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「『誰より豊かな無表情! 愉快な秋本さん!』」
「キャッチコピーみたいに言うのやめてくれない?」
無事全員に増幅魔法をかけ終わり、蓮太郎たちは第一層、森林エリアに足を踏み入れた。お馴染みの、開けた草原の中にぽつんと扉が浮いている空間である。
「さて、今までは扉の周りをちょっと回ってみるぐらいだったけど、今日はなるべく奥まで行ってみようと思う。その分カエルザルも多くなる可能性があるから、不意打ちにはくれぐれも注意しよう。事前に決めてた通り、誰かがちょっとでもケガしたらすぐ帰るからな」
カエルザルというのはこの階層に出てくる蛙面獣身の魔物につけた通称で、築音が言い出したのがいつの間にか定着している。特にリーダー役を決めたわけではないが、なんとなく蓮太郎が注意事項を確認していき、四人は真剣な表情で頷いた。
「あと魔物と同じぐらい気を付けないといけないのが遭難なわけだけど……秋本さん、どう?」
「コンパスはダメね」
「やっぱりかー」
と差し出されたコンパスは、グルングルン回っている、みたいのを想像していたが、その真逆でへたりと元気なく傾いていた。麻咲が揺するように動かすとそれに合わせて針も回る。友が興味深げに覗き込んだ。
「磁力じたいが存在してないんですかね?」
「さあ。なんにせよ役に立ちそうにないわね。目印を残しながら進むしかなさそう」
「樹に傷をつける、とかの方法じゃダメなんだよね」
「試しに傷つけてみるのは別にいいぞ。ただ、魔力で出来てる樹なら傷なんてすぐ治っちゃう可能性があるからな。というわけで、俺がペグ係をやる」
蓮太郎はポケットから大量のカラーペグを取り出して、そのうち一本を足元に刺した。これも事前の相談のうえ、百円均一ストアで買ってきたものだ。ちゃんと刺さることを確認して、蓮太郎は頷く。
「よし。とりあえずはなるべく真っ直ぐ、いける所まで行ってみよう。カエルザルと戦闘になってもできるだけ動かず、逃げる奴がいても追わないように!」
「おー!」
築音が腕を振り上げ、皆それに「おう」だの「うー」だの「うぇー」だのと続く。一行は隊列を組んで、森の中に足を踏み入れた。
鳥も虫も姿を見せない森の中はやはり静かだった。がさりがさりと、背の低い草を踏んでいく音だけが響く。時折蓮太郎が声をかけてペグを刺す以外では止まることなく、しばらくはスムーズに進んでいった。
「……ねえ伊坂くん、私思ったのだけれど」
「ん? 秋本さんなんか気づいた?」
振り向くと、麻咲はゆっくりと首をめぐらせて全員の隊列を眺めた。どういう隊列かというと、右前方に築音、左前方に友。左後方にウリユ、右後方に麻咲。――そのど真ん中で四人に守られているのが蓮太郎という隊列である。
「これ、めちゃくちゃ情けない隊列だと思わない?」
「思ってるから言わないで? 仕方ないじゃん俺だけ戦闘能力ないんだから! 俺だって逆オタサーの姫みたいだなと思ってたよ!」
唯一戦闘能力を持たない支援要員を他の全員で守るのは当然の戦術である。が、当然だからといって情けない見た目であることには違いないのだった。
「アーニャ、しーっ。迷宮の中なんだから」
「お、おう、すまん!」
慌てて口を閉じる蓮太郎。とあわせて全体の足が止まり、瞬時全員の意識がすべて周囲に向く時間ができる。その時間の中、聴覚が強化されている四人――蓮太郎以外は同時に、樹上にかさりと動く気配を感じ取った。
「上だ!」
「友ちゃん!」
「うん!」
一瞬のうちに警告の声が交差し、その声に急かされるように一匹のカエルザルが樹から飛び降りてくる。それは左前方、ちょうど友が守る方角だった。
「え、えいっ!」
カエルザルがこちらを襲ってこようとしたのか、逃げようとしたのか――それを見極める間もなく友が一足跳びに肉薄し、武器を振りぬく。
それだけでカエルザルは「クェペッ」とかなんとか悲鳴をあげて面白いように吹っ飛び、数メートル離れた木肌にぶつかってはじけ飛んだ。
「……友ちゃん、つっよ」
「わたしも増幅魔法がこれほどとは……、築音ちゃんこの木刀、実は聖剣だったりする?」
「それアーニャが宮島で買ってきたやつだよ」
武器のない友はとりあえず護身用にと、昔蓮太郎が観光地で買ってきて秘密基地で埃をかぶっていた木刀を持たされていた。だが特盛りの増幅魔法を受ける友にあってみれば、護身用どころではない威力を発揮するらしい。
「増幅魔法は持っている武器にも効くのかしら。楽しみね、私の方にも早く来ないかしら?」
じゃきん、と麻咲が振るうのは、どこで調達したやら黒光りする特殊警棒である。他の二人の獲物が真剣であることを考えると、蓮太郎はカエルザルが最初に襲ったのが友であることも分かるような気がした。
「……とりあえず、守られる身としては頼もしいことこの上ないよ」
「アーニャも一応なんか持っといたら? ポーズだけでも」
「俺にはこのペグがあるから」
「それは何とも主人公らしい装備ね」
麻咲の皮肉を聞き流しつつ、蓮太郎は足元にピンク色のペグを刺し込んだ。
魔物と戦ってみたいという麻咲の望みは、その後すぐに叶えられることとなった。再び歩き出して五分としないうちに、今度は隊列の右後方から、二匹のカエルザルが真っ直ぐ麻咲に向けて突っ込んできたのである。まるで、友に続いて全員の戦力を確かめようとでもしているかのような、迷いのない動きだった。
すぐさまカバーに入るウリユに、「一頭は任せて」と麻咲は警棒を構えて前に出た。ちなみに翻訳を通さないこの言葉はウリユには通じなかったはずだが、ウリユは空気を読んだ。一匹を瞬く間に切り捨てると、もう一匹からは距離をとった。こうして、麻咲とカエルザルとの壮絶な戦いが始まった。
「はあ、ふう……。やっと消えたのね」
肩で息をする麻咲の前で、カエルザルが光の粒子に変わっていく。それを見つめる麻咲は無傷である。一発の攻撃も掠ってすらいないのだから当然だった。
では何が壮絶かというと、少女が特殊警棒で怪物をタコ殴りにする、その絵面であった。麻咲は恨みがましく蓮太郎をにらんで言った。
「友ちゃんの時は、あんなにスマートに消えたくせに……」
「アーニャの露骨なえこひいきだねえ」
「好きでえこひいきしてるわけじゃないんだが。やっぱり応援の効果にだいぶ差があるみたいだなあ」
友への増幅魔法だけ光がやたら強かったのは、単なるエフェクトだけの話ではないらしい。まあ、みんなそうだろうと思っていたことではあったが。消えていくカエルザルから宝剣で魔力を吸っていたウリユが戻ってきて、蓮太郎の腕輪に触れる。
「やはり魔物の相手は、私たちに任せてもらった方が良さそうだな。麻咲も身を守れるだけの力はあると分かっただけで良しとしよう」
と慰めるように言うと、麻咲は素直に頷いた。
「そうね、正直、人間大の生き物を一方的に殴るのは気分のいいものじゃなかったし」
そのことに喜びを見出す麻咲でなくてよかった、と蓮太郎は思った。正直見ている側としても愉快なものではなかったので。
無限に広がるかに思えた大森林は、唐突に途切れた。
「……行き止まりか?」
「んだねえ」
突如現れたその壁を、築音がぺちぺちと聖剣ハチドリで叩いている。壁は、根とも枝とも幹ともつかない、無数の植物からなっていた。互いに絡まりあいながらみっしりと詰まった植物の壁が、大森林を取り囲むように延々と続いている。上を見上げると覆いかぶさるように伸びており、ドーム状に樹々を覆っていることが想像される。
「アーニャあたーっく」
おざなりな掛け声とともに築音が聖剣ハチドリの一撃を加えると、根とも枝とも幹ともつかないソレはたやすく切り裂かれる。が、それだけだった。切り裂かれた奥にはそれらが同じだけの密度でやはりみっちりと詰まっているのだ。
「なんだか、思ったより狭い感じがしますね」
「樹の規模からすると、そうよね。普通の森ではないのだから、そんなものと言えばそうなのでしょうけれど」
探索を始めて一時間。戦闘をしたり周囲を警戒しつつペグを刺したりしながらの行軍だったことを考えれば、急げば三十分もあれば到達できそうな距離だった。
「そうだな。この森も迷宮の魔力からなる以上、無限に広がっているはずもない。むしろただの迷宮のいち階層がこの規模になっていることが驚天動地というべきだ」
手触りを確かめるように壁に触れるウリユに、蓮太郎が尋ねる。
「普通の迷宮はもっと狭いんですか?」
「というか、既に私の知っている迷宮とは違いすぎてな……。知識があてになりそうにないので、途方に暮れていたところだ」
と苦笑する。
「普通の迷宮というのはつまり、迷宮主が作った迷路だ。迷路だからとうぜん路(みち)がある。路には袋小路や探索者を惑わす仕掛けもあるが、必ず正解というのもある。その正解を探り当て、次の階層へと続いていくのが常識的な迷宮というものだ」
「迷宮主? はどうして正解を作る必要があるんでしょう? 引きこもるんだったら、全部の道を塞いじゃったほうがいいんじゃないですか?」
とは、友らしい疑問だった。すかさず迷宮には一家言ありそうな麻咲が割り込む。
「それは、迷宮というものが存在する目的にかかわるのではないかしら? ただ迷宮主が引きこもるために作るものだとは思えないわ」
「そうだ。迷宮は城塞や砦といった防衛施設とは根本的に違う。魔法力学的に言えば、そういった迷宮の構造自体に意味がある。専門的な話は省くが、要はそういった迷宮構造を通じて迷宮主は魔力を集めることができるんだ。得た魔力をどうするかは迷宮主次第だな」
蓮太郎はかつて(妹が)倒した迷宮主ラ・スボスのことを思い浮かべた。ここは数千年の歴史を持つ迷宮だという話だったが、彼は長年にわたって集めた魔力を何に使っていたのだろうか。ただ只管自らの強化に使っていたのか、それとも。
「あ、そっか。その迷宮主がいないんだ」
築音の言葉に、ウリユが肩をすくめた。
「そうなんだ。迷宮主が倒され、かつ魔力が失われず暴走した迷宮など構造を予測しようがない。こんな風に――」
と、ウリユは周囲の樹々を指し示す。
「ただ無秩序に広がった森に路も何もありそうにない。思ったより広くないなどとは言うが、この中から次の階層への扉を見つけるとなると、なかなか骨だぞ」
「そもそも、そんな扉あるのかな?」
「ある。……と信じたいな。迷宮の構造上必ずあるはずなんだが」
「ここに来るときの扉みたいに、虚空からニョキっと生えてるんですかね?」
「そうならまだ分かり易い方なんじゃないかしら」
「とりあえず、どこに扉があってもおかしくないという前提で、探しながら歩くことにしましょうか」
蓮太郎の言葉に一同は頷きあうと、木や枝の陰に目配りしながら戻ることにした。道々に差してきたペグはちゃんとそのままに刺さっていたので、蓮太郎はほっとした。妙に知性のありそうなカエルザル達が、こっそり引っこ抜いてしまう可能性も想像していたのだ。
けっきょくこの日これ以上の収穫はなく、またカエルザルに襲撃されることもなく、一行は迷宮をあとにしたのだった。
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