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「でさ、アーニャ」

「なんだ、妹」

 伊坂兄妹の家は市街から少し離れて、山の斜面を這い登るように建てられた住宅地のいちばん奥にある。その急な坂道を、二人は並んでぽてぽてと歩いていく。

「やっぱりあの勇者さんって、異世界人的なアレだよね」

「そういうことに、なるんだろうなぁ」

 それが今日いちにち考えたうえでの、兄妹の結論だった。

「異世界なんてものの存在は信じがたいし、そもそも異世界ってなに? って感じだが、今のところ他に考えようがないからな。巨大な手で襲ってくるドクロとか、聖剣とか、応援すると強くなる腕輪とか。あれが地球上のものだと思うよりは、どこか根本的に違う法則のもとに起こったことだという方がまだ信じられる」

「だよね。それに、聞いたこともない不思議な言語喋ってたし、翻訳魔法なんてのもあるみたいだし」

「不思議言語の方は、俺は実際には聞いてないんだけどな」

 蓮太郎のほうは腕輪を身につけたままであったため、謎言語については聞いていない。だが思い返してみれば、聞こえる言葉と口の動きにどこかズレがあったような気はしていた。

「まあ詳しいことは、あの人が起きたら聞いてみるしかないな」

「うん、目が覚めてるといいねえ。傷は治ってたように見えたけど……」

 今は築音の部屋で寝ているはずの女戦士を思いやる。傷は治ったように見えたとはいえ、負っていた傷の深さや流した血の量を考えると、目に見えないダメージが残っていることも心配であった。

 と、蓮太郎はふと、その逆の場合について思い当たった。

「あれ、待てよ。もし俺らがいない間に、目が覚めてたとしてさ」

「うん」

「母さん、言葉通じないんじゃね?」

「あ……」

 兄妹の家に父親はいないため、母は言葉の通じない異世界人と二人きりということになる。二人はその意味することについて考える。

「あの人の立場になってみるとして、目が覚めたらぜんぜん知らない場所にいて、言葉も通じないって状況だったら……」

「……パニックになる、かもな」

「それでなくてもあたし達、あの女戦士さんのこと何にも知らないよね。なんであそこで戦ってたのとか……」

 お互いに顔を見合わせる。考えてみれば、そのいかにもな見た目からなんとなくラスボスが悪、女戦士が善と勝手に思い込んでいただけである。その根拠は何もない。

「急いで帰ろう!」

「おうさ!」

 二人は頷きあうと、全速力で駆け出した。


「たっだいまー!」

「ただいま!」

 どたばたと騒がしく兄妹が帰宅すると、リビングから母の声がした。

「おかえりなさーい」

 それでとりあえずはほっと一息つく兄妹である。靴を脱ぎながら乱れた呼吸を整えていると、さらに母が何か言っているのが聞こえた。今度は兄妹に向けたものではなく、どこかよそいきの声だ。

「騒がしくてごめんなさいね。うちの子たちが帰ってきたみたい」

 リビングのドア越しに、そんな言葉がかすかに聞きとれる。

「? 誰か来てるのかな?」

「この家に客なんて珍しいけどな。……母さん、入るよー」

 構わずリビングに入った兄妹は、予想外な光景に面食らった。

 テーブルの上に並べられたサンドイッチ、ティーポット、お茶菓子。

 それらを挟んで、母と女戦士が和やかに談笑していたのである。

「……普通に打ち解けてる!?」

「おかえりなさい。つい先程目を覚まされたのよ」

 まるで親しい親戚の来訪を知らせでもするように、軽い調子でそう母は言った。

「何でも、イスカーナ王国っていうところのお姫様なんですって」

「しかもめっちゃ話進んでる!」

 女戦士の正体について想像を巡らしていたところに、まさかの母からのネタバレである。

「あ、君たちは……」

 その女戦士は立ち上がると、兄妹に向かって完璧な微笑みを浮かべた。

「昨日は助けて貰ったのに、お礼もできずすまなかった。私はイスカーナ王国の第一王女、ウリユ・イスカーナだ。君たちは命の恩人だ、本当にありがとう」

 汚れていた鎧は脱がされ、築音のお古のパジャマを着せられてはいたが、あらためて見ると特別なオーラをまとった女性であった。肩に切りそろえた鮮やかな空色の髪はもちろん、その堂々とした表情や立ち居振る舞いだけを見ても、異国のお姫様という自称が腑に落ちる。築音はやや圧倒されながら、ぺこりとお辞儀をした。

「い、伊坂築音です。ど、どういたしまして」

「築音の兄の伊坂蓮太郎です。もう怪我のほうはいいんですか?」

「ああ、君が飲ませてくれた霊薬の効果で、すっかり元通りだ。もっとも」

 ちらと机の上の皿を見て、ウリユは照れくさそうに笑う。

「空腹の方はいかんともしがたかったので、ご母堂に手料理をご馳走していただいたところだ。何とも不思議な見たこともない料理だったが、大変に美味であった」

「あらあら、王族の方だっていうから口に合うか心配だったけど、良かったわあ」

「……母さん、なんか普通に受け入れてるね」

「なんだか不思議な空間からいらしたんだってねえ。びっくりしたけれど、言葉が通じるんだから話して分からないことはないわ」

 と、すでに母はすっかり事態を諒解している様子だった。この順応の速さはさすが兄妹の生みの親といったところである。

「……ってそう、それ、言葉! なんで通じてるの!?」

 築音がいちばんの疑問を口に出すと、ウリユは頷いてテーブルに置いている自分の右手を示した。よく見るとテーブルの上には鞘に入った聖剣ハチドリが置いてあり、その柄にウリユの手がそえられている。

「ああ、聖剣ハチドリといったか、勝手ですまないが使わせていただいている。私には重くて使いこなせないが、翻訳魔法の恩恵にあずかるだけなら、私でも問題ないようだな」 

「それねえ、つくね、あんたの部屋にあった剣使わせてもらってるわよ」

「使わせてもらってるって……」

 母の話によると。目を覚ましたウリユと言葉が通じず困っていたところ、ウリユが部屋の隅に立てかけられている剣をしきりと指差すので、試しに持ってみたら言葉が通じたのだという。しかしそうなると、築音にはもうひとつ疑問が持ち上がった。

「でもそれ、よくリビングまで運べたね? めちゃくちゃ重くなかった?」

「? そんなことないわよ、ほら」

 母は聖剣ハチドリを、片手で軽々と持ち上げて見せる。

「なんで!? わたしにしか使えない選ばれし者の聖剣じゃないの!?」

「そういう話だったの? ごめんなさいね、お母さんそういうの詳しくないから」

「詳しい詳しくないの話じゃないよ!」

 取り乱す築音に、ウリユがフォローに入る。

「実際、私には重くて動かせもしなかったが……。築音は昨日見事に使いこなしていたし、ご母堂も軽々と扱っていらした。何か条件があるのかもしれないな」

「条件かあ……。そっか、わたしだけの剣じゃなかったのか……」

 母という思わぬ伏兵に、自分の幻想を打ち砕かれた築音である。

「それよりもあなた達、いつまで手も洗わずに立ち話してるの。聞きたいことはお互いたくさんあるでしょうけど、まずはちゃんと着替えてきなさい。紅茶を淹れてあげるから、改めてゆっくり話をしましょう」

「はーい」

 拍子抜けした気分で、兄妹は言われた通りにするのだった。

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