6
「おはよー」
「はよー」
「おはー」
蓮太郎たちが、協力してウリユをもとの世界に帰すという目的を確かめあった、その翌日。クラスメイトと挨拶を交わしつつ自分の席に荷物を置く蓮太郎に、もうひとつ挨拶の声が届いた。
「……おはよう」
「おはよう、秋本さん」
蓮太郎の隣の席であり、そうであるのに昨日までほとんど言葉を交わしたこともなかったクラスメイト、秋本麻咲である。長い黒髪に整った顔立ち、その表情がほとんど変わらないことも含めて、周囲からは『日本人形のよう』などと言われているらしい。
この『人形のよう』という形容には、麻咲がひどく寡黙であることへの揶揄も含まれているのだろう、と蓮太郎は思っている。隣の席であるにも関わらず、自分はもちろん他の生徒と親しく話しているところを見たことがない。話しかけられれば無視をするわけではないが、返す言葉は「ええ」とか「そう」とかの最低限でしかなく、休み時間にはどこかにふらりと消えるか、そうでなければブックカバーをした文庫本を読んでいる。
そんな麻咲であるから、自分から挨拶の言葉を口にするだけでも珍しいことだった。蓮太郎は昨日の放課後に麻咲が何かを言いかけていたことを思い出し、続く言葉があるのかと待ってみたがそういうわけでもないようだ。変わらぬ無表情のまま、蓮太郎にちらと一瞥をくれたのみである。
「はよーっす、蓮」
と、教室に入ってくるなり、手をあげながらやってきたのは蓮太郎の友人、鳩間慎次郎だった。自分から『ハト』のあだ名を名乗る気さくな奴で、同じクラスになったのは二年からだが、いつも一緒に昼飯を食う程度には仲良くなっている。
「おう、ハト」
「おう。取れたんだな? アレ」
蓮太郎の左手を見ながら言う。アレというのはもちろん、異世界の迷宮の宝物庫から見つけた不思議な腕輪である。ぴったりと吸い付くように腕に収まったそれを外すことができず、昨日は嵌めたまま登校せざるを得なかったのだ。
「ああ、なんとかな。これで今日は先生に腕を引っこ抜かれなくて済む」
「危ないとこだったな。しかしどうやったんだ? やっぱ、レーザーとかで切ったのか?」
何気なくハトがそう言った瞬間、近くにいた麻咲が物凄い勢いでこちらを振り向いた。
思わずぎょっとして見ると、身体は正面を向いたまま、首だけが九十度回転して蓮太郎を――というよりもその左腕あたりを注視している。それこそ人形の首を回したかのようで、鳩間などは完全に引いていた。蓮太郎は今度こそ麻咲が何か言うかと思ったが、口は開かない。ので、見なかったことにして普通に鳩間に返答することにした。
「……いや、普通に外れたよ。いろいろいじってたら外し方が分かってな。今はちゃんと無事に家に置いてある」
「そ、そっか。そりゃ何よりだな……」
無事であることを殊更に協調したのは、麻咲を気にしてのことだ。そのかいあって、彼女の首の角度はスイーと滑るように正常な角度に戻っていった。
「(……なんかあったん?)」
「(知らん)」
明らかにただごとではない麻咲の態度(と首の角度)に鳩間が耳打ちしてくるが、心当たりはない。間もなく担任教師が入ってきて、鳩間は自分の席に戻っていった。
「はーい、おはようさーん。皆席につけー」
ホームルームを始める教師の声が響くなか、蓮太郎は腕輪と、それと麻咲のことについて考えていた。
例の腕輪の外し方は、ウリユが発見した。もちろん腕輪の正体などについては彼女も心当たりはなかったが、魔法で動く道具の存在はイスカーナ王国ではポピュラーなものらしい。五分ほどの試行錯誤ののち、一定の手順で紋様をなぞることであっさりと腕輪は外れた。カシャカシャとひとりでに動いてひとまわり大きくなり、再度装着するとまたひとりでに小さくなって腕にフィットするのは面白くも不思議な光景で、蓮太郎は何度も試してみたものだ。
分からないのは腕輪と麻咲の関係であった。昨日腕輪をつけて現れた蓮太郎への反応、また今朝の態度からしても、あの腕輪について思うところがあるのは間違いない。しかし彼女が腕輪の不思議な力を目撃する機会はどう考えても皆無だったはずである。
一度話を聞いてみるしかないか、でも秋本さん無口だし取っつきにくいんだよな、などと考えていると、蓮太郎を呼ぶ声があった。
「というわけでホームルームは以上だが……おい伊坂!」
居丈高な担任の女教師である。
「はい」
「はいではない。今日こそ年貢の納め時だぞ、さあ左手を出せ!」
鼻息も荒く近づいてくる。そういえばホームルーム中、蓮太郎はずっと膝の上に手を置いて考え事をしていた。それが腕輪をした左手を隠そうとしているように見えたのかもしれない。
「残念でしたね、先生」
両手を上げて、ひらひらと振ってみせる。
「見ての通り、例の腕輪は外れましたんで。もう引っ張ってもらう必要はないですよ」
「なに!? ……そうか」
「なんか露骨にガッカリしてません?」
「……別に。今日こそ伊坂の腕を引っこ抜くチャンスだと思ったのにな……(ぼそぼそ)」
「聞こえてるんですけど?」
肩を落として教卓に戻っていく担任教師。ちなみにこの日、蓮太郎は一時間目から六時間目まで、六人の教師のガッカリした表情を見ることになるのだった。
「どいつもこいつも俺の腕を引っこ抜くの楽しみにしてやがった……!」
「お前一年の頃何やったの? 先生がたの家の窓ガラス割って回ったとか?」
「校舎じゃなくて自宅に押し掛けて来て割るのかよ。こえーな」
放課後。各教科の教師がことごとく彼の腕を引っ張る大義名分を失ってガッカリするのを見せられて、すっかり心が荒んだ蓮太郎が鳩間に愚痴っていた。
「こえーのはお前だろ」
「割ってねーよ。うちの教師は全員頭がおかしいんだとしか思えん」
「理解できない人種のことを『頭がおかしい』の一言で切り捨ててしまうのは知性の敗北だと思うぞ?」
「何故いきなりかしこげなことを……」
「かしこいからな。まあ頭がおかしい教師のことは考えても仕方ないだろ。それより鯖さんも誘ってカラオケでも行かね?」
「今頭がおかしいの一言で切り捨てなかった?」
「よく考えたら、俺そんなにかしこくなかったわ」
二人は顔を突き合わせて笑った。ちなみに鯖さんというのは、同じクラスにいる共通の友人のあだ名である。鯖さんは二人とは少し離れた席で、もくもくと帰る準備をしていた。
「けど悪いんだが、ちょっとしばらく放課後は空きそうにないんだよな」
「そうなのか? なんか家の用事とか?」
「いや、家の用事というか……」
ちょっと異世界の王女さまと妹と妹の友達と迷宮探索の予定が入ってるんだわ、とはまさか言えない。いや、逆に正直に言ってけむに巻くのもありか、などと蓮太郎が逡巡していると、答える前にハトは驚いた表情で一歩引いた。どうしたのかと見ると、その視線は蓮太郎を外れて、その後ろの空間を見ている。何かあったかと振り返ると、このところ見慣れてきた無表情と至近距離で眼が合った。
「……」
無言で驚きながらハトと同じく一歩下がると、麻咲が口を開いた。
「伊坂くん。よかったら、今日一緒に帰らない?」
「……」
どうも、麻咲の方から先に話す機会を求めて来たらしい。
「……あー、用事ってそういう? い、いやーそれなら仕方ないなー。俺は鯖さんとゲーセンでも行くとするよー」
とは、勝手に事情を飲み込んで去って行こうとするハト。妙に棒読みなのは、麻咲の迫力にややビビっているためだろう。
「いや、そーゆーつもりじゃなかったんだが……そうだな。じゃあなハト」
「お、おう! じゃあな!」
そそくさと去っていくハトを見送って、じっと立ったままの麻咲に向き直る。
「じゃあ、行きましょうか」
「秋本さん、一緒に帰るのはいいんだけどね。ただ……」
「ただ?」
麻咲と話す機会を得られるのは、蓮太郎も望むところだ。しかし、その前に彼女に伝えておくべきことがある。そのことを告げようとした直後、その「伝えておくべきこと」がけたたましい声とともにやって来た。
「ア――――ニャ――――!!」
ばん、と教室の戸が開け放たれ、活発そうなポニーテールを揺らした少女が突入してきた。
「もうアーニャ何してるの! 下駄箱のとこで待ってたのにぜんぜん来ないから、こっちから来ちゃったじゃん。……おりょ?」
築音はざわつく空気を気に留めることもなく、教室の中央で向き合って立つ兄と麻咲のもとにきょときょとと近づいてくる。
「アーニャ、どゆ状況?」
「というわけで妹も一緒なんだけど、いい?」
蓮太郎は妹を無視して、固まったように突っ立っている麻咲に問いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます