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「……伊坂、くん?」
何ら心にやましいところのないはずの蓮太郎だが、思わずぎくりとして足を止めた。
「秋本さん……」
現れたのは黒のブラウスに黒のロングスカートという、葬儀帰りのような服装を身にまとった少女だった。先日から謎の行動が目立つ蓮太郎のクラスメイト、秋本麻咲である。
無言で蓮太郎と、その隣に立つウリユに近づいてくる麻咲。その後ろにいた築音と友は、なんとなく距離をとった。麻咲は黙ったまま目線を蓮太郎からウリユへと移し、最後に二人の間で繋がれた手首の部分で止まって動かなくなった。
「しゅらしゅしゅしゅ?」
「築音ちゃん、しーっ!」
後ろで築音と友が(丸聞こえだが)囁きあっていた。麻咲は依然として固まったように立ち尽くしている。ウリユが警戒しながらささやいた。
「……知り合いか?」
「ええ、まあ。……あの、秋本さん?」
いつも通りの無表情に見える麻咲だったが、その様子は普通ではなかった。蓮太郎の呼びかけに答えることもなく、ぎゅっと固く握りしめられた両手は小刻みにぷるぷると震えている。
「アーニャ、マジでこの人に何したの?」
「いや、ほんとに何も……」
「何もしてないのにこんな風になりますか?」
「ね。昨日はアーニャの元カノかな、ぐらいに思ってたんだけど、それ以上な反応だよね」
「妹、それ俺否定しなかったっけ?」
さっぱり妹に信用されていなかった事実と、現在進行形で友の信頼が目減りしていくのを背中で感じつつ、自身の潔白を知っている蓮太郎はただただ当惑する。
また、当惑したのはウリユもだった。まったく見も知らぬ少女ではあるが、どうやら蓮太郎とはただならぬ関係であるらしい(ように見える)。そして友からからかわれたように、蓮太郎の腕輪を掴んでいる今の状況が親密そうに見えることも理解していた。
だからウリユは、何かを決心したように一歩一歩迫ってくる麻咲を前にして、ぱっと腕輪から手を放して両腕を上げ、蓮太郎との距離をアピールした。
「ま、待て待て。君が誰かは知らないが、どうやら誤解をしているらし……」
言いかけて、ウリユは自分の失策に気づいた。
なぜ蓮太郎の腕を握っていたかというと、それは翻訳魔法が発動した状態にしておくためであり――すなわち今、手を放して言った言葉の意味が通じるのは、腕輪の主である蓮太郎のみ。その他の人間には、聞いたこともない外国語として聞こえるということだ。
実際、こちらに歩みを進めていた麻咲もびくり、と驚きに目を見張った。立ち止まるかと見るや、むしろ麻咲はさらに大股に一歩を踏み込み――
――がしり、と肩を掴んだ。左手で蓮太郎の右肩を、右手でウリユの左肩を。その手には、信じられないほどの力がこめられている。
「いっ!? 秋本さん、ちょっと落ち着い……」
「なっ!? おい蓮太郎、何とか……」
「友ちゃん、これアーニャ刺されるやつ?」
「お兄さんは刺されて当然だけど、ウリユさんが危ないよ。止めなきゃ」
掴まれた二人は悲鳴に似た声を上げ、後ろの二人は勝手なことを言っていた。あと友の中では蓮太郎が麻咲に対してやったであろう鬼畜の所業がいつの間にか捏造されていた。
そしてもう一人麻咲の様子はというと、蓮太郎とウリユを引き寄せるようにしながら、一瞬くしゃりと表情を歪めたと見るや――
――その瞳からつう、と涙が零れ落ちた。
「秋本さん!? どうしたのホントに、様子がおかしいよ!?」
「私、も……」
狼狽する蓮太郎に腕をつかまれて、麻咲はしゃくり上げながらもようやく口を開いた。絞り出すようにして出てきたのは、こんな言葉だった。
「私も、そちら側に入れてください。お願いします……!」
◇ ◇ ◇
まったく事情は分からないながらも麻咲をなだめすかし、周囲の注目を集めていた通路から移動させてナナタウン外にある喫茶店に連れ込んだ時には、麻咲はすでに落ち着いているように見えた。むしろ取り乱してしまったことを恥じるような表情すら浮かべている。
「俺はコーヒー。えーと……」
「あたしもコーヒー」
「わたしは……アイスティーで」
「兄妹と同じものにしてくれ」
「秋本さんも、何か飲む?」
「……じゃあ、カプチーノを」
順に兄妹、友、ウリユと飲み物を選び、最後に押し黙っていた麻咲が注文をした。ナナタウン入り口の真正面という絶好に見える立地の喫茶店だが、まったく繁盛はしておらず、蓮太郎たち以外には奥の席でクロスワードか何かの雑誌に書き込みをしている常連らしいお爺さん一人しかいない。メニューに書かれている値段は安いが、つけっぱなしになっている年代物のテレビから流れる音声は勉強をするには向かないし、剥げかけた趣味の悪い壁紙や元の色が分からないほどに黒ずんだ机は時代を感じさせるというよりも、ただ古いだけだった。味にこだわりも無さそうで、自ら注文を取りに来たマスターは麻咲の『カプチーノ』という注文を聞いて、妙な顔をしてカウンターに引っ込んでいった。まるで、念のためメニューに載せておいたがまさか本当に注文する人がいるとは思わなかった、とでも言いたげな様子だった。
こんな調子だから皆ナナタウン内にあるお洒落なコーヒーチェーン店を利用するのだが、泣いている少女を連れて避難するにはかっこうの場所だった。名前も見ずに入った喫茶店だったが、蓮太郎はなんとなくこの雑然とした空間が好きになりかけていた。
「ええと……お兄さん。とりあえず紹介していただいてもいいですか?」
友がどこか睨むような表情で言う。五人は窓際の席に、テーブルを挟んで蓮太郎とウリユ、反対側に麻咲と、その両側に築音と友が座っている。
「うん。妹は昨日会ったばっかだけど、秋本麻咲さんだ。俺のクラスメイトで隣の席だけど、それ以上の繋がりはまったくない」
疑わしげな視線を受け流しつつ、蓮太郎は友の方に手を向ける。
「秋本さん、妹は知ってると思うけど、こっちは妹の友達の、友ちゃん」
「……友達だから友ちゃん? 随分安直なあだ名だけれど」
「いやれっきとした本名ですからね? 芦澤友です。……なんかこのくだりすごく既視感があるんですが」
「で、こちらの方が……ウリユさん」
「……ウリユ」
なんと紹介したものか苦慮して名前のみを告げたのだが、それを聞いた麻咲は眼を怪しく光らせて、
「秋本麻咲です。よろしくお願いします……ウリユさん」
と、妙に凛々しい態度で右手を差し出した。外国人? なに人? のような質問攻めも覚悟していたので、まずはほっとする。
「あ、ああ……よろしく」
ウリユは慎重にそこまで言い切ってから、右手を出して握手をし、すぐまた手を引っ込めた。麻咲に見えないテーブルの下で、蓮太郎の腕輪を掴んでいる必要があるからだ。いまさら隠すこともないかもしれないが、何が麻咲を刺激したのかわからないので、一応こそこそしている。
一通り紹介が済んだところで、マスターがドリンクを運んできた。興味を惹かれて麻咲の前に置かれたカプチーノを覗き込んでみたが、それはただのコーヒー牛乳に見えた。ある意味期待通りであった。
「さて、じゃあ飲み物も来たところで」
「かんぱい?」
「打ち上げか。……じゃなくて、いろいろ秋本さんに聞きたいことがあるわけだけど」
「私から話せることなんて、ほとんどないと思うのだけれど。むしろあなた達の話を聞かせて欲しいわ」
「いやいや、こっちからすると、秋本さん謎だらけなんで。……とりあえずさっき言ってた、そっち側に入れてとかなんとかっていうのは、どういう意味?」
麻咲の口ぶりは、すっかりいつもの調子に戻ったようだった。
「そのままの意味よ。私をあなたたちの仲間に加えて欲しい。そのためなら、命だって賭ける覚悟があるわ」
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