5

 ラ・スボスの間は、昨日兄妹がウリユを運び出した時と変わらぬ状態で残っていた。ウリユの剣も、抜き身のまま床に転がっている。

「ほら見て友ちゃん、これがあたしが倒したラスボスの残骸」

「うんうん、すごいねー」

「信じてくれてない!?」

 壁の染みとなったラスボス跡を仲良く観光している二人をよそに、ウリユは剣を回収していた。刀身の汚れを拭いながら、ウリユは険しい表情をしている。

「むう……」

「どうかしましたか?」

「いや……やはり、力の大半が失われているようだと思ってな」

「力?」

「ああ、これはイスカーナ王家に伝わる宝剣でな。長い年月によって強大な魔力が込められていたのだ。私が一人でここまでの階層を突破してこれたのも、こいつの力のお陰だ」

 ウリユはいとおしそうに、その刀身を撫でた。宝剣というわりには装飾は華美でなく、むしろ無骨だった。唯一宝飾と言えるのは柄頭に嵌め込まれた水晶のような宝石のみだが、それも今はくすんで見えた。

「へえ、妹の聖剣ハチドリみたいなものですか」

「そうだな、元は言い伝えに聞く聖剣並みの力があったのは間違いない。もっとも今は力のほとんどを使い果たしているので、ただのよく切れる剣という程度だ」

「え……それって、まずいんじゃないですか? これからその剣で迷宮を突っ切って、帰らなきゃいけないんですよね?」

「おっとアーニャ、その心配はいらないさ!」

 と、割り込んできた築音。いつの間にかそばで話を聞いていたらしく、友の手を握り込んだまま器用に剣を抜いて高々とかかげた。友が「わわ」と慌てている。

「そのための聖剣ハチドリ! 安心してウリユさん! 迫りくるマモノは、あたしがばったばったとなぎ倒してあげるから!」

 ばばーんと宣言する築音だったが、ウリユは苦笑して首を振る。

「いや、その必要はないだろう」

「ほえ?」

「この迷宮に溜まっていた強力な魔力は、すべて築音の倒したラ・スボスに由来するものだったようだ。それが開放された今、おそらく魔物はほとんど残っていない。残っていたとしても、残り滓のような魔力に宿った雑魚ばかりだろう。力を失った宝剣でも、十分に対処できるさ」

「なあんだー」

 築音はつまらなさそうに、ちゃきん、と聖剣ハチドリを逆手に持って鞘におさめた。剣など扱ったこともないはずなのに、なぜかけっこうサマになっている。

「それに築音は聖剣の力を得たとはいえ、もとはただの学生なのだろう? なるべくなら、その力を振るわせるようなことはさせたくない」

「むーん、あたしはいいんだけどなー」

 不満そうな築音を、ウリユは手のかかる妹を見つめるかのような穏やかな視線で見守っていた。築音の内心はともかく、ウリユとしてはこのただの学生に一度は命を救われている。王族の誇りにかけても、またウリユ個人としても、この天真爛漫な少女に魔物との戦いを強いる気はなかった。

「それじゃ、次はどうします? 宝物庫の方に行ってみますか?」

「いや、この先の階層を少し確認してからにしたい。ラ・スボスの魔力解放の影響が出ていないとも限らないからな」

 ウリユのその提案は、すでに魔物の脅威などないことを示すためでもあった。

「おー、ついに迷宮アタックだね!」

「……分かっていると思うが、雑魚とはいえ魔物がいる可能性はある。なるべく、私の後ろにいるようにしてくれよ」

「はいなー!」

 はしゃぐ築音を諌めつつ、ウリユを先頭にラスボスの間を突っ切っていく。宝物庫へと続く扉とは反対側に、次の階層へと続くひと回り小さい金属扉があった。

 がこん。

 ウリユが体重をかけて、その扉を開いた。

「――は」

「――わ」

「――え」

 蓮太郎、築音、友の三人は、口をぽかんとあけて立ち尽くした。

 一歩を踏み込むとそこはすでに別世界だった。明るく、しかし厳しくはない光が空間を満たしている。その光に照らされて目に入ったのは、圧倒的な緑だった。日本ではあり得ないような規模の苔むした大樹が、捻れ絡み合うようにして並び立っている。競うように伸ばした枝々には葉が茂り、はるか頭上をすっかり覆い尽くしていた。

 振り返れば空間の中に先ほど入ってきた扉だけが唐突に存在しており、扉の後ろにも同じような光景が広がっている。三六○度の大森林地帯だった。

「す――――っごい!!」

「わあ……、これ、ホントに同じ迷宮の中なの?」

 はしゃぐな、と言われたことも忘れて、築音がぴょんぴょんと跳び回る。築音に引っ張られた友も、厚い枝葉に遮られた頭上を見通そうと落ち着きなく首を振っている。

 そして蓮太郎も、興奮気味にウリユに話しかけた。

「迷宮って聞いて、想像してたのとぜんぜん違いましたよ! ここって地下のはずですよね? どこから光が差してるんでしょう!」

 ウリユは黙して答えない。

「やっぱ魔法的なアレなんですかね! ねえウリユさん、ウリユさんはこんなすごい所を抜けてきたんですね!」

「……違う」

「……え?」

 蓮太郎はようやくウリユの様子がおかしいことに気づいた。その表情は愕然としていて、唇は小刻みに震えている。

「違う! 私が抜けてきたのは、石壁の通路が続く普通の迷宮だ! こんな――こんな広い空間じゃない!」

「ええっ!? じ、じゃあ、ここは一体……」

「――! 築音、下がれ!」

「ほえ?」

 呆然としているかに見えたウリユだが、突然弾かれたように走り出した。その先には、ぺたぺたと近くの樹木の感触を確かめていた、築音と友の姿がある。

 あっという間に二人に追いつくと、その襟首を掴んで強引に引き寄せた。

「ぐえっ」

「蓮太郎! 二人を連れて先に戻れ!」

「一体何が……!」

 その時、蓮太郎たちもそれを視認した。

 ねじれた木々と枝葉の陰から、まずはギラギラと輝く大きな目玉があらわれた。のそりと姿を現したそれは、猿の体にカエルの頭を据え付けたような、奇妙な生物だった。わずかに開いた口の中では、蛇のような細い舌がちろちろとうごめいている。

 三人は直感した、あれこそがウリユの言う『魔物』なのだと。

 しかし言われていたように、それが残り滓の雑魚だとは思えなかった。その体は人間の倍ほども大きかったし、なにより――

「わ、わわ……!」

「と、友ちゃんは下がって!」

「お前もだ、築音! 早く部屋に戻って扉を閉めろ!」

 ――ウリユの声には、まったく余裕が感じられなかったからである。

「でも、ウリユさんが!」

「私もこいつを片付けて、すぐに戻る!」

 それ以上問答をしている余裕はなかった。剣を抜き放ったウリユに、巨大な魔物が突進する。

「――っ!」

 蓮太郎たちは瞬時、その質量に押し潰されるウリユを幻視した。しかしウリユもさすが単独で迷宮を攻略してきた強者である。実際には間一髪でそれを躱し、背後に回り込んでいた。

 そして、無防備な背中に渾身の一撃を叩き込むが――

「チィッ、堅い!」

 ――剣は鈍い音を立ててその薄皮一枚を切り裂いたのみであった。振り返った魔物の反撃がまたウリユを襲う。

 ウリユは咄嗟に横に飛び、樹木を蹴って空中で方向を変えることで、それを躱した。

「な、なんか押されてない? 魔物は雑魚ばっかりって話じゃ……」

 顔を青ざめさせて、友がつぶやく。彼女たちは先に戻れと言われたものの踏ん切りがつかず、扉の付近でウリユの攻防を見守っていた。

「あっ、アーニャあれ!」

 築音が指さした先。戦いの気配に誘われたのか、森の奥から新たに似たような姿の魔物が這い出してこようとしていた。ウリユが相手にしているものよりも小型だが、数は四、五匹もいる。大型一匹の相手で精一杯なウリユにそれらが襲いかかれば、どうなるかは明白だった。

「……友ちゃん。友ちゃんはここにいて」

「つ、築音ちゃん!? どうするの!?」

「戦うんだよ! アーニャ!」

「おうさ!」

 兄妹にためらいはなかった。築音を前に、蓮太郎がその背中について飛び出していく。

「え、ちょっと……! 剣を持ってる築音ちゃんはともかく、お兄さんはどうするんですか!?」

 蓮太郎はちらと友のほうに振り返って、ニヤリと不敵に笑った。

「……こうするのさ!」

 小型魔物に飛びかかっていく、妹の背中に左手をかざす。腕輪の幾何学模様が光を放つ。友がはっと息を飲む、その目の前で――

「妹がんばれー!」

 ――蓮太郎は、力の限り応援を始めた。

「妹つよいぞ、かっこいいぞー!」

「ええ……」

 もちろん、友はドン引きであった。

「よおーしみなぎってきたー!」

 ……その絵面はともかく。蓮太郎の応援によって増幅魔法のかかった築音は元気百倍。一足に距離を縮め、今まさにウリユの背後に迫らんとしていた小型一体を切り捨てた。

「築音! 下がっていろと……」

 ウリユはその姿を見て言いかけたが、思い直して悔しそうに唇を噛んだ。自身の無力に向けられたその悔しさを呑み込んで、ウリユは一言だけ告げた。

「……加勢感謝する!」

「おうともさ――――!!」

 一方の築音は絶好調だった。兄の増幅魔法により全身をほんのりと発光させながら、次々と小型魔物を切り裂いていく。ウリユの剣を弾いたその分厚い皮膚も、聖剣ハチドリの前では布を裂くよりも容易かった。

 もちろんそんな妹に対する、兄からの声援も途切れることはない。

「やっちゃえ妹! いいぞ妹! キレてる、キレてるよー!」

「……」

 ちなみに、応援に熱が入るほどに友からの視線が冷たくなっていくことに、蓮太郎は気づいていなかった。

「とーーーっ!!」

 築音はあっという間に全ての小型魔物を仕留め、ウリユがどうにか相手をしていた大型の方へ向かう。

「ウリちゃん、下がって!」

「ウリちゃん!?」

 咄嗟に発せられたアダ名に驚きながらも、ウリユはタイミングを合わせて飛び退る。それと入れ替わるように築音が高々と跳躍した。

「アーニャ!」

「分かってる! 妹、世界一かわいいよ――――っ!」

「アーニャあた――――っく!!」

 ひときわ輝きを増した聖剣ハチドリが突き刺さる。ラスボスをも倒した築音の必殺技は、一撃で魔物を肉片も残さず蒸発させた。


「どーよ友ちゃん! あたしの活躍は!」

「うん、凄かったよ築音ちゃん! 昨日ラスボスを倒したっていうのも、盛ってたわけじゃなかったんだね!」

「やっぱり信じてくれてなかったね!」

 魔物を片付けた四人は、他に潜んでいる魔物がいないのを確認してラスボスの間に戻ってきていた。扉を閉めて、ようやくほっと一安心というところである。

 築音を褒めそやす友のところに、自分を指さしながら蓮太郎もやってくる。

「友ちゃん友ちゃん、俺の活躍も見てくれた?」

「あ、お兄さんはちょっと近寄らないでもらえます?」

「!? なんか誤解されてない!?」

 絵面としては、妹を戦わせておきながら後方から応援(しかも若干気持ち悪い)をしていただけだったので、残念ながら当然の評価であった。

 ――などと騒がしい三人と違って、ウリユだけは沈痛な面持ちで拳を握りしめていた。

「馬鹿な……あんな魔物、来る途中にもいなかった。どうしてラ・スボスを倒したのに、魔物が活性化している……?」

 蓮太郎たちもさすがに馬鹿話をやめ、ウリユの周りに集まってくる。

「……どういうことなんでしょうか」

「考えたくはないが、一応、思い当たる可能性はある……」

 ウリユは絞り出すように語り始めた。

「……ひとつには、ラ・スボスの溜め込んでいた魔力が想像以上に多かった可能性。何千年も突破されなかった迷宮の主だ、前代未聞の量になっていてもおかしくはない。そしてまたひとつには、封印が私の想像よりも強固だった可能性だ。……あるいは、この両方」

 真面目な顔で頷く蓮太郎たち。だが、もちろん話の半分も理解はできていない。

 真剣な面持ちでウリユは続ける。

「つまり、本来ならばラ・スボスが死んだことで解放される魔力、それが強力な封印によって、迷宮から出ることができなかったのだ。行き場をなくした魔力はこの迷宮内で渦巻き、暴走し、新たな階層と魔物を作り出したのだろう。……信じがたいが、そうとしか考えられない」

「えーと、つまり、あんなヤツが他にもいっぱいいるかも、ってことですか?」

「そうだ。……いや、もっと強力な魔物もいるかもしれない。たぶん、いるだろう。それどころか、階層がいくつあるかも分からん。さらに厄介なことには――」

 と、ウリユは兄妹の顔を見つめる。

「私を閉じ込めた結界は、迷宮に満ちる魔力を利用していると話したのを、覚えているか?」

「あ、それって……」

「そうだ。現状のままでは、地上に辿り着いたとしても封印を破ることができない」

「詰んでるじゃないですか……。方法はないんですか?」

「あるには、ある」

 方法があると言いながら、しかしウリユは苦い表情のままだ。

「……このイスカーナ王家の宝剣には、周囲の魔力を取り込んで力とする特性がある。そして魔物を倒せば、それはしばらくの間、純粋な魔力として空間に漂うことになる」

 口ごもったウリユの言葉を引き取って、蓮太郎が言う。

「ということは、片っ端から魔物を倒してまわって、その魔力を全部吸い取ってしまえば出られるかもしれないと」

「……そういうことだ」

 ウリユは頷く。しかし、それは不可能な方法だった。今のウリユでは先程のように、たった一匹の魔物にも苦戦する有様だ。とても現実的な案ではない。

 ――むろん、ウリユ一人ならば、ということだが。

「なーんだ!」

 だしぬけに発せられた築音の声が、重い空気を吹き飛ばす。

 しゃきんと聖剣ハチドリを抜いて、高々とかかげる。柄を握ったままの友が「わわ」と慌てている。

「言ったでしょ、そのための聖剣ハチドリ! 安心してウリユさん! 迫りくるマモノは、あたしがばったばったとなぎ倒してあげるから!」

 つい先ほど聞いたようなセリフに、思わず皆の表情がほころんだ。

「そうですよ、ウリユさん。巻き込むな、なんて言わないでくださいよ。俺たちはとっくにウリユさんを巻き込んじゃっているし、ウリユさんも俺たちを巻き込んでいるんです。こうなったら俺たちだって、全力を尽くしますよ」

 兄妹の言葉に、何か言いたげに口を開くウリユ。

 しかしその言葉を飲み込むと、覚悟を決めたように微笑んだ。

「……そうだな。これまで私は君たちを、民間人として遇してきた。たとえ国は違えども、イスカーナの王族として守るべき存在であると。しかし今、その認識は改めよう。……私の対等な仲間として、力を貸してくれるだろうか」

 ウリユの言葉に、兄妹は顔を見合わせてにいっと笑う。

「「おうともさ!」」

 かくして兄妹は、ウリユをもとの世界に帰すという決意を新たにした。

 横でそんなやり取りを見ていた友には、築音がどこか遠くに行ってしまったかのように眩しく思えた――

「任せてウリちゃん! あたしたち三人で、きっとお家に帰してみせるから!」

「……うん? 三人?」

 ――いつの間にか、数に入れられている友であった。

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