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「……なんで?」

「それが私の、ずっと前からの望みだからよ」

 首をかしげる築音に、またふわっとした答えが返ってくる。麻咲が口下手なのか、それとも何かを隠しているのか。蓮太郎は一つずつ訊いていくことにする。

「仲間っていうけど、秋本さんは俺たちがやってること、どこまで知ってるの?」

 どこまで知っているのか、そして、なぜ知っているのか。

 最も気になるところだったが、返ってきたのは意外な答えだった。

「何も」

「え?」

「何も知らないわ。推測できたことはあるけど、あくまでただの推測だけ」

「……じゃあ、その推測できたことっていうのは?」

「あなた達は非日常的な事態に巻き込まれている。それは恐らく、伊坂くんのしてきたあの腕輪に関係している。ウリユさんはその事態の中心にいて、ただの外国人ではない。あなた達とは協力関係にある。……これ位かしら」

「ホントにただの推測だね、アサちゃん?」

「アサちゃんはやめなさい。そう言ったでしょう、デスクちゃん」

「デスクちゃんもやめ!」

 たしかにただの推測ではあるし、肝心な部分は曖昧になっている。が、正解でもある。

「まあ確かに、ウリユさんはひと目でただの外国人じゃないから、そこは分かる。でも、この腕輪が」

 握っているウリユの手ごと、腕を机の上に上げる。腕輪が木製のテーブルの上でごとりと音をたてる。相変わらず蓮太郎にはほとんど重みを感じないが、その音はかなりの質量を感じさせるものだった。

「この腕輪が不思議な力を持っているのに気づいたのは、どうして?」

「不思議な……力を……」

「この腕輪の外し方が分からなくて、はじめて俺が腕輪をつけたまま教室に現れたときから、秋本さんは『これ』に異常に執着してたよね? あの時点では、何も推測できる要素はなかったと思うんだけど」

 蓮太郎ははここが核心だと思い問いかけたが、麻咲はどこか熱に浮かれたような眼で、ぼうっと腕輪を見つめている。

「不思議な力、やっぱりあるのね?」

「え?」

「そう、そうよね……不思議な力。『不思議な』なんて言いながら、それを不思議だとは思ってない言葉だわ。『そっち側』の人間にとってはそうなのでしょうね」

「……あのー、秋本さん?」

 麻咲は手にしていたコーヒー牛乳(カプチーノ)を押しやって、蓮太郎の腕輪を両手に抱えると顔を近づけた。頬ずりせんばかりの勢いである。

「重い……! こんなものを身に着けて、伊坂くんはどうして軽々と動けるのかしら。それも『不思議な力』のおかげ? いえ、不思議な力っていうのは、つまり魔法ってことよね? 魔法はあったのね?」

「ちょ、アサちゃん落ち着いて! ステイ! ステイ!」

 ほとんどテーブルに上半身を乗せてしまった麻咲の両肩を掴み、築音が引き戻す。ちなみに麻咲を挟んで築音と反対側に座っている友は、ソファのギリギリまで端っこに避難して、ストローでアイスティーを飲んでいた。

「……ごめんなさい。少し取り乱したわ」

「お、おう」

 麻咲はまだ赤みの差した表情で、乱れた黒髪を整えた。

「どうも私は誤解されているし、誤解のせいで警戒されてもいるみたいね。この際だから正直に私のことを話すわ。だからどうか、私のことを信用してほしい。あなたたちに関して見たり聞いたりしたことを何かに利用したり、他の誰かに言いふらしたりは決してしない。約束するわ」

 真剣な眼で、じっと蓮太郎を見据える。蓮太郎は、麻咲が入学してから昨日までに喋った言葉より、今日一日の方がたくさん喋ってるんじゃないかな、とふと思った。

「重ねて言うけれど、私は何も知らないの。その腕輪にどんな魔法がかかっているのかも、ウリユさんがどこから来たどういう人なのかも、伊坂くんの両親がなぜ娘に無機物の名前をつけたのかも」

「だからあたしの名前は机じゃないんだけど!?」

 小粋なジョークを挟みつつ、築音を無視して麻咲は続ける。

「私が最初にあなたの腕輪に興味を持ったのは、その。……凄くカッコ良かったからよ」

「……カッコ良かったから?」

 平素の麻咲には似つかわしくない理由が出てきて蓮太郎が訊き返すと、麻咲は恥ずかしそうな仏頂面で頷いた。

「プラスチックとは思えない艶やかさと重厚感、LEDとは思えない謎の紋様の輝き。継ぎ目も見当たらないのにぴったりと手首に収まったフォルム。ひと目見てそのカッコ良さに心打たれたわ。いかにも『そっち側』のアイテムと言わんばかりだし、正直さっき魔法の力があると言われても、さして驚かなかったほどよ」

「いや、じゅうぶん大興奮してましたけどね」

 と醒めた目線を送るのは友である。麻咲は隣を一瞥すると、素直に詫びた。

「さっきのは……ごめんなさい。驚きはしなくても、興奮を抑えられるかは別ね。私はこれまでの人生、そちら側に行くことだけを考えて生きてきたの。ようやくそのチャンスを前にしてつい、ね」

「その、さっきから君が言う『そちら側』というのは、具体的に何を指すものなんだ?」

 ひとり未だ険しい表情でウリユが言った。おそらく、『そちら側』はイスカーナ王国、ひいては王国の属する世界を指している――すなわち、麻咲がそれらの存在を知っているのではないかとまだ疑っているのだろう。

「ああ、ごめんなさい。私が私の心の中で使っていた言葉であって、深い意味はないのよ。ただ、私を含む普通の人たちが普通に生きている世界を『こちら側』として、そうではない――まあようするに、『魔法』のあるような世界のことを『そちら側』と呼んでいただけの話」

 皆が分かったような分からないような顔をしていると、麻咲はなぜか照れたように髪をいじりながら補足した。

「と言っても分からないわよね……こういうことは、口に出すとほんとうに陳腐というか、幼稚だからあまり言いたくもないのだけれど……。私はずっと、自分は本来『そちら側』にいるべき人間だと思って生きてきた、と言えば笑うかしら。もちろん、何の根拠もなくよ」

 さすがに誰も笑いはしなかったが、蓮太郎は意外には思った。言葉にすると確かに陳腐で、幼稚だ。たとえば『自分は本当の自分じゃない』とか『自分がいるべき場所はここではない』とか……要するに自分というものの存在を、現状よりももっと大きなものだと思い込む、思い込もうとする現象は普遍的なものだ。なんなら俗称から正式名称まで、病名もダース単位で用意されている。それこそずばり罹患しやすい年齢を揶揄してつけられた、『中二病』とか。

 しかしそれは目の前の麻咲には、あまり似つかわしくない言葉だった。もっと切実で、具体的な渇望のように見える。だからこそ蓮太郎は、以前から腕輪のことを知っているのではないかと疑ったのだった。

 そんな思いが表情に出ていたのか、麻咲は口の端だけでふ、と笑った。

「ぴんと来ないって顔ね」

「まあ、ぴんとは来てないかなあ」

「別にそこを理解してもらう必要はないわ。この世に『魔法』が存在しないってことを、死んでも認められない女もいるって話よ。そしてどうやら私は正しくて、『そちら側』は存在した。それなら当然私が望むのは、そちら側に入れてもらうことだけ。それ以上は何も望まないわ」

「細かいことはぬきにして、仲間に入れてほしいだけってことだね」

 築音にざっくりとまとめられて麻咲は一瞬眉をひそめたが、すぐに「そうね」と表情を取り繕って、その場の全員をぐるりと見渡して言った。

「なにも知らない私だけれど、全てを教えてください。そして仲間に入れてください。――知った後でこんなの思ってたのと違う、なんて言いだすことは絶対にないわ。この世界に魔法はある。それだけの希望を抱えて生きてきた女の望みを叶えてください。お願いします」

 そしてテーブルに髪の毛がつくほどふかぶかと、頭を下げた。

 しばしの沈黙が場を満たし、喫茶店のテレビ音声だけがやけに大きく聞こえる。その沈黙は麻咲の加入申請に戸惑っていたというよりは、この申し出に成否をくだす権利があるのは誰なのか、誰もわかっていなかったという部分もあるのだが――迷っていると思ったのか、麻咲は頭を下げたまま首だけを蓮太郎に向けて、こうつけ加えた。

「ちなみに、もし断られたら――」

「断ったら?」

「泣くわ」

「泣くんだ……」

 泣かれるのはちょっと嫌だな、と蓮太郎が思っていると、ウリユが発言の許可を求めるようにこほん、と咳払いをして言った。

「その、麻咲と言ったか。君は『命をかける覚悟がある』と言ったが、我々は全員、比喩ではなく文字通り命をかけて事態に挑んでいる」

 真剣に聞く麻咲の隣で、友だけが(わたしは全然そんなつもりなかったんですけど)という顔をしていたが、空気を読んで黙っている。

「そして先程君が予想した通り、私は蓮太郎たちを巻き込んでいる側だ。だから当然、みだりに協力者を増やすべきではないと思っている」

「私に関しては気兼ねする必要はないわ。荷物持ちでも雑用でも、何でも使えるように使ってもらってかまわない。むしろ『仕方ないから連れて行ってやってもいいか』と私に恩を着せるぐらいの気持ちでいて頂戴」

「……何が君をそこまで駆り立てるのかは分からないが、ならこの点についてはもう言わないことにしよう。あとはこちらの世界のことだ。蓮太郎たちに判断して貰いたい」

 判断を委ねられた蓮太郎がなんとなく妹に目を向けると、築音は「いんでない?」とごく軽い調子で答えた。

「変な人っぽいけど、その分秘密をバラしたりはしそうにないし。綺麗な人だから、アーニャの魔法もよく効くんじゃないかなあ」

「魔法……! でも、綺麗だから効くってどういう……いえ、ともかくありがとう、築音ちゃん。その通り、約束は守れる人間よ」

「まあ私は、築音ちゃんがいいなら……」

 次に目を向けた友も、そう言ってあっさりと頷いてみせる。となると、蓮太郎としても率先して麻咲を泣かせる気にはなれなかった。

「うーん、じゃあまあいっか」

「任せた私が言うのもなんだが、軽いな……」

「ウリユさんにとってはめちゃくちゃ大切な話なのに、すいません。ただまあ、こっちの世界の人間としては、秋本さんの気持ちもまあ何パーセントかは分かるんですよね。やっぱり魔法とかにワクワクする気持ちはありますし」

「むろんその気持ちは私も理解している。私だって今日こちらの国を歩いてみて心躍ったのは間違いないからな」

 うん、と心を決めるようにしてウリユと頷きあう。麻咲が見たこともないようなキラキラした表情で蓮太郎を見ていた。

「というわけでまあ、これからよろしく、秋本さん」

「ありがとう……! これまでになく伊坂くんが輝いて見えるわ……!」

 がっしりと手を握られる……かと思いきや、麻咲ががっしりと握り込んだのは、左腕の腕輪だった。

「じゃあ、も、もういいのよね? この腕輪にどんな秘密があるの? さっきウリユさんが話してた謎言語は何?」

「まあ、順を追って最初から話すけれどもね……」

 蓮太郎たちはとりあえず、好奇心ではちきれんばかりになっている麻咲に餌を与えるべく、秘密基地のほこらが開いたところから話し始める。

 ちなみに、彼らの話が丸聞こえだろう喫茶店のマスターは、数十年もずっとそうしてきただろうという態度でグラスを磨きながら、満足げにうんうん頷いていた。

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