第四話【めちゃくちゃ情けない隊列だと思わない?】
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兄妹の通う
その坂をえっちらおっちらと登りきり、蓮太郎は校門をくぐる。自他共に仲良し兄妹を認める伊坂家だったが、昔から登校は別々である。それは別に兄(妹)といっしょに登校なんて恥ずかしいもん、という理由ではなく、寝起きの良さに大きな差があるためだった。妹はいまごろ母に尻を蹴られるようにして、ようやっと家を出たころだろう。
「おはよー」
「っはよー!」
始業までまだ余裕のある教室で蓮太郎にいちばんに挨拶を返したのは、友人の鳩間慎二郎だ。蓮太郎と同じく帰宅部のくせにいつも登校が早いのは、通学に使っている電車のダイヤの都合らしい。
「蓮、土日何やってたんだよ。せっかくのチャンスだったのによー」
「あーハト、誘ってもらったのに悪かったな。なんかもう色んなことがあって……ありすぎて」
鳩間からは土日のあいだ遊びの誘いを受けていたのだが、しかし土曜日には麻咲によるドキドキ異世界初体験があり、日曜には麻咲も加えてあらためて買い物に出なおしたりと、かなり多忙な週末となったため、断っていたのだ。
「いやマジでもったいないことしたよお前。鯖さんの歌とか聞いたことないだろ?」
「……え、カラオケ行くとか言ってたけど、鯖さんと行ったん? そんで鯖さん歌ったん? マジで?」
鯖さんというのは二人の共通の友人――のあだ名である。そして寡黙を通り越して、クラスメイトのほとんど誰も喋るところを見たことがないという沈黙の人として有名な生徒でもあった。
「マジマジ、蓮にも聞かしてやりたかったわー。しかも鯖さん笑うぐらい歌うまくてさ」
「マジかよ。鯖さんとは中学からの付き合いだけど、音楽の時間でもやる気ない口パクしか見たことないぞ。歌ったとこどころか、まともに喋るとこすら三回ぐらいしか見たことないのに」
「俺は逆にまともに喋ってるとこの方見たことないわ。先に歌聞いちゃったよ」
「ええー……信じられん。くそ、そうと知ってれば万難を排して行ったのに……」
鯖さんの歌が聞けると分かっていれば、蓮太郎はナナタウンで涙を零す麻咲を放置してでもカラオケに向かっただろう。蓮太郎にとってはそれくらいのレアイベントであった。
そんなことを考えていたから、というわけではないだろうが、丁度その時蓮太郎の背後から声をかける者があった。
「おはよう、伊坂くん」
「おっ……」
と、反射的におはようを言おうとして鳩間は固まった。
「おはよう、秋本さん」
蓮太郎のほうは普通に振り向いて挨拶を返しつつ、鳩間が停止したのも無理はないな、と思った。麻咲はつねにない晴れやかな表情で、わずかではあるが微笑みすら浮かべていたからである。
「……」
麻咲は挨拶だけであとは何も言わず着席したが、鳩間の方はまだ「おっ」の口のまま固まっていた。蓮太郎はあえてすっとぼけて聞いてみた。
「どうしたハト? これがホントの鳩が豆鉄砲を食ったような顔ってやつか?」
「それ小学生の頃から百万回ぐらい言われてっから! ってそうじゃなくて、蓮おまえ……」
麻咲と蓮太郎を見比べつつ口をぱくぱくとさせる。どうやらいろいろ言いたいことはあるが、当人である麻咲の手前はっきりとは言いにくいらしい。
「……いや、いいわ。でもなーんとなく俺、蓮が誘いを断った理由分かっちゃったな。金曜いっしょに帰ってたし、それで今日あの態度ってことは……」
鳩間はふらふらと自分の席に戻っていった。
ちなみにこの日の昼休み、鳩間に鯖さんも含めた三人での昼食の席で「お前、ずばり秋本さんと付き合い始めただろ!」との推理を披露されたのは予想通りであった。当然蓮太郎は否定したが、「なら秋本さんのあの態度はなんだよ」と言われると本当のことを言うわけにもいかず、否定も歯切れの悪いものにならざるを得ない。けっきょく昼休みいっぱいを使って、鳩間の取り調べは続いたのだった。
ちなみにその間、鯖さんはいつも通り一言も喋らなかった。
放課後。「じゃあね、伊坂くん」と麻咲に声をかけられる姿を鳩間から冷ややかな目で見送られつつ、蓮太郎は早々に教室をあとにした。もたもたしていると、また「ア――ニャ――!」と謎の外国人の名前を叫びながら教室に飛び込んでくる人間がいるからである。
その人間と昇降口で合流し、急ぎ足で帰路につく。家までは兄妹の健脚で三十分というところだが、二十分ほど歩いたところで、前方のバス停から大きなバックパックを背負った少女が降りてくるのが見えた。先ほど別れたばかりのはずの麻咲である。上下長袖のトレーニングウェア――梅ジャーではなく、普通にオシャレなやつ――に着替えており、合宿に行く運動部の生徒のような格好だった。
「アサちゃん! 先回りされた!」
「ほんとはもう一つ先まで乗るんだけどね。窓からあなたたちの姿が見えたものだから」
「バスにしても速いな。よっぽど楽しみにしてたわけだ」
「当然でしょう」
と、麻咲は照れるでもなく胸を張った。麻咲の家は学校のすぐ近くだが、帰ってから準備をしていたのでは丁度バスが来たとしても追い越されるはずがない。今朝から荷物を詰めたバックパックと着替えを玄関先に置いて登校していたとか、そんなところだろう。
「その荷物すごいね。持とうか?」
「結構よ。あなたの増幅魔法があるとはいえ、これからは私自身の体力も鍛えておかないとね」
張り切って歩き出す麻咲に兄妹も続いていく。だが目的地たる兄妹の家は山際のどんつきである。すぐに道は長い長い上り坂に入り、勾配も徐々にきつくなっていく。変わらぬペースで歩く兄妹に、麻咲は遅れがちになった。
「やっぱり持とうか?」
「……お願いするわ」
五月の日差しをかんかんと浴びながら、三人はぽてぽてと坂道を上がって行った。
「なんというか……見違えましたね」
三人よりも三十分ほど遅れて伊坂家に到着した友が、出迎えた面々の姿に目を瞠った。
「そうでしょう、これが参謀の初仕事というわけよ」
麻咲が得意げに顎をそらす。参謀というのは異世界迷宮探検隊における役割の、麻咲本人による自称である。
「参謀というか、コーディネーターの仕事のような気がしますが……」
そう、麻咲が異世界探検に加わったのが土曜日のこと、今日は月曜日の放課後である。では日曜日には何をしていたのかというと、買い物のやり直しだった。麻咲監修による、探索ルックの見直しである。
土曜日、初の異世界迷宮に挑み、件の大森林フロアにも足を踏み入れて手が震えるほどに大興奮していた(相変わらずの無表情ではあったが)麻咲は、ふと築音の姿を振り返ってこう言った。曰く、梅ジャーはあんまりにもあんまりじゃない? と。かくして、自称参謀の初仕事はコーディネートとなったのだった。
「うん、カワイイし、確かに梅ジャーよりかはテンション上がるね」
そう言ってはにかんだ築音のスタイルは、蓮太郎の言葉を借りれば「テニスウェアとカウボーイを合わせたような感じ」だった。白を基調としたアンダーウェアにやはり白のミニスカートは、実際テニスなどでも使用できそうなスポーツウェアだ。腰には聖剣ハチドリを差すための革製の剣帯を巻き、それが浮かないように上半身にも革製のベストを着ている。肩は露出しているが、手には肘まである皮手袋、下には厚手のタイツを穿いており、全体的に華やかながらも戦うための恰好らしくはなっていた。足元は編み上げのロングブーツ……は予算の都合で断念したらしく、いつもの運動靴である。
「デスクちゃんはいい太ももをしてるし、ニーハイソックスも似合うと思ったのだけれど……」
「足太くて悪かったねー。さすがにスカートだけで跳んだりはねたりする気にはなれないし」
「凄くカッコ良くて可愛いよ、築音ちゃん! それにウリユさんも!」
と、友もはしゃいでいる。
「うむ、迷宮探索にはいくぶん華やかすぎる気はするが、着心地は悪くない」
そう言うウリユは築音の白に対して、黒い。ハイネックの長袖シャツに手袋、ショートパンツ、その下に穿いたタイツまで全てに黒が入っている。その上からウリユが元から身に着けていた胸当てと剣帯をつけ、胸当ての破損を隠すようにハイウエストのジャケットを羽織っている。腰に帯びた宝剣の鞘はクリームがかった白なので、その対比がアクセントになっている。
ちなみに、築音とウリユの装備は大半に麻咲の手直しが入っているらしい。麻咲が背負ってきた大荷物の半分ぐらいはそれだった。
「うーん、俺は正直、実用的な梅ジャーでいいじゃんと思ってたが……」
キッと麻咲に睨まれて、蓮太郎は慌てて続ける。
「いや、こうして二人を見ると、やっぱ形から入るのって大事なんだなというか……ようやく冒険が始まるって気分になってきたなって思って!」
「そうでしょう。着るものひとつで、人間の気持ちなんて簡単に変わるものよ」
麻咲は満足げに頷いた。
「でもこうなると、かえってわたしたちの格好が浮いちゃいますね」
そういう友は一旦家に帰って着替えてきたらしく、長袖のトレーニングウェアに身を包んでいる。蓮太郎にはじゅうぶん可愛らしい装いと見えたが、確かに冒険感はない。
「俺にいたっては相変わらずの梅ジャーだしな。妹の装備に俺の小遣いまで使っちゃったから」
「アーニャあざーっす。来年のお年玉から返すね」
「来年まで梅ジャーかあ」
「まあ、私たちの格好はおいおいね。どうせ前で戦うのは剣を持ってる二人だし、参謀、応援、観客は少し目立たないぐらいでちょうどいいわ」
「応援って言われると場違いに聞こえるな」
「わたしなんか観客ですよ。間違ってはないですけど」
「というわけで、メインプレイヤーの二人には華やかな活躍を期待しているわ。私はそれをしっかり記録しておくわね」
麻咲は首にかけた一眼レフのデジタルカメラを構えて、口の端を上げた。以前から持っていた私物らしい。
「せっかくだからまずは一枚、集合写真でも撮っておこうかしら。あなた達、そこに並んでちょうだい」
「あ、ならアサちゃんも入りなよ。おかーさーん! 写真撮ってー!」
「はいはい。えらく賑やかになったねえ」
麻咲に操作を教わった母親の手でシャッターが切られる。これが異世界迷宮探検の、ひとつのスタートの記録となった。
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