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 聖剣ハチドリの輝きが収まり、ラスボスの広間は一瞬の静寂に包まれた。顔をあちこち煤だらけにした妹は、壁に刺さったままの聖剣から手を離し、あんぐりと口をあけて振り返る。

 その視線の先には、同じようにあんぐりと口をあけた兄が突っ立っている。

「あ、アーニャ……」

「い、妹……」

 茫然とつぶやいた兄妹は同時に我に返り、弾かれたように互いに駆け寄る。両手を大きく広げてジャンプし、部屋の中央でぶつかりあうようにして抱き合った。

「あーんアーニャー! 怖かったよー!」

「妹ー! 無事でよかったー!」

 二人は抱き合ったままぐるぐると回りつつ、そして兄は妹の髪をわしゃわしゃやりつつ、互いの無事を喜びあった。

「すごいぞ妹、ラスボスを倒しちゃうなんて! どうやったんださっきの技!」

「なんかがんばったら出たの! でも、アーニャの応援のおかげだよー!」

「いいや、応援しかできなくてごめんな。ところで引き出しの二段目には何が入ってるんだ?」

「その応援のおかげで勝てたんだよー! あと引き出しのことは忘れて!」

 そんな調子でやたらと早口で語り合いながら、ぐるぐると奇妙なダンスを踊る二人である。

 が、同時に何かを思い出し、ぴたりと向き合った状態で止まった。

「と、こうしてる場合じゃなかった!」

「勇者さんの様子を見ないと!」

 慌てて壁際に倒れ伏したままの女戦士に駆け寄る。手を添えてそっと仰向かせると、ううんとうめき声をあげた。どうやらまだ意識はあるらしい。

「大丈夫ですか!」

「ぐぅっ……。や、奴は……」

「ラスボスなら妹が倒したんで安心してください!」

「そ、そうか……大した、ものだ……」

 女戦士はあえぎながらも、血に塗れた表情をふっと和らげる。兄はそんな彼女の怪我の状況をひとめ見て、素早く決断をくだした。

「救急車……は異空間までは来てくれないよな。妹、運び出すぞ」

「ほいさ!」

「ま、待て……」

 さっと阿吽の呼吸を発揮して上下に回り込む兄妹だったが、女戦士はそれを慌てて制止する。

「むっ、何でしょう!」

「胸ポケットに……薬が……。それを……飲ませて……」

「わかりました!」

 兄は勢いよく頷くと、なんの躊躇もなく女戦士の胸元に手を突っ込んだ。

「!? アーニャなんでいきなりセクハラしてんの!?」

「え!? いや、だって頼まれたから!」

「頼まれたって……、アーニャ、この人の言ってることわかるの?」

「分かるだろ? 普通に日本語喋ってるし」

「ええ!? 聞いたこともない言語喋ってるように聞こえるけど!」

「そうなの!?」

 どうやら兄妹で認識が食い違っているようである。しばし首を捻る兄妹であったが、女戦士が震える手でいずこかを指し示したので、黙ってそちらを見た。そこには先ほど『アーニャあたっく』を放ってから壁に突き刺さったままの、聖剣ハチドリがあった。

「たぶん、あの剣と、その腕輪に、翻訳の魔法が……」

 息も絶え絶えながら説明してくれる女戦士。どうやら妹は現在聖剣ハチドリを手放しているため、翻訳の魔法が切れ、女戦士の喋る謎言語を理解できなくなっているものらしい。

 兄がその言葉を翻訳して伝えると、妹はぽんと手を打って合点した。

「そうだったの! ああ、だからさっきのラスボスも日本語喋ってるように聞こえたんだね!」

「なるほど……って、すいません重症なのに説明させて! えっと、薬ですよね!」

 ふたたび胸に手を突っ込む兄に、今度は妹も異議をさし挟むことはない。

「あった、この小瓶ですか?」

 力なくうなずく女戦士に、兄はそっと手をそえて薬が飲みやすいよう首を持ち上げた。

「じゃあ、口あけてください……よいしょっと」

 口元に薬瓶をあてがい傾けると、こくこくと女戦士の喉が動いて薬を飲み下していく。大半が喉の奥に収まったところで、彼女はびくんと体をふるわせ、軽くむせた。

「げほっ、げほっ」

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫、だ。ありが、とう」

 言い終わるやいなや女戦士は目を閉じて、力が抜けたようにがくりと首を横たえた。

「死んだ!?」

「いや死んでないよ! たぶん寝ただけ……っておい、妹見ろ!」

「えっ?」

 見ると、女戦士の身体からほんのりとオーラのようなものが立ち上り、傷がみるみるうちにふさがっていく。またたく間に瀕死だった女戦士の身体は、血で汚れてはいるものの、傷ひとつない状態になっていた。

「アーニャ、これラストエリクサーだよ! きっともったいなくて最後までとっておいたんだ!」

「お前はもうちょっとゲームから離れたほうがいいんじゃないか? ……まあでも、実際似たようなもんではあるのか。戦闘中に使わなかったのは……」

 改めて女戦士を見るとすうすうと安らかな寝息を立てており、喧しい兄妹の会話にも起きる気配はない。

「副作用で、寝ちゃうとか?」

「みたいだな」

 兄は安らかに眠る女戦士を見下ろし、腕を組んで宣言した。

「となると、このままここに置いていくわけにもいかん」

「お持ち帰りする?」

「言い方! ……ロープで引っ張り上げるしかないな。重労働だぞ、覚悟しとけよ」

「はいさー!」

 兄妹は女戦士を吊り上げる準備を整えるべく、慌ただしく駆け出していくのだった。


  ◇  ◇  ◇


 けわしい山道に、傾きかけた夕陽が差し込んでくる。そんな中を男がひとり、滝のように汗を流しながら、女を背負って歩いていた。言うまでもなく、女戦士をかついで帰路につく兄の姿である。その後ろには、背中を押す妹の姿もある。

「ふう、ひい……」

「がんばれ、がんばれー」

 兄妹は即席の担架を作って、ぐっすりと眠り込んだ女戦士を苦労のすえに祠の穴から引き上げたのだ。今は山道も半ばを過ぎ、山際にある兄妹の住まいがそろそろ見えてこようかというところだった。

「……ねえアーニャ」

 女戦士の身体を支えながら、妹が兄の背中に呼びかける。

「うん?」

「この人、病院に連れてくの?」

「どうかなあ。傷はすっかり塞がったみたいだし……。この人たぶん保険証とか持ってないんじゃないかなあ」

「そりゃ保険証持ってたらびっくりするよ」

「というか身分証というか……どう見ても日本人じゃないし」

「うん、地球人かどうかも怪しいよね」

 肩越しに振り返ると、女戦士の髪の鮮やかな青色が目に入る。日本どころかこの世界では、自然には存在しない髪色だ。顔の造形も日本人ばなれというか、むしろ人間ばなれして整って見える。そんな国籍不明な人間、しかも血だらけの人物を担ぎ込んだら、間違いなくちょっとした騒ぎになるだろう。

「ま、とりあえずうちに泊まってもらうしかないだろ」

「そうだねー」

 そうこう言ううちに、兄妹の住む家の赤い屋根が見えてきた。もうすっかりと日は暮れて、周囲は薄暗くなっている。隣家とはかなり離れているうえ、庭木が生い茂っているため見咎められることはないだろう。

 兄妹はほっとした気分で、我が家のドアを開けた。数時間前にも出入りしたはずのドアが、なにかとても懐かしいもののように感じられる。長い長い放課後だった。

「「ただいまー!」」

 中で二人の帰りを待っているだろう母に向けて、妹が声を張り上げる。

「お母さーん! なんか勇者っぽい人持って帰ってきたんだけど、家に置いてもいいー?」

「犬猫みたいに言うな」

「ちゃんと自分たちで世話するからー!」

「だから犬猫みたいに言うな」

 ふたりを迎え入れて、ドアがぱたりと閉まる。かくして兄妹の放課後異世界探検の、記念すべき一日目が終わったのであった。

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