7
「「「……」」」
青々と茂る葉桜がさわさわと鳴る、川沿いの道を三人が歩いてゆく。蓮太郎を中心に、左側に妹、右側に麻咲と並んでいる。三人して黙々と歩む道行きに、麻咲の内心はいざ知らず、兄妹はなんとも居心地の悪い思いをしていた。
兄としては、この下校に誘ってきた麻咲から何か話があると思っての沈黙であり、妹としては、兄とそのクラスメイト女子との間のただならぬ雰囲気を勝手に感じ取り、らしくもなく空気を読んだ結果だった。しかし二人の思惑の中心にいる麻咲は、未だ一言も口を開く気配がない。
「(ちょっと、アーニャ)」
我慢できなくなった築音が、兄の耳元に口を寄せた。
「(ん)」
「(んじゃないよ。この人、昨日もアーニャと話してた人だよね。なんで一緒に帰ることになったの?)」
「(知らん。いきなり一緒に帰ろうって言われたんだ)」
「(彼女とかじゃないんだよね?)」
「(昨日も言ったが、彼女どころか友達未満だ)」
「(ということは……むむむむ?)」
隣で露骨にひそひそ話をする兄妹だったが、麻咲は表情も変えず、やや緩んだ速度に歩調を合わせている。
「こほん。あのー、秋本さん?」
ひとつ咳払いをして沈黙をやぶった蓮太郎が、ようやく声をかけた。
「何かしら」
何かしらもないもんだ、と内心蓮太郎は思った。
「そういや紹介がまだだったと思って。さっきも言ったけどこいつ、うちの妹なんだけど」
「ど、どもー。伊坂築音でーす」
兄の身体の陰から顔を突き出すようにして挨拶する築音を、じろりと横目で見て麻咲も言葉を返す。
「……秋本、麻咲よ」
「あ、麻咲さん? その、ごめんね? アーニャと一緒に帰るとこだったのに、あたしお邪魔虫だったかなー? なーんて……」
無理に笑みを浮かべておどけた態度をとる築音に、あくまで麻咲は淡々と応える。
「別に構わないわよ。よろしくね、つくえちゃん」
「うん……って、机じゃないけど!?」
妹がびっくりしたように反応し、兄は噴き出した。緊張感漂う下校時間が続いた後での、いきなりのつくえちゃん発言が妙にツボに入ったのだ。
むせている兄を後目に、麻咲は澄まして答える。
「聞き間違いよ。人の名前を間違えるだなんて、失礼なことしないわ」
「そ、そうかな……?」
首をかしげる妹に、麻咲はふっと口だけで笑う。
「でも確かに、つくねとつくえ、聞き間違いやすいわね。どうかしら、分かりやすくあなたのこと、デスクちゃんと呼ぼうかと思うのだけれど」
「やっぱり机だと思ってるよね!? ……アーニャはいつまで笑ってるのさ!」
築音はまだプルプルしている兄の袖を引っ張った。
「(なんかあの人、あたしに対する当たりがキツい気がするんだけど!)」
「(そ、そうか? 俺はむしろ、意外と愉快な人なんだなという感想をもったが)」
「(いやいや、絶対怒ってるんだよ! 付き合ってもないのに一緒に帰ろうとするなんて、つまり今日アーニャに告白するつもりだったんだって! それを邪魔されたから怒ってるんだ!)」
自信の推理を披露する築音だったが、麻咲はすぐさま首を振った。
「残念ながらそんな話じゃないわ、デスクちゃん」
「デスクちゃんやめ……って、聞こえてたの!?」
「逆に聞くけれど、どうして聞こえないと思うのかしら……?」
三人肩を並べて歩いているのである。兄妹のひそひそ話は麻咲に筒抜けであった。
「うう……で、でも、そうじゃないならアサちゃんの目的は何なのさー!」
「あ、アサちゃん……?」
いきなり可愛く呼ばれ、麻咲がわずかにたじろぐ。
「……初対面の先輩相手に、アサちゃんはないんじゃないの?」
「初対面で机呼ばわりする人に言われたくないんだけど!?」
「まあまあ」
妹の頭頂部を押さえつけながら、兄が間に入る。
「妹が言ったような理由じゃないのは分かってるけど――俺も、なんで急に一緒に帰ろうなんて言い出したのかは気になるな。そもそも、秋本さん家こっちの方だっけ?」
「……家は、〇△町の方よ」
「まるきり正反対じゃん!」
大げさに反応する妹を「どうどう」と額を押さえて止める。兄としては予想のついていたことだった。この街は海辺を中心として山際まで這い上がるようにして広がっているが、兄妹の住む家はその中でも辺鄙な、いちばん山に近いどんつきの場所にあたる。麻咲がこのあたりに住んでいるなら、昔から知らないはずがないのだ。
「それで、家から遠ざかってまで、どうして一緒に帰ろうと?」
「……」
ふたたび問うと麻咲はたっぷり十歩分沈黙し、やがて口を開いた。
「例の腕輪のことが、気になったのよ」
「え? 腕輪ってアーニャの? 何で――」
教室でのやり取りを知らない妹が素っ頓狂な声をあげるのを、手で合図して黙らせる。続く言葉を待っていると、麻咲はすがるような眼を向けてきた。
「あの腕輪、今は家にあるのよね? よかったら……この後少し、見せてくれないかしら」
「それは……」
兄妹は顔を見合わせる。ただ見せるだけなら構わないが、麻咲の目的が分からない。それに家にはウリユが待っていて、友も後からやってくる約束になっている。麻咲の目的は気になるが、いきなり本丸に招き入れるのは躊躇われた。
「今日はちょっと、人が来てるから……」
「……そう」
「また今度、都合のいいときに持ってくるんじゃダメかな?」
「今度っていつ?」
「えっと……」
ぐいぐいと来る麻咲にたじろぎつつ、蓮太郎は言葉を探す。
「いつでもいいんだけど……先に、秋本さんがなんで腕輪のことをそんなに気にするのか、聞いてもいいか?」
「……」
ぴたり。と麻咲は立ち止まった。冷たいような無表情が微妙に揺らぎ、目線をあちらこちらと彷徨わせる。蓮太郎はなぜか、麻咲が恥ずかしがっているように見えた。
「……いいわ。今度、今度ね。絶対よ」
「え? いや……」
「約束したわよ。いいわね? ……じゃあ、今日は帰るから」
と、一方的にまくしたてると。
麻咲はくるり、と身をひるがえしてさっさと登って来た坂道を下りていってしまった。
「……何だったん?」
「さあ……」
取り残された兄妹は、しばし呆然と彼女の後ろ姿を見送った。
不可解な麻咲の態度についてあれこれと言い合いつつ、兄妹は長い坂を上り切る。舗装された道が尽き、あとはススキの生い茂る細い道が山の中に続いていくばかりになる。その境目に建った二階建ての赤い屋根が、ふたりの生家である。
「たーだいまー」
元気よく扉を開ける妹だったが、それを迎える母親の声はない。かわりにぱたぱたと足音を立てて迎えに出て来たのは、青髪も鮮やかな人間ばなれした美女、異世界の王女さまである、ウリユ・イスカーナだった。
ウリユは玄関に入ってきた兄妹に向かって優雅に微笑むと、調子っぱずれの声を出した。
「オカ エリ ナサーイ」
「……!?」
玄関先で固まる兄妹に、ウリユはつっかえながらなおも続ける。
「ワッターシノ ナマエワ ウリユ デース」
「「エセ外国人みたいになっとる!?」」
兄妹が同時につっこんだ。もちろん、ウリユは似非外国人どころか二日前まで日本の存在すら知らなかった正真正銘の外国人、どころか、おそらく外世界人である。
「おかえりなさい、びっくりしたでしょう?」
と、悪戯が成功した笑みを浮かべて出て来たのは、兄妹の母親である。
「た、ただいま……。そうか、お母さんがウリユさんに日本語教えたのか」
「そうなのよ~。翻訳魔法? っていうの、あれ便利だけど、いつも剣を持ってないと使えないのは不便だと思って~」
「コレハ リンゴデスカ?」
「いいえ築音です! ……いや分かるよ? 分かるんだけどなんて言うか、違和感がすごいね!」
「分かるぞ妹。なんつーか、『お前流暢に日本語喋ってただろ』感がすごい」
翻訳魔法が発動していると、ウリユの言葉は普通に日本語として聞こえる。それは魔法で翻訳された結果であってウリユ自身が日本語を理解しているわけではないのだが、頭では分かっていても初めてカタコトウリユを目にした二人には衝撃であった。
「とりあえず、あたし聖剣とってくるね!」
「俺も」
「二人とも、手も洗ってくるのよー」
「「はーい!」」
あらためて翻訳魔法の凄さを感じた二人は、急ぎ異世界品を取りに向かうのだった。
「言葉については、私から頼んだのだ。翻訳魔法があっても聖剣や腕輪は重くて私には扱えないし、……正直言って、日中は暇をもて余してな。ご母堂には、私の我が儘を聞いてもらって感謝している」
「いいのよー。わたしも暇だったのは一緒だし。ウリユさんは覚えも良かったから楽しかったわ~」
「まあ、自力で喋れたほうがいいのは間違いないよね……ビックリしたけど」
帰宅後のショックから一息つき。兄妹と母親、ウリユの四人はリビングで麦茶を飲みながら友が来るのを待っていた。兄は腕輪を装着し、ウリユがそれに腕を添えているので、翻訳モードでの会話だ。
聖剣や腕輪に手を触れただけで発動する翻訳魔法だが、試したところ文字やテレビ・ラジオの音声には発動しないらしい。本を読むこともテレビを見ることもできず、またウリユの青髪は目立ちすぎるので下手に外を出歩くわけにもいかない。迷宮探索も現状のウリユ単体では危険すぎるとなると、日中は確かに暇だろう。兄妹はふたりが学校に行っているあいだ、ウリユの相手ができるもっか専業主婦の母親がいることに安堵した。
「ふふ、私としても驚いてもらえて、頑張って学んだかいがあったというものだ。やはり翻訳魔法と、私自身の口から君たちの言語を聞くのとはだいぶ違ったか?」
「ええ、そりゃもう」
「いっしゅん脳がバグるぐらい違ったよ……」
「そうかそうか。いや、迷宮でもさして動揺を見せなかったお前たちの、驚く顔はなかなか見物だったぞ」
上機嫌にウリユは笑った。兄妹としてはウリユが日本語を喋ったことそれ自体というよりも、普段凛々しいウリユが胡散臭い喋り方をするギャップに驚いたのだったが、それは黙っていた。
「ま、まあ、言葉を教えるなら、お母さんは適任だしな」
母はかつて高校で、英語教師として教鞭をとったことがある。それを踏まえての兄の発言だったが、母は首を振った。
「それが、そんなの関係ないぐらい簡単なのよー。だってホラ、この剣をテーブルに置いといて、手を置いたり離したりしながら同じ言葉を繰り返すだけだもの」
「ああ、なるほど……ほんと翻訳魔法すごいな。どういう仕組みなんだ」
「私からも質問があるときは聖剣に触れればいいだけだからな。私もイスカーナ王族に列するものとして魔法や魔道具にはそれなりに造詣があるつもりだが、この翻訳魔法ほど高度なものは見たことがない。おそらく、使用者の語彙を読み取っているのだとは思うのだが……」
「他の言語でも発動するのかな? なんかおかーさんに英語教えてもらうのにも使えそう」
「築音ちゃん、それはもう試したけどダメだったのよー。試しに剣を持って英語で話してみたんだけれど、ウリユさんにも英語としてしか聞こえてないみたいなの。日本語とイスカーナ語? じゃないとダメか、少なくとも母国語じゃないとダメみたいねー。他にもいろいろ試してみたんだけど、距離が離れててもうまくいかない場合があって~」
「おかーさんすごい検証してるね!? ダメだよ、あたしより聖剣に詳しくなったら!」
そんな風にウリユの言語習得や、母による翻訳魔法についての検証結果について話していると、ぴんぽーんと玄関のチャイムが鳴った。約束通り友がやって来たらしい。
兄妹は顔を見合わせて頷きあうと、ウリユにゴーサインを出した。
「ウリユさん、友ちゃんを出迎えてあげてください」
「ん? ああ、分かった」
ウリユとしては単純に覚えたての日本語を試してみたいのだろう。上機嫌に玄関へと歩いていった――。
「なんかエセ外国人みたいになってます!?」
玄関先から聞こえる友の叫び声を満足気に聞きつつ、兄妹は秘密基地に向かう準備を始めたのだった。
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