間と目が合った。
「おうハト」
「なんだよ隠れ彼女持ち」
「女子に挨拶しただけで彼女がどうとか、さすがに純情すぎるんじゃないか? 昭和か?」
「ちがわい! お前の場合はいろいろと……アレだろうが!」
うまい言葉が見つからなかったのか、鳩間は雑に突っ込んだ。まあ蓮太郎も、自分を取り巻く環境はここ最近ずいぶんいろいろとアレになったもんだなあと思ってはいる。
「付き合ってるかどうかは知らんけどよー、なんかあんのは絶対なんかあんだろ。聞いても教えてくれないしよ。どーせ今日も、なんか俺らにはよく分かんないアレがあるから早く帰るって言うんだろ!」
何やらいじけはじめた鳩間に、蓮太郎は苦笑する。鳩間の言う通りこの頃は何をおいても迷宮迷宮で、友人たちには不義理をしてしまっていた。
「いや、今日はアレはなしだよ」
「お……?」
「なんで、どっか寄ってかないか? 鯖さんも一緒に」
「お、おー。そうかそうか! しょーがねえなあ、付き合ってやるよ! 鯖さん、鯖さんも来るよな?」
一転して嬉しそうな鳩間に呼びかけられて、離れた場所でこちらの会話を伺っていた鯖さんも、こっくりと頷いた。
迷宮探索は行き詰まりを見せており、思うように進まないと疲労も溜まってくる。このまま行き当たりばったりな探索を続けても状況は改善しそうにない、ということで、蓮太郎たちは迷宮を発見してから初めての休みを取ることにした。肉体精神ともに疲労を抜き、また攻略法についてそれぞれじっくり考えてみよう、という趣旨だ。
というわけで、今日は迷宮はオフ。しばらくぶりの野郎だけでの放課後である。
三人でやいのやいのとやりつつ(といっても、うち一名は無言であるが)、辿り着いたのはけっきょくナナタウン内のファストフード店――は混んでいたので、ナナタウン外の寂れた喫茶店に入った。先週泣きだした麻咲を連れて入った店だ。扉をくぐる際にそういえばと確認した店名は『おしゃれ泥棒』であった。盗んできたおしゃれをどこに片付けてしまったのだろうか?
「こんにちはー」
会釈するマスターに挨拶しつつ、先日と同じ窓際の席に座る。他の客はこれまた前と同じ、カウンター席の奥でクロスワードパズルを解いているおじいさんだけだった。まるで同じ時間が繰り返し流れているかのようであった。
「お前、よくこんな店知ってんな。なんつーかこの……年季の入った」
「いいだろ。オススメはナポリタンだ」
マスターの手前『ボロい』を『年季の入った』と言い換えた鳩間に、蓮太郎は常連ぶって言った。
「ナポリタンか、晩メシ前にはちょっと重くないか? 他には……」
「オススメはナポリタンだ」
「いやでも、こっちに軽食のメニューが……」
「オススメはナポリタンだ」
「……」
「オススメは」
「わかったよもう! すいません、ナポリタン三つ!」
鯖さんにポンと肩を叩かれ、鳩間が折れた。マスターは満足げにうんうんと頷いて、調理済みのナポリタンソースを温めにかかった。
「確かに意外とうまいなこのナポリタン……むぐむぐ」
驚くべき早さで出てきたナポリタンを三人で啜る。鯖さんの表情も心なしか満足気である。
「むぐ……ふう。さて、今日こそは話してもらうぞ。秋本さんとの禁断の関係をよぉ」
「別に禁断でも何でもないけど……どう話したもんかな。とりあえず、付き合ってるとかそういう話ではないんだ。マジで」
「なんだ……まあ、そうだろうな」
どうやら本気で彼氏彼女の関係とは思っていなかったらしい鳩間がつまらなさそうに言う。
「じゃあ、何で急に仲良くなったんだ?」
「仲良くなったかどうかも微妙なとこなんだが……そうだな、秋本さんが急に、一緒に帰ろうって言いだしたことがあったろ」
「そうそれ。あれ何だったの?」
蓮太郎は嘘にならない範囲で、話せることだけ話していくことにした。
「あれさ、その前に俺が腕輪つけてきてたじゃん」
「全教科の先生がお前の腕引っこ抜こうとした事件のやつな」
「その事件については思い出したくない。とにかくその腕輪を、どういうわけか秋本さんが気に入ったみたいなんだな。その……デザインを」
「あのゴツい腕輪の?」
「俺にもあまり理解できんが、そのへんの好みは人それぞれだろ。で、あの日の帰り道に、腕輪を譲って欲しいって言われたんだけど、一応貴重なものだからって断ったわけだ」
「断ったのか。あの腕輪、爺ちゃんの倉から出てきたみたいな話だっけ? 形見とかそういうのだったり?」
「別にそういうわけじゃないんだが、まあ俺の一存で上げられるもんでもなかったって感じだ」
「ふうん……で?」
「終わり。秋本さんは『そう』とかなんとか言って帰った。そんだけ」
「そんだけ?」
「そんだけ」
「……その後は? 接点ナシかよ」
「……一応、たまたまナナタウンで会ったときに話したりとかは、まあ」
少し悩んだが、今後一緒に行動しているところを見られる可能性もあるので、齟齬が出ないようそう答えると、
「何だ、やっぱり会ってるんじゃないかよー!」
鳩間はなぜか嬉しそうだった。
「つまりこういうことか。腕輪の件をきっかけに仲良くなった。今はちょっとしたデートもどきを繰り返しつつ、さらに仲を深めて次の段階に進もうとしている……と」
「結論だいぶすっ飛ばしたなあ。別に次の段階もなにも無いし、そもそも仲良く……仲良くなったのかなあ?」
見当外れな鳩間の解釈だったが、蓮太郎にとって麻咲との関係をあらためて意識する機会ではあった。仲間であることは間違いないが、仲良しかと聞かれるとどうなのだろう。応援――増幅魔法をかけたときに無言で睨みつけてくる麻咲を思い出して、蓮太郎は首をかしげた。
「……なるほど。もっと仲良くなりたいけど思うように行ってないと。そこで今日は親友である俺と鯖さんにナポリタンを奢って、アドバイスを聞きたいと。そういうわけだったんだな」
「いや奢らねーよ。ただでさえ今月は貢ぎまくって金欠なんだぞ」
「お前……秋本さんにいきなり貢ぎまくってんの? 哀れすぎない?」
「いや、貢いでるのは妹にだ」
「なんで!?」
つい言わなくてもいいことまで言ってしまった。金欠なのはむろん、妹とウリユのバトルコスチューム作りに出資したからである。
「……なんでだろうなあ。昔から妹にねだられると、嫌とは言えなくてなあ」
とはいえこれも事実ではある。
「まあ、わからんでもないな。お前の妹ってこないだ教室に乱入してきた、築音ちゃんだろ。ちょっと変わってるけどかわいい子だったよなー。俺もあんな子にお兄ちゃーんとか言われたら貢いじゃうかもな~」
「鳩間、妹いないだろ」
「いないよ、ねーちゃんが一人だけ。なんで?」
「妹に幻想を持ってるのは妹のいない奴だけだからだ。実際の妹はお兄ちゃーんとか言わない」
「なんて言うんだよ」
「アーニャ」
「それはお前んとこだけな?」
「だよな……」
肩を落として見せつつ、アーニャ呼びはこれであんがい気に入っている蓮太郎である。なんであっても、妹のオリジナルではあるので。
と、いつの間にか妹談義に花が咲いていると、こつ、と机を叩く音がした。見ればいつの間に頼んだのか(というか一言も喋らずにどうやって頼んだのか)食後のコーヒーを嗜んでいた鯖さんである。蓮太郎と鳩間が注目すると、鯖さんはわざとらしくため息をついて、肩をすくめて見せた。鯖さんはめったに喋らない分、動作が大げさなのだ。
「ん、おお、どうした鯖さん。鯖さんも妹には一家言持ちか?」
分かっていない鳩間に、鯖さんは可哀想なものを見るような眼を向ける。眼で語るのも鯖さんの得意技である。付き合いの長い蓮太郎は、鳩間のために鯖さんの言いたいことを通訳してやった。
「鯖さんはこう言ってるんだよ。『アホ鳩、テメーはこの潰れかけの喫茶店くんだりまでわざわざ妹談義しに来たのか? 脱線してんじゃねーよボケが、死ね』と……」
「鯖さんの心の声そんな口悪いの?」
いきなり罵られて抗議する鳩間だが、鯖さんはすまし顔で否定も肯定もしない。細かい部分はともかく、大筋では鯖さんの言いたいことはこんな感じのはずだ。そして鯖さんは細かいことは気にしない男なのである。
「……まあ、話を戻せって言いたいわけだよな。何だっけ、蓮が秋本さんともっと仲良くなるにはどうすればいいかって話だっけ?」
「そこまでお前が一方的に話を進めてただけだけどな。……まあ、仲良くなりたいってのは間違ってないが」
蓮太郎は積極的に肯定はしないながら、本日の議題の落ち着くところとしては穏当な結論だと思った。仲間になった以上仲良くしたいのは嘘ではないし、これなら今後麻咲と一緒にいるところを見られることがあっても、「二人のおかげで仲良くなったんだよあはは」という体でごまかせるだろう。
「なんだよ、やっぱり間違ってないんじゃないか。まあ秋本さん、何考えてるか分かんないとこあるけどめっちゃ美人だもんな。お近づきになりたい気持ちは分かる、分かる」
といえ、なんでこいつはこんなに嬉しそうなんだろうか、と目の前の鳩間を見て蓮太郎は思った。
「しかし秋本さんと仲良くなる方法……改めて考えるとスゲー難問じゃね? 男女問わず無視されて撃沈してるとこしか見たことないし」
「無視はしてないだろ。何言われても『そう』とか『ええ』みたいなことしか言わないだけで」
「あんま変わんないんだよなあ。二文字しか喋らない奴とどーやって仲良くしろと」
「……ひと文字も喋らない奴がお前の隣にいるんだが?」
「そうだった! 鯖さん、同じ喋らない系キャラとして、なんかいい方法ないか?」
鳩間に話を振られた鯖さんは、自分の性格を勝手にカテゴライズされたことにどこか不満げにしつつ、頷いて鞄からスケッチブックを取り出した。鯖さんはめったに喋らないので、代わるコミュニケーションツールとしてよく筆談を用いるのである。
「えーとこれは、蓮? と、秋本さんか。ふふっ、相変わらず無駄に上手いな」
さらさらとペンを走らせる鯖さんの手元をのぞき込む。そこには簡素ながらよく特徴を捕らえた蓮太郎と、並んで立つ麻咲の姿が描かれていた。そう、鯖さんはどういうわけか文字もめったに書かないため、筆談も絵でするのだ。
ちなみに麻咲の絵は、蓮太郎も見るなり「ふふっ」と笑ってしまった。妙に似ているうえ、絵の麻咲は口がまんま「へ」の字で、むっつりと不機嫌そうなところが本人そっくりだったからだ。
「で、二人が歩いてるところに……これ、俺か? 俺だな。俺が登場して……」
さらに書き加えられた鳩間は見るからに下卑た表情だったので、蓮太郎はピンときて台詞をつけた。
「『お? ニイちゃんよぉ~、可愛い子連れてんじゃねーか』」
「え? 俺そんな役?」
鯖さんはうんと頷きつつ、すごい勢いでペンを走らせていく。次の絵は鳩間が嫌がる麻咲の腕を引いていくところだった。今度は鳩間がなんだかんだノリノリで本人役の声をあてていく。
「あー。『そいつ妹に貢ぎまくってるシスコン野郎だぞ。そんな奴とっとと見切り付けて、俺とイイことしようぜ?』って感じか」
「さりげに効果的な事実を暴露するのはやめろ」
本当に見切りをつけられそうである。とはいえ、こうなれば次の絵もだいたい想像がつく。俺が颯爽と鳩間をぶちのめして麻咲を取り返し、『覚えてろよ~』『伊坂くん強くて妹を大事にしててステキ!』となるのだ。いや、そうはならんけど。
……と思っていたのだが、次の絵では鳩間が麻咲に関節をキめられて泣き叫んでいた。
「『痛ァ~い! ギブギブ……』って何で俺秋本さんに負けてんの!?」
「いやでも確かに、普通に負けそう」
「俺も勝てる気しないけども! でもそういう流れじゃなくなかった?」
だが麻咲の行動はそれだけでは終わらない。鳩間の腕をへし折った麻咲はやおら立ち上がると、振り向きざまに見事なローリングソバットを決めた。……蓮太郎に。
「『ぐばぁっ!』……いや何で俺も!?」
「シスコン野郎死ねってことじゃないか?」
「ハトのセリフ効いてる!」
最後の絵、鳩間の腕を折り蓮太郎の顎を砕いた麻咲は、二人の身体を踏みしめて天に拳を突き上げている。その表情は最初とはうって変わって、満面の笑みをたたえていた。
「秋本さんいい表情してんなあ……」
「確かに秋本さんは笑顔になったけど、趣旨外れてない?」
だが鯖さんは満足げであった。
「おーい鯖さ~ん。ある意味リアルだったけど、これ蓮と秋本さんをくっつける会議だろー?」
「いつの間にか仲良くなるがくっつけるになってる」
「なんだよ、くっつきたいから仲良くするんだろ? くっつくのとくっつかないのとだとくっつきたいだろ?」
「くっつくのとくっつかないのとだと別にくっつきたくはないんだけど」
「嘘つき! 蓮は嘘つきだぞ! 鯖さん、なんとか言ってやれよ~」
ゆさゆさと鳩間は鯖さんを揺さぶる。なんとか言ってやれとは、年に一回ぐらいしか喋らない人間に言うことではない。鯖さんはしばらく迷惑そうな顔で揺すられていたが、やがて面倒くさそうにスケッチブックをめくった。
「お、思いついたか? どれどれ」
大儀そうな動作のわりに、鯖さんのペンのタッチは機敏だった。これまでの全体がデフォルメされた絵柄とは違い、少女漫画チックに眼をキラキラさせた麻咲の姿が描かれる。その頬は赤く染まり、脇にはおそらく蓮太郎のものという設定の腕が描き込まれていた。
「壁ドンかー、これも王道だよなあ~」
鳩間の言葉に鯖さんは首を振ると、さらにページを捲って今度は別アングルの絵を描きはじめる。
「え、壁ドンじゃないの? ……あれ、まさかの床ドン? ていうか押し倒してない?」
次のページには先ほどは描かれていなかったベッドが背景に現れ、足の長さ三割増しで描かれた蓮太郎が腕をついて麻咲を押し倒していた。ぎゅっと目を瞑っている麻咲。そんな麻咲の胸元のボタンに蓮太郎は手をかけ……。
「ちょ、ストップストップ鯖さん! いくらなんでも仲良くしすぎじゃない!?」
鳩間の制止を気にも留めず、鯖さんの手は快調に動き回り、今では完全に成人向け指定な領域に踏み込みつつあった。蓮太郎はそれを見つつ、鯖さんはエロい絵も描けるんだなあ、と感心するいっぽうで、一連の絵から何かひらめきのようなものを感じて思わずつぶやいた。
「そうか、なるほど……。そういうのもありか」
「なしだよ? おい蓮、念のため言っとくけど、これは参考にしたらダメなやつだからな?」
「いや、すごく参考になったよ。なんかうまく行きそうな気がしてきた」
「絶対ダメだぞ!? おい鯖さんやめろ、鯖さんのせいで蓮が性犯罪者になりそうなんだが! あ、でも描くのはやめないで描き終わったらちょうだい!」
興が乗ってきたのかむくむくとエロい絵を描き続ける鯖さんと、その横で何やらわめきたてている鳩間を尻目に、蓮太郎は浮かんできたアイデアに手ごたえを感じていた。
押してダメなら押し倒せ、暴走には暴走を。もしかしたらそういうことなのかもしれない。
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