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 食事の後は出掛けるにはまだ時間があったため、母の提案でしばしのお勉強タイムとなった。ウリユは母に日本語を教わり、兄妹はそのそばで宿題を広げる。やはり慣れないウリユのカタコトに首をかしげつつ、兄妹はウリユの物覚えのよさに感心した。言語学習は翻訳魔法をもちいたものなので、基本的には母がひたすら繰り返す言葉を真似て反復するだけだ。

「キョーウワ、レンタロート、ツクネトイショニ、カイモーノニイキマース」

 そのたどたどしい発音に頬をゆるませつつ、兄妹は要領よく宿題を終わらせた。

「いってきまーす」

「イテキマース」

 頃合いの時間になり、母に送られつつ三人は家を出る。からりとした五月の空だった。兄妹の家は長く急な坂のてっぺんにあるので、山あいにみっちりと住宅が寄り添うように建つ、街の全貌が見渡せる。眼下の坂道はゆるく右方向に曲がりながら直進し、やがて川沿いの大通りに突き当たる。その大通りを今度は左にまっすぐ行けば川は海に流れ込み、その手前の地点に駅がある。その駅前のショッピングモールが今日の目的地だった。

 『ナナタウン』というそのショッピングモールにはあらゆる種類の店が集まり、その便利さからこの街で『買い物に行く』と言えば『ナナタウンに行く』ことを指すほどの繁盛ぶりである。その繁栄の裏で古くからある商店街はシャッター通りになることを余儀なくされたりもしていたが、年若い蓮太郎たちには何の感慨もない。兄妹の家からはこのナナタウンの建物も遠目に見下ろせたが、なにしろ街の端っこであるので、相応の距離がある。この距離を兄妹は山歩きで、ウリユは迷宮踏破でもって鍛えた健脚でえっちらおっちらと歩いていくのだ。

 ウリユは青髪を少しでも目立たなくするために妹のパーカーを着てフードをかぶっているので、さすがに暑そうだ。下には蓮太郎が履かなくなった黒のジャージをはいている。ウリユは身長こそ築音よりわずかに高い程度だが、人種の違いゆえか体格はかなり良い。スリムなボトムスを好む築音のジーパンは入らなかった、ということを、出掛ける前に何の躊躇いもなく蓮太郎にも話していた。脚が太いだのと恥じる様子がなかったのも価値観の違いゆえだろうか。

 ちなみに妹の方はTシャツにショートパンツといかにも涼しげな恰好で、ウリユから羨ましそうな視線を向けられていた。

「あ、いたいた。友ちゃーん」

 その健脚をもってしても小一時間ほどの時間をかけて、三人はナナタウンに到着した。ナナタウンの正面入り口前は待ち合わせ広場になっていて、中央には巨大な手の銅像が鎮座している。そのため昨夜の友と妹のスマートフォンでのやり取りはこんな風だった。『築音ちゃん、明日はどこで待ってたらいい?』『て』。

「おっす築音ちゃーん。……と」

 友が駆け寄ってくる築音の後ろを見ると、やはり近づいてくる蓮太郎とウリユが映る。ぱっと見に、二人は仲良く手を繋いで歩いて来るように見えた。

「えっと……お二人は今日はデートです? わたしはお邪魔でしょうか?」

「やっぱりそう見える?」

「分かってて言ってるだろう、友」

 ウリユが苦笑いをする。当然ウリユは蓮太郎と手を繋いでいたのではなく、蓮太郎の左手首を、つまりそこにある腕輪を掴んでいたのだった。まさか街中に繰り出すのに妹の聖剣を持ち出すわけにはいかないので、翻訳の都合上、この組み合わせは必然だった。

 友は笑いながら言った。

「すいません、冗談です。……にしてもウリユさんはやっぱり目立ちますね。外国の芸能人かなって感じです」

「やっぱり目立つか。暑いのを我慢してまでこいつを被ってきた意味はなかったかな」

「いやウリちゃん、フードなかったら今の十倍は目立ってるから。明日には街じゅうで噂になってるよ」

 という妹のセリフはさすがに大げさではあったが、実際ウリユの青髪は百メートル先からでも見分けられる鮮やかさではあった。友がウリユに見惚れていると、タイミングをはかっていた蓮太郎が口を開いた。

「そういう友ちゃんも……その……私服だね!」

「? はあ。まあ休日ですので」

「私服もなんていうか……い、いいよね!」

「はあ……?」

 珍しくしどろもどろになる蓮太郎の様子に、築音は呆れて言った。

「アーニャ、何を照れてるのさ」

「いや、自分でも思ったより照れた。なぜか友ちゃんからの好感度が低い気がするから、『私服も可愛いね!』って自然に褒めることで爆上げしとこうかと思ったんだけど」

「それわたしの前で言ったらもう駄目なのでは?」

「というか蓮太郎、お前迷宮では私たちのことを美人だの可愛いのと堂々と褒めちぎっているだろう。何を今さら照れることがあるんだ?」

「あれはどっちかというと呪文じゃないですか。必要なことですから、恥ずかしいことは何にもないですよ」

「ただし本音じゃないと発動しない呪文だろう? その方がよほど恥ずかしいと思うがな……」

 賑やかな四人は、休日のナナタウンに入っていった。


 そして早速蓮太郎はハブられた。

 女性陣三人が何をおいても真っ先に下着売り場に入って行ったからである。

 最初は、翻訳魔法の担い手たる自分がいないとウリユと意思疎通ができないことをタテに、蓮太郎自身もついていくことを強硬に主張した。が、言い募るほどに友の視線の温度が下がっていくので、やめたのだ。蓮太郎としてはよこしまな意図とてなく、ただ女性の下着選びに付き合うなどというイベントは今後の人生でもそうそう起きそうにない貴重な機会だからというだけの理由だったのだが。

 ぼんやりと売り場の外から下着姿のマネキンを眺めながら、あれも青少年には眼に毒だなあ、などと自身も青少年たる蓮太郎は考える。思えば見られて恥ずかしいものを、なにゆえあんなにも堂々と陳列しているのか。

 いや、逆か。と蓮太郎は勝手に納得した。かりに下着売り場をカーテンか何かで覆ってしまったとしても、そこが下着売り場であることは主張しなければならない。結果として、でかでかとした『下着売り場』との看板の下、分厚いカーテンをめくってこそこそと売り場に入るようなことになる。そんなのめちゃくちゃ入りづらいし、悪いことをしている気分にすらなるだろう。つまり、人間の側に恥ずかしい気持ちがあるからこそ、下着の側は堂々としているのだ。アナタがワタシタチを着けたいと思うことは、何ら恥ずかしいことではありませんよ――と。蓮太郎が真理を悟ってうんうんと頷いていると、妹を先頭に三人が売り場から出てきた。

「……おっと、早かったな」

「そりゃまあ、あんま待たせたら悪いかなと思って。……なんでアーニャはマネキン見てうんうん頷いてんの?」

 考えているうちに、いつの間にかマネキンに近づいていたようである。蓮太郎はさらに自分を見る目が冷たくなった友から、買い物袋を受け取った。


「このブラジャーというのは凄くいいな。適度な硬さといい、締め付けといい、上半身全体が動かしやすくなったようだ。何なら剣の腕も今なら上がっている気すらする」

「そうなんですかー」

 ウリユと手を繋いで――もとい、手首を繋いで(?)いる関係上、興奮気味にブラジャーの感想を聞かされる蓮太郎は、棒読みの相槌を打っている。

「ウリちゃんとこにはなかったの?」

「似たようなものはあったとも。だが、装着感は段違いだな。そもそもあんなに細かくサイズを測られるようなことはなかった」

「そうなんですかー」

「ウリユさん、あんまり大声で下着の話をしない方が……」

「ああ、すまんな友、嬉しくてつい。しかし実際これは良いぞ。ぜひ女性騎士団の皆にも持ち帰ってやりたいものだ……」

 迷宮を踏破してしまう武闘派の王女様は、ブラジャーをスポーツウェア的なものとして認識したらしい。実際間違ってもいないのだろうが。

「女性の騎士団とかあるんだ」

「それはそうだ。女性でないと入れない場所での警護もあるし、そもそも私の護衛に、いちいちぞろぞろと男どもを引き連れたくない」

「確かに……」

 四人はゆっくりとナナタウン内を見て回る。次の目的はウリユの普段着を買うことで、予算の都合もあるのでお目当ての店も有名衣料量販店と決まっている。が、ウリユにとっては初の異世界観光であるので、寄り道をしながらのんびりと向かっていた。ウリユは目立ちすぎないよう気を付けつつも、好奇心を抑えきれない様子できょろきょろと辺りを見回しては、あれは何だ、これは何だと聞いてくる。自分で作ったわけでなくとも、こちらの世界の物品に驚いたり感心されたりするのは気分がいいもので、現地人たる三人は進んで解説役を引き受けていた。

 そんなウリユの反応を見ていると分かることがある。蓮太郎は剣に鎧というウリユの武装から、どこかウリユの異世界はこちらの世界とくらべて文明の遅れた世界であるという印象を持っていた。しかしよく考えてみればウリユが迷宮に入ったのは彼女にとっても古式ゆかしい儀式のためであり、出会ったときには死闘を繰り広げた後で、防具はすでにぼろぼろだった。剣はというと、魔力さえあればチェーンソー以上の切れ味を持つ業物だ。それだけで文明度を推し量ることはできない。

 実際ウリユは伊坂家での生活においても、ナナタウン観光においても、『驚き』よりも『興味』が上回っているようだったし、『畏怖』の感情は見られなかった。驚きに関しても、例えばウリユが興味深げに眺めている家電などについて、「イスカーナ王国には、こういった物はありませんでしたか」等と聞くと、

「むろん似た用途のものはあったとも。しかし、これを魔法の力なしに再現しているとなると、どういう構造になっているのか想像もつかないな……」

 という答えになる。もちろんこちらの世界にあって向こうにないものもたくさんあるようだったが、それは向こうの世界においても同様だろう。概ねにおいてイスカーナ王国は、こちらの世界と同程度には発展を遂げているようだった。現代日本の文明が電力を中心に組み立てられているのと同様に、イスカーナ王国の文明は魔法という力を中心にしてやはり栄えているのだ。その社会はどちらが優れているということもなく、似た部分と決定的に違う部分とを備えているのだろう。何ともワクワクさせられる話だ、と蓮太郎は思った。

「こんな風に、俺たちもイスカーナ王国を観光してみたいもんですねえ」

「そうだな。いつになるかは分からないが、その時は国賓として遇すると約束しよう」

「こくひんだって、すごいねアーニャ。神輿とか乗っちゃう?」

「日本でも国賓を神輿には乗せないよ、築音ちゃん」

「あんまり仰々しいのじゃなくて、今みたいに自然に街を見て回りたいですけどね」

「はは、それなら今のわたしのように、頭を隠す必要がありそうだな。イスカーナで君たちの黒髪は、さぞ目立つことだろうから」

 ウリユはさんざん蓮太郎たちから髪色が目立つと言われたことの仕返しのようにそう言って、ニッと笑った。蓮太郎は笑い返しつつ、至近距離で輝くその笑顔を受け止めきれず、顔をそらした。何しろ増幅魔法の呪文がそうであったように、蓮太郎目線で『眼がつぶれるぐらい美人』のウリユである。手首を繋いで歩く距離間もあいまって、友の言ったことではないが、『これはもうデートだなあ』と蓮太郎はふわふわした気分でいた。

 そんな浮かれた気分で歩いていたのと関係があるのかどうか――いや、どんな気分で歩いていようとその事態は降りかかったに違いないが、少なくとも浮かれていたために落差が大きかったのは事実であろう。休日気分に華やぐショッピングモールの空気を切り取るようにして、長い黒髪の日本人形じみた――むしろ幽霊じみて美しい少女が、四人の行く手に現れた。

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