3

「さて、では何から話そうか。私としても、すべての事情を呑み込んでいるわけではないのだが」

 リビングに再集合して、ハチドリの柄に手を添えながらウリユが語り始める。

「改めて名乗ろう。私はウリユ・イスカーナ、イスカーナ王家の第一王女だ。イスカーナ王国はレプリア大陸でも最大の国家で、大陸外でもその名は知られているはずだが……聞き覚えはあるか?」

 聞き手の三人が顔を見合わせる。蓮太郎はスマートフォンを取り出して操作し

「ぐぐっても、それらしいものは出てきませんね」

 と首を振った。

「ぐぐる、というのはよく分からないが、そうだろうな。私としても、レプリアにこのような場所があるとはとても信じられない。ここは――」

 ウリユはぐるり、部屋を見渡してため息をつく。

「――あまりにも、イスカーナとは違いすぎる。調度品や家屋、食物など、どれをとっても見たこともないものばかりで、私の知る何とも似ていない」

「そうでしょうね。そもそも私達の世界ではもう、未知の国なんてないのよ」

 母は紅茶をウリユのカップに注ぎ足しながら、何でもないことのように言った。

「私達の住む地球という星は、もう地表のどんな場所にどんな国があって、どんな人々が住んでいるのか、すべて判明しているの。だから、あなたの住んでいたという国が、こちらで知られてないということは……」

 ここで妹が言葉を引き取って、

「少なくとも、地球上にはないってことだね。……ていうかお母さん、ノリノリで進めないでよ。ウリユさんはわたしたちが連れてきたんだからね!」

 と、母に向かってぷうっと頬を膨らませた。

「あら、ごめんなさい。お母さんは大人しくしてるわね」

 聖剣の所有者という地位を脅かされて、先ほどから母を警戒している妹である。そんな様子はさておき、ウリユは話を続ける。

「……あなた方の話の全てを理解できるわけではないが、そういうことなのだろう。あの迷宮、『試練の大穴』はレプリアとはまったく異なる場所、異世界に繋がっていたというわけだ。そしてこれは、私の知っている伝承通りでもある。……まさか本当だとは思っていなかったが」

「伝承というのは、どういうものでしょうか?」

 蓮太郎が茶菓子を取り上げつつ訊いた。彼だけは少しあらたまった言葉遣いになっている。

「そのままの伝承だよ。『試練の大穴』――昨日私と蓮太郎たちが遭った迷宮は、イスカーナでも最大の迷宮とされている。踏破したものは未だかつていないが、その最奥は異なる世界に通じているという伝承だ」

「誰も辿り着いてないのに、なんで分かるの?」

 妹の築音のほうは、平素と変わらず気安い口調に戻っている。

「私もこの伝承を聞いたとき、そう思った。だから眉唾ものだと思っていたのだが、こうして私がここにいることを考えると、真実だったようだ。してみると伝承もただの伝承ではなく、太古の昔には最奥を確認したものがいたのかもしれないな」

「そして、ウリユさんはその誰も成し得なかった最奥に辿り着いたというわけですね」

「辿り着いたとは言えないかな。君たちがいなければ、その前に力尽きていただろうから」

 淡々と告げるウリユに、蓮太郎はひとつ疑問をさし挟んだ。

「それなんですけど。ウリユさんはお姫様なんですよね? そんな人が、どうして命の危険があるような迷宮に、たった一人で挑んでいたんですか?」

「それは……語ると長い話になるが、構わないか?」

 少しつらそうな表情で言うウリユに、三人は頷いて居住まいを正した。やがて始まったウリユの物語は、聞くも涙、語るも涙の大冒険譚であった。

 曰く、『試練の大穴』にはそもそも独りでないと入ることができない魔法がかかっていた。また試練の大穴はその名の通り、イスカーナ王家に連なるものが実力を示すための『試練』として利用される迷宮であった。ウリユもその習慣に従って、十八の誕生日にこれに挑んだのがことの始まりである。

(十八というと、俺と一つしか変わらないのか。もっと上かと思ってたけど……異世界だし一年の長さとか、発達の具合とかも違うんだろうか)

 蓮太郎はそんなことを考えつつ、ウリユの人間離れした美貌につい見惚れそうになるのをこらえながら神妙に話を聞いている。

 ウリユの話は続く。この試練はあくまで儀礼的なものであり、ウリユは万全な準備を整えられたうえで、一晩を迷宮のごく浅い階層で過ごすだけのはずだった。しかしおそらくは王家の対立する派閥の手の者によって、一つしかない迷宮の入り口が封印されてしまったのだという。

「封印は解くことを考えていない強力なもので、私はそのまま迷宮で魔物に討たれるか、餓死することを望まれていたのだろう。しかし、政敵の思惑通りにするつもりはなかった。私は幼少の頃より剣を学んでおり、その腕前には自信があった。また、私の側近が不測の事態に備え、多めの食料と、王家に伝わる強力な装備を持たせてくれてもいた。私はそれらを考慮のすえ、ただ助けを待つよりはと、迷宮の攻略に乗り出したのだ」

 そうして前人未踏の迷宮に挑むことになったウリユは、数多の幸運にも恵まれつつ困難な道のりを突破し、大冒険の末に最奥にてあのラ・スボスと対峙することになったのだという。

「……とまあ、ざっとかいつまんで話せば、そういう訳だ」

「うわあ……すごいね」

 圧倒されて築音が言った。兄妹とさして年齢も変わらないウリユだが、その言葉には王族という特殊な立場で培われてきた重みのようなものがあった。ぽっと出で不思議な装備の力を使ってラスボスを倒してしまった兄妹としては、申し訳なさを感じないでもない。

「なんていうか……大冒険だったんですね」

「ああ。……そしてまだ、それは終わりではない」

 ウリユは紅茶を一口含むと、ティーカップを置いて言った。

「……助けて貰っておいて勝手を言うようだが、私はまたすぐに戻らなければならない。入り口を封印した不届き者については見当がついているのだ。私は王家につらなる者として、一刻も早くイスカーナに戻って奴らを断罪し、秩序を取り戻さなければならない」

「入り口は封印、だか何だかされてるんでしょ? 帰れるの?」

「封印は迷宮に満ちる魔力を利用したものだった。それゆえに強力で破ることができなかったのだが、その魔力の源たる迷宮の主が斃れた今なら、破ることができるはずだ。だからこそ、私も深部を目指したのだからな」

「はあ……」

 魔力とかの理屈はよく分からないが、そういうことらしい。ウリユはぺこりと頭を下げる。

「そういうわけだから、早速迷宮に繋がるという『ひみつきち』とやらに案内してもらえないだろうか」

「ええっ、今から!?」

「もちろん、ウリユさんを元の世界に戻すための協力はしますけど……」

 兄妹がうろたえていると、ここまで大人しく話を聞いていた母が助け舟を出した。

「ウリユさん、帰るといっても、迷宮というのは一日で踏破できるものなのかしら?」

「……転送装置が動いていれば。だが、望み薄だと思う。とはいえ一度は踏破した迷宮だ、時間はかかろうと問題はない」

「でも、その間の食べ物とか……他にもよく分からないけど、準備した方がいいんじゃないの? 少し待ってくれれば、用意してあげられるんだけど」

 その指摘にはウリユもぐっ、と詰まる。

「しかし……こちらの世界では私には返せるものがない。そこまで良くして頂くわけには……」

「そんなことないよ!」

 築音はテーブルに手をついて、ずいっと顔を寄せた。

「ウリユさんの存在が、違う世界のお話が、わたしたちにとってはすっごくワクワクするプレゼントだったもん! ぜひ協力したい、っていうか、協力させて欲しいの!」

「築音……」

「そうですよ。それにねウリユさん、あの迷宮に関しては、俺たち兄妹もあながち無関係じゃないのかなって気がするんですよね」

「蓮太郎、それはどういうことだ?」

「そもそも、何であの場に俺たちがいたかっていう話なんですけど」

 蓮太郎はウリユに、兄妹の遊び場にあった不思議なほこら、秘密基地大明神様のことを話した。そして長年どうやっても開かなかったそれが、あの時突然に開いたのだということ。

「――というわけで、あのほこらが開いたのは、タイミング的にウリユさんが最下層に来たあたりだと思うんですよね。そこでちょうどほこらが開いて、たまたまその場にいた俺たちが中に入って、聖剣やらを発見して……っていうのは、ただの偶然じゃなくて、なんか意味があることのような気がするんですよ」

「秘密基地大明神様のお導きだね! たしかそんな設定もあった気がするよ。設定ノート持ってきてあげようか?」

「ありがとう妹。でもいいよ、座ってな」

 立ち上がりかけた妹を座らせて、蓮太郎はあらためてウリユに向かって微笑んだ。

「そういうわけで、あそこは俺たちにとってはそれなりに思い入れのある場所ですし――それに成り行きとはいえ、ウリユさんをこっちに引っ張り込んできたのは俺達なわけですからね。今更変な遠慮なんてしないでください」

「大したことはできないけど、お弁当くらいなら作ってあげられるわよ~」

「蓮太郎、ご母堂……。そうですね、私は本当に、よき人たちに助けられたようだ」

 ふっと表情を緩めて、ウリユは頷いた。

「確かに蓮太郎と築音が聖剣と腕輪に出会い、私を見つけてくれたことには不思議な縁も感じる。お言葉に甘えて、存分に頼らせていただくことにしよう。イスカーナに無事帰るため、ご助力いただけるだろうか」

「はい!」

「はいな!」

「がんばるわ~」

 かくして伊坂家には、『異世界の王女、ウリユ・イスカーナを無事もとの世界に戻す』というミッションが発令されたのであった。

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