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「ちょっとこれは……慣れるまで苦労しそうだね」
迷宮の第一層、いや、最下層というべきか。築音が倒した迷宮の主、ラ・スボスのいた大広間から続く大森林で、友は試運転とばかり身体を動かしていた。いましがた出て来たばかりの扉は土の上に唐突に立っており、その周囲数メートルほどは樹木のない小さな広場になっている。扉を裏側から見るとぬりかべのような灰色の壁でしかなく、さきの大広間とこの大森林との間に直接的な空間のつながりはないことがわかる。
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねている友は、ほとんど膝も曲げないジャンプにもかかわらずゆうに一メートルは跳ね上がっている。おかげで何度も着地に失敗して手をついていた。
「別に友ちゃんは戦うわけじゃないんだし、いざって時に逃げられる程度でいいんじゃない?」
「そうなんだけど、今のままじゃ逃げようとして樹に頭から突っ込んでいきそうだからね……」
と言いつつも少し楽しそうな友は垂直飛びから反復横跳びにうつる。自分の身体が制御不能なほどによく動くのが面白いらしい。
妹はそんな友を横目に見つつ、数歩助走をつけて飛ぶと樹木の幹を蹴って三角跳びに宙へ舞い上がり、伸身で一回転してもとの位置に着地した。
「じゃあまずは、コレやってみよっか!」
「築音ちゃん、できるわけないの分かってて言ってるよね」
一応昨日は魔物が出て来た迷宮内ではあるが、この場所は拓けているので見通しがきく。奇襲さえされなければ聖剣ハチドリの戦力は圧倒的なので、少女二人は緊張感なく笑いあっていた。
一方で、扉のそばには蓮太郎がうずくまって、ぶつぶつと何かをつぶやいていた。
「俺はできる子。やればできる子なんだ。そうだがんばれ。蓮太郎くんすごい」
「……なあ、それ、いつまで続けるんだ?」
蓮太郎をひとりにしておくわけにはいかないということで護衛を請け負ったウリユだったが、怪しい自己啓発本にでもハマったかのように自分を褒め続ける有様を見せられて、早くもうんざりし始めていた。
「そうだ、俺はすごい。カッコいい。モテる!」
「君はなんていうか……フラれた直後なのにずいぶんと図々しいな」
「フラれてませんからね?」
蓮太郎に気を遣うのをやめたウリユだった。蓮太郎はなおも未練がましくぶつぶつと自己肯定の言葉を並べていたが、ようやく諦めて腕を下ろした。
「……やっぱり発動しませんねえ」
「やはり、術者自身には影響を及ぼさない類の魔法なんじゃないのか? 珍しいが、そういう魔法もあると聞いている」
「いや、まだ分かりませんよ。真言は俺のホンネじゃないといけないわけですから、実は俺が心の奥底では、『他のみんなだけ戦わせて自分はラクしたい』と思っているという可能性もあります」
「君はそれでいいのか……?」
「可能性は残ってた方がいいんですよ。……おーい妹、友ちゃん! 俺自身の強化はやっぱ無理だったわ! やろうと思ってた検証は終わったから、そろそろ探索に行こう!」
「はいさ。……探索はいいんだけど、アーニャのメンタル的なものは大丈夫? フラれた直後だけど」
「フラれてない。俺は友ちゃんのお兄さんなんだぞ」
「いや、お兄さんと呼んではいますけどわたしの兄ではないんで……」
「えー、ややこしいな」
「日本語話者なら何もややこしいことはないと思うんですが……」
「蓮太郎がフラれた話はいいから、行くなら行こう。晩御飯までに帰るようにとご母堂から言われているだろう」
「だからフラれてませんからねウリユさん?」
ウリユを先頭に、一行は樹々の間に分け入っていった。
探索といっても、今日は様子見程度に留めることは出発前に決めている。増幅魔法の検証に思ったよりも時間を取られたので、探索に使える時間もそう多くは残っていない。とりあえず大広間につながる扉が見える範囲でと、木の根を踏み越えていく。
「どの木も立派なもんだなあ。屋久島の森とか、こんな感じなんだろうか」
「屋久島には千年杉とかあるんでしたっけ? 確かにこの木なんか、日本にあったら樹齢千年ぐらいは行ってそうですね」
と、友が手近な大樹の木肌を撫でる。この場にいる四人が手をつないでも、外周をとり囲むことはできないだろう太さだった。高さはというと、下の方の枝葉に遮られて仰ぎ見ることもできない。
「でも実際は樹齢二日とかなんだよね、ウリちゃん」
「そのはずだな。ラ・スボスの死から間もなく魔力から生まれ、また生まれた瞬間から大樹であったのだろう」
「魔力って何でもありなんですね……」
樹々は真っ直ぐではなく、捻じくれていたりでこぼこと瘤のようなものが突き出したりしているので、探索目標の『扉の見える範囲』は非常に狭い。行きつ戻りつしながら、扉を中心に円を描くように歩いていく。
「でもそう言われると確かに、実際の森とはぜんぜん違いますね。すごく静かだし……」
「たしかに! うちんとこの山なんか鳥がぴーちゃっちゃぴーちゃっちゃうるさいぐらいなのに、ここはぴーとも言わないね」
「あと落ち葉のひとつもないな。虫もいないし、蜘蛛の巣も張ってない。ついでに言うと蜘蛛の巣を払うための小枝のひとつも落ちてない」
蓮太郎が言った。秘密基地のある裏山では、いつも適当な小枝を拾って振り回しながら歩いている。それはカッコいいと思ってやっているのではなく、いやいくらかはカッコいいと思ってやっている部分もなくはなかったが、本来的には蜘蛛の巣を払いながら歩く山歩きの知恵であった。そのいつもの習慣から小枝を探したのだが、見当たらなかったのだ。
「それも急造の森たるゆえんですかね、ウリユさん。……ウリユさん?」
友が話しかけたが、ウリユは腰の宝剣に手を添えたまま鋭い目線で辺りを窺っている――と、突然剣を抜き放って手近な樹の幹を蹴り、宙に身を躍らせた。
「えっ――」
「ゲギャーッ!?」
ウリユが剣を一閃、直後、断末魔が頭の上から降ってきた。驚いた友は軽く飛び退いてそれを避ける――つもりが、強化された脚力で二メートルも浮き上がり、築音に受け止められた。
「うははは、友ちゃん、今マンガみたいに飛び上がったよ」
「あ、ありがと築音ちゃん。……そいつは?」
先ほどまで友の立っていた場所には、昨日も襲ってきた蛙面獣身の怪物、の右半身が落ちていた。血などは流れておらず、端からさらさらと崩れつつある。
「昨日の、蛙と猿の合いの子みたいなヤツだな」
少し離れた場所に落ちた左半身のほうにしゃがみ込む蓮太郎に、抜き身の宝剣を構えたままのウリユが頷く。
「ああ。蓮太郎の魔法は素晴らしいな、昨日はあれだけ苦戦したのが、この通り一撃で真っ二つだ。――しかし、今日は見かけないと思ったら樹上から襲ってくるとはな。奴ら、いらぬ知恵をつけてきたらしい」
しばらく上を警戒していたウリユは、やがて満足したようで宝剣を鞘に戻す。その柄元の宝玉が鈍く光り、魔物の死骸も完全に消滅した。
「ウリちゃん、今のでカエルザルを吸収しちゃったの?」
「カエルザル……まあ、そうだな。あくまで奴を構成していた魔力を、ということだが」
「にしても上から来るのによく気づきましたね」
「この森が静かすぎると言っていたのは君たちだろう。風もないのに木の葉がさざめいていれば、すぐに分かる」
「すごーい、さすが一人でラスボス倒しにきただけのことはあるね……」
築音の尊敬の眼差しに、ウリユはやや得意げに胸を張っていた。出会ってこのかた、戦力としては築音の聖剣ハチドリと蓮太郎の増幅魔法が圧倒的だっただけに、訓練された戦士らしいところを見せられたのが嬉しかったものらしい。
「なに、築音もすぐにこれくらいは出来てもらわねば困るぞ、我々の主戦力なのだからな。……皆も好奇心が強いのは結構だが、これからは頭上にも注意を払って歩いてくれ」
「「「はーい」」」
魔物の脅威と、ウリユの戦士としての頼もしさとを同時に感じた一行のそれからの探索は、より緊張感に満ちたものになった。樹々の陰を覗き込んだり、枝葉の上を透かし見たりしながら、少しずつ進んでいく。しかしその日は一行の緊張に反して、扉の周囲を一周するまでに魔物は一匹も出現しなかったのであった。
四人はそのことに拍子抜けする――ということはなく、単純に異世界の迷宮探索という刺激的な体験に満足しつつ帰路についた。遅くなったので友も晩ご飯を食べていくことになり、その日の食卓は五人で囲む賑やかなものになった。
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