第三話【これアーニャ刺されるやつ?】
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友と共に食卓を囲んだ翌日の朝、蓮太郎は自室のベッドで目覚めた。まどろむことなくむっくりと身を起こす。もともと寝覚めは良いほうだったが、ウリユを拾ってきてからこのかた、身体が早く活動をしたくてたまらないとでも言うように、ますます良くなっていた。今日は土曜日で学校は休みだが、時計の針は平日と同じ午前七時を指している。
二階にある自室から一階の洗面所に降り、顔を洗って歯を磨く。リビングに向かうと、さらに早い母がすでに朝食の準備にかかっていた。おはようの挨拶を交わし、牛乳を飲みながらダイニングテーブルに頬杖をついてぼーっと昨日のことを考える。探索の上ではそれほど大きな収穫があったとは言えなかったが、ウリユや友に増幅魔法が効くことは朗報だった。戦力の充実を得て、今後はさらに本格的な探索に移れるだろう。
では今日はいよいよ本格的に迷宮攻略にかかるのか、というと、そういう予定にはなっていない。
「蓮太郎、そろそろ二人を起こしてきてくれる?」
「はいさー」
七時半、母に言われて朝の弱い妹を起こしに行く。これも平日と同じく兄の日課だが、今はもう一人妹の部屋に間借りしている人物がいる。兄はたんたんと階段を上がって一旦自分の部屋に戻って腕輪を装着すると、隣の部屋をおざなりにノックした。ここで返事がないのはいつものことなので、すぐにドアノブに手をかける。
「入るぞー」
ドアを開ける。隣の兄の部屋と同じ間取りで、家具やベッド、学習机、本棚が壁をはさんで兄の部屋のそれとほとんど線対称に配置されている。妹はあまり部屋を飾るという趣味がないらしく、女子の部屋らしい要素と言えば壁際に無造作に置かれたデカい兎のぬいぐるみくらいだが、これは以前兄妹でゲーセンに行った際に取ったものなので、残念ながら兄の部屋にも同じものが置いてあったりする。
シングルベッドの上には窮屈だろうに妹とウリユが並んで寝息を立てていた。部屋の隅には本来ウリユ用に運び込んだはずの布団一式が畳まれたままで積んである。ウリユが『寂しくてひとりじゃ寝れない』と言う姿はちょっと想像できないので、妹が招いたのだろう。
その妹はウリユを抱き枕にしており、聖剣ハチドリを互いの胸に挟むようにして足を絡ませている。なぜかハチドリも一緒に抱いているのは、昨日ベッドに入ってからも遅くまで話し込んでいたためだろう。絡みつかれているウリユの方も意外と寝覚めが悪いほうらしく――蓮太郎の勝手なイメージとしては、わずかに物音を立てただけで「なにやつ」と起き上がってきそうだと思っていた――彼が入ってきたことにも気づかず、幸せそうな寝顔をさらしていた。おそろいのパジャマを着ているので、まるで仲の良い姉妹のようだった。
「妹ー、ウリユさーん、朝ごはんの準備できてますよー」
ウリユに触れるのは気が引けるので、妹の頭を掴んで揺さぶる。「うにゃ?」と妹が半目を開け、妹がくっついているウリユにも振動が伝わり「むぅ……」と目を覚まさせた。
「おはようございます」
「……お、おはよう」
ウリユはさすが、またたく間に覚醒した。慌てて身を起こそうとして妹にしがみ付かれているのに気づき、引きはがしながら早口で言った。
「け、今朝もすまないな! 築音は私が起こすから、先に降りておいてくれ!」
「お願いします」
王族だという話だし、あまりこういう起こされ方には慣れていないのだろうな、と思いつつ、兄はなるべくウリユの方を見ないようにして、妹の部屋をあとにした。
「おはよう」
「ぁょー」
まだぽわぽわと夢の世界を引きずっている妹とは違い、身なりを整えて降りてきたウリユはさすが、いつものキリッとモードに戻っていた。といっても妹の部屋着――首元の伸びきったTシャツと中学の時の体育用ハーフパンツ――を着ているので、王族の威厳はない。二人がテーブルにつくのに合わせて、朝食を始める。食卓の中央にごつい聖剣の置いてあるのがシュールだが、翻訳上の都合である。
「……そういやウリユさん、前に王族として魔法には詳しいみたいなこと言ってましたけど、ウリユさんも魔法は使えるんですか?」
「うむ……何から説明すればいいか。魔法学の中でも、魔法史学や魔法力学理論などについては最高峰の教育を受けている。が、魔法術学や魔導応用の分野においては、最低限の範囲しか押さえていない。剣術の方が専門だったからな」
「なるほど、魔法とひとくちに言っても、魔法学っていうでっかい学問の下にいろいろあるんですね」
話を聞くに魔法を中心にかなり発展した世界らしいから、考えてみればその通りだろう。『物理学』とか『数学』とかいうくくりに近いのかもしれない。
「じゃ、ウリちゃんが魔法を使えるわけじゃないの?」
と築音は一足飛びに結論を急ぐ。話を聞いていないわけではないのだが、会話の流れは無視しがちな妹だった。ウリユは苦笑しつつ、
「最低限は押さえていると言ったろう。基本的なものは扱えるさ。例えば……『火よ』」
と、指先を立ててなにかを唱えた。最後の『火よ』の部分は翻訳されてはいるものの、普段の言葉とは異なった響きを持って聞こえた。蓮太郎の増幅魔法における真言のように、魔法を発動させるための呪文のようなものだろうか。
食事の手を止めてウリユの指先に見入る兄妹と、ついでに母。しかし、いくら待っても何の変化も起きなかった。
「いや、なんだ。こちらの世界には魔力がないのを忘れていたなハハ……」
ウリユは恥ずかしそうに指を引っ込めた。兄妹もつられて恥ずかしくなり、「あはは……」と乾いた笑いを漏らした。
「あれ? じゃあ翻訳魔法は?」
「それは、その聖剣や蓮太郎の腕輪が蓄えている魔力を解放しているんだろう。ずっとこちらの世界に置いておけば、やがて使えなくなるはずだ」
「なるほど、電池内蔵かー……」
心なしか魔法談義の声にも力がなく、会話が途切れる。そんな空気に助け舟を出したものか、それとも空気自体を感じていないものか、いつものニコニコ顔で母がいった。
「そういえば今日はみんなでナナタウン行くんでしょ? 何時から?」
兄妹とウリユはほっとした気持ちで、新たな話題に飛びついた。
「十一時に待ち合わせしてるから、十時には出るよ」
「うん。ウリちゃんの服とかいっぱい買わないとねー、楽しみ!」
「いつまでも妹のお下がりを着せとくわけにもいかないもんな」
「私はこのシャツも、気兼ねがしなくて気に入っているのだが……」
ウリユはシャツの襟元を引っ張る。国もとでは王族らしく、鹿爪らしい有職故実に基づいた衣服を着せられることが多かったため、シャツ一枚で過ごすのは新鮮で楽しいそうだ。が、おそらく下着は着けていないだろうシャツの下の膨らみが意識されて、蓮太郎は目のやり場に困っていた。
「そ、それでもそんなシャツ一枚じゃ、こっちが気兼ねしますからね」
「そうよね~。あとでお小遣い渡すから、ウリユさんに必要そうなもの何でも買ってきてちょうだいね。蓮くんと築音ちゃんも、少しならついでに自分のものも買っていいからね」
「「わーい」」
「……すまないな、衣服ひとつとっても安価なものではないだろうに。ただでさえ迷宮探索に協力してもらっているのだ、私のものは最低限で構わないから……」
「もー、ウリちゃん! そういうのもういいってば!」
申し訳なさそうにするウリユの言葉を、築音が遮った。
「ウリちゃんは別の世界の人で、こっちの世界のものは何も持ってないし知らないんだから、あたしたち現地の人がいろいろ助けなきゃいけないのは当たり前でしょ! もう一生分ぐらいすまないもありがとうも言ってもらったから、もうこのやり取りはナシにしよう!」
「そうよー、ウリユさん。幸いわたしたちも、ウリユさん一人増えたからって自分たちの食べ物を削らないといけないような状況じゃないもの。その分わたしたちも貴重な体験をさせてもらってるんだし、子供たちのためにもすごくいいことだと思ってるのよ。家族の一人になったと思って、不便なことや困ったことは遠慮しないで言ってちょうだい。……今はいないけれど、お父さんもいたらきっと同じことを言ったと思うわ」
「築音、ご母堂……」
蓮太郎は自分も何かそれらしいことを言おうと思ったが、ほとんどのセリフを妹と母に取られていたのでただふんふんと頷いて同意を示した。
「……わかった。私は家臣に裏切られてこちらの世界にやって来たが、まさかその先でこんなに暖かい家族に迎えられるとは、裏切ったものたちも思いもしなかったろうな」
と、ウリユは自虐的にではなく、柔らかく微笑んだ。
「それでは、これより先は遠慮なしに頼らせてもらおう。その代わり私に対しても望むことがあれば遠慮なく言ってくれ。不慣れな世界ではあるが、掃除ぐらいは覚えられるだろうからな」
「あらー、じゃあ子供たちが学校に行ってる間に、お洗濯とかお掃除とかお料理とか教えてあげようかしら。そしたら築音ちゃんより家事が出来ることになっちゃうわね?」
「そうだな、家庭への貢献度ランキング最下位が妹になるな」
「なっ! アーニャだって似たようなもんでしょ!」
「蓮くんはよくお洗濯ものとか、お布団とか干してくれてるわよー? 築音ちゃんのぶんも一緒に」
「い、いつの間に……!?」
楽しげに言いあう家族に、ウリユは眼を細める。思えば王族のウリユにとって、こうした賑やかな食卓はほんとうに遠い記憶にしかないものだった。
ふと、家族と言えば、とウリユは一つの疑問を口にした。
「ところで、先ほどご母堂も仰っていたが……。お父上はどうされているのだ?」
問いかけられた妹は、ふっと遠くを見つめる表情になる。
「おとーさんはね、すごくすごく遠いところにいるんだよ……」
まずいことを聞いたか、と焦るウリユ。が、すぐに築音はあっけらかんとした表情に戻って、兄に尋ねた。
「……どこだっけあれ、ゴ、ゴなんとかとかいう」
「ボツワナだよ。ゴなんて一文字も入ってないぞ」
「そうそれ! おとーさんは、そのボツワナってとこで穴掘ってるの!」
「穴を……? それは仕事ということか? 炭鉱夫のような?」
「たぶんそんな感じ! よく知らないけど!」
ウリユは首をかしげる。父親の職業について疑問は残ったが、家族の誰もそれを正確に理解はしていなかったので、それ以上の説明はなされなかった。
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