3
「グハハハハ……」
一方その頃。とある迷宮の最下層では、やはりラスボス然とした魔物と女戦士が対峙していた。だが先ほどとは違い、今でははっきりと女戦士の方の旗色が悪かった。魔物の側は何本か爪を折られてはいるものの、なんら痛痒を感じているようではなく、勝ち誇ったように高笑いをあげている。その前でどうにか剣を構える女戦士は満身創痍で、今にも膝をつきそうだった。
「思っていたよりは手こずらされたぞ。だが、それもここまでだな」
「くっ……」
悔しそうに歯噛みする女戦士だが、もう立ち向かうだけの力は残っていないようだった。
「ここまで来たことは褒めてやるが、その程度ではわが宝物庫に通してやるわけにはいかんな」
魔物はそう言って、背後にある扉のほうにチラリと目をやった。固く閉ざされた扉には豪華かつ悪趣味な装飾が施されている。その意匠はどこかの兄妹が『なんかラスボスいそうだから後回しにしよう』と言っていた扉によく似ていたが、おそらく偶然の一致であろう。
「何か言い残すことがあれば、聞いてやってもよいぞ」
爪を構えつつにじり寄る魔物を、女戦士はなにも言わず睨みつけた。
「何もないか。……では死ねえいっ!」
魔物が腕を振りかぶった、その時である。
がちゃり、と音がして、魔物の背後の扉が開いた。
「おじゃましもーっす」
世界観にそぐわない呑気な声と共に入ってきたのは、世界観にそぐわない上下ジャージ姿の少女だった。
「……え?」
ぴたりと動きを止めた魔物は、あまりに予想外だったためか、あまりラスボス然としていない声をあげて振り向いた。髑髏の顔にかくはずもない汗をにじませつつ、ぽっかりと空いた眼窩の奥に輝く赤い瞳がとらえたのは、好奇心に満ちた瞳をまん丸に見開いたポニーテールの少女だった。少女はドアの奥に振り向いて言った。
「アーニャどうしよう、なんかマジでラスボスいたわ」
固まっている魔物をよそに、妹は相変わらず呑気な口調である。
「マジか」
と返ってくる声も、どこまでも緊張感のない男子高校生のそれであった。予想外の出来事に固まっていた魔物はそこでようやく立ち直り、闖入者に向かって大声をあげた。
「な、なんだ貴様ら!? どうやってそこに入った!」
そんな魔物と顔を見合わせて、妹はぱちくりとまばたきをする。そしてまた兄に向かってこう言った。
「アーニャ、ラスボスめっちゃ日本語喋ってるんだけど」
「マジかよ、さすがラスボスだな」
「無視するなっ! どうしてその扉から出てくる! どこから入った!」
魔物が激高して叫んだ。その身体は完全に兄妹の方を向いており、この場にいるもう一人の存在はこのチャンスを見逃さなかった。無防備に背中を晒す魔物に、女戦士が最後の力を振り絞って突進する。
「ハアッ!」
「ぐうっ!?」
魔物の背中に、体当たりをするように長剣を突き刺す。剣は狙い違わず胴を貫き、腹部から刃先が飛び出した。それを見て、ぜんぜん関係がないはずの妹が声をあげた。
「やった!」
「おお、ほんとだ。マジで戦ってる」
続いて入ってきた兄も呑気な感想を漏らす。あまりに現実感のない光景すぎて、兄妹は逆にシリアスになれないでいた。そんな二人の招かれぬ観客が見守る中、女戦士の攻撃にわずかに身をゆるがせた魔物は、しかし倒れることなくニヤリと笑った。
「ふん、まだこんな力が残っていたとはな……。だが!」
刺さった剣はそのままに、振り向きざまに爪を振るう。
「がはっ!」
女戦士にそれを防ぐ力はすでに残っておらず、もろに攻撃を受けて吹っ飛ばされた。彼女は壁にぶつかって止まり、力なくその場に横たわる。
「ふんっ」
魔物はそんな女戦士を見下ろしつつ胴に刺さった剣を抜き、床に放り捨てた。傷口からは緑色の血液が流れ続けているが、大したダメージではないようだ。
「アーニャ大変、勇者っぽい人が、ラスボスっぽい奴にやられちゃった」
「そうだなあ……って、ひょっとして冷静に実況してる場合じゃないんじゃないのかこれ。逃げたほうがよくない?」
「え、でも……」
ようやくただならぬ事態に焦り始めた兄が手招きするが、妹はさきほど吹き飛ばされた女戦士を見つめたまま立ち尽くしていた。彼女はまだ息があるようで、わずかに胸を上下させている。魔物はあらためて兄妹に向き直り、鋭い爪をかまえた。
「次は貴様らの番だ、侵入者め! どうやって入ったかは知らんが、ここに足を踏み入れた以上生かしてはおけん!」
「ほらメチャメチャ怒ってるっぽいし。妹、はやく!」
「で、でも」
妹はなおも二の足を踏んでいた。
「あの女の人、このままじゃ死んじゃうよ!」
「俺らもこのままだと殺されるんじゃないか?」
「死ねえええっ!」
躊躇する兄妹を、ラスボスは待ってくれなかった。長い爪を伸ばして突進してくるその異形に、兄妹は悲鳴に近い声をあげる。
「妹――――っ!」
「ひえええっ!」
次の瞬間、甲高い金属音が鳴り響いた。
妹がのけぞりながらも咄嗟に引き抜いた剣が、魔物の爪と交錯したのだ。思わず目をつぶっていた妹がおそるおそる目を開けると、そこには恐ろしい爪をしっかり受け止めている自分の剣と、驚愕に目を見張る魔物の姿があった。
妹はきょとんとした顔で、こう言った。
「あれっ? アーニャ、こいつ意外と強くないよ?」
「「えー!?」」
驚いたのは、兄と魔物の両方である。
「マジで? そんなラスボスみたいなのに?」
「うん、だって攻撃めちゃくちゃ軽いし」
と言って妹が剣を振ると、受け止めていた爪は他愛もなく折れて飛んだ。魔物はたたらを踏んで後じさる。
「何だと、こんな小娘が……!?」
「妹すげー! 伊達に番長やってないな!」
「やったことないし! きっとこの剣がすごいんだよ。伝説の聖剣なんちゃらみたいな!」
「いや、勝手に聖剣にすんなよ」
調子に乗る妹をたしなめる兄であったが、
「ば、ばかな……」
と、魔物は震える指先で妹の持つ剣を指さした。
「……なぜ貴様がその『聖剣ハチドリ』を使いこなしている!」
「!? ほんとに聖剣だった!」
妹はここぞとばかりに胸を張って、聖剣だったらしいハチドリと呼ばれた剣を掲げて見せた。
「ふふん、年貢の納め時だね、ラスボスさん!」
「小娘が。どこで我の名を聞いたかは知らんが、このラ・スボスの力を見くびるなよ……!」
「しかもほんとにラスボスさんだった!」
兄の突っ込みをよそに、ラスボス氏は妹に向かって爪を折られた右腕を突き出し、何やら詠唱を始めた。
「この私をコケにしたこと、地獄で悔いるがいい……!」
兄妹は知る由もないことだが、それは先ほどの女戦士戦でも見せなかったラスボス氏にとっての切り札だった。さすがに日本語には聞こえない呪文をぶつぶつと呟くや否や、手首から先が禍々しい光を放ちながら巨大化していき、あっという間に氏の姿を覆いつくすほどの大きさになった。
「なんかヤバそうな技使ってきたぞ、大丈夫か?」
「よゆーよゆー!」
かたや、緊張感のかけらもない兄妹である。妹は「てやーっ!」などと気の抜ける声を発しながら、ラスボス氏の巨大化した手に向かって突進した。
「舐めるな!」
ラスボス氏も巨大化した手を盾にするように押し出して応戦した。妹の振り下ろした剣が手から発する靄のようなものとぶつかり、拮抗する。
「くぬぬぬぬ……!」
「ぐぐぐ……!」
部屋の中央、妹とラスボス氏は鍔迫り合いのように押し合った。今やラスボス氏の手は妹の体躯よりも大きい。にもかかわらず、何やらよく分からない聖剣パワー的なものが妹の体を覆っており、おかげでかろうじて潰されずに済んでいるようだった。
「な、なあ妹。けっこう互角に見えるが大丈夫か?」
「た、たぶん?」
と答えてはみたものの、妹は互角どころかに押されはじめていた。やむなく一歩あと一歩と後じさるなかで、ついに泣きが入った。
「無理無理、これヤバいやつだ! ごめんアーニャ、ラスボスやっぱり強かったわ!」
「い、妹――――!?」
ようやく焦り始めた兄妹に、ラスボス氏が手の向こうから勝ち誇ったような声をあげる。
「フハハハ! その聖剣はこの我がかつて持ち主を倒し、奪ったもの! 小娘ごときが持ち出してきたところで、負ける道理はないわ!」
「そうなの!? じゃあなんかビビッてたみたいなリアクションやめてよね!」
言い合っている間にも、じりじりと妹は体ごと押し込まれていく。
「ど、どうしよう、このままじゃ妹が……何かないのか!」
暢気な兄妹の脳裏にも、この期に及んではさすがに死という一文字がちらつき始めていた。兄は慌てて辺りを見渡すが、役に立ちそうなものは見当たらない。先ほど放り捨てられた女戦士の剣も、ラスボスとの位置関係からして拾いに行けそうになかった。
その間にも刻一刻と状況は切迫し、妹はすでに壁際まで追い詰められ、ついには壁に背をつけてどうにか押しつぶされないよう踏ん張っている有様だった。ラスボスの指の隙間から妹が叫んだ。
「む――――り――――! つぶれる! 新鮮な挽き肉になっちゃうよー!」
「くそっ! 俺もなにか武器を持ってくるんだった! こんな腕輪じゃなくて……!?」
破れかぶれにでも素手で殴りかかることすら考えはじめていた兄だったが、ふと左腕の腕輪に目をやって、はっと息をのんだ。腕輪の表面に光るように浮かび上がった幾何学模様、それが今、自ら主張するように明滅を繰り返していたのである。
「何だ……これ、文字なのか? 読める、読めるぞ!」
それはアルファベットとも漢字仮名とも似つかない文字であったが、なぜか兄の脳裏にその意味を伝えてきていた。
「『真言を唱えよ』……? 真言ってなんだ!?」
意味は分かっても理解はできず、気ばかり焦る兄は地団太を踏み、妹はいよいよ追い詰められ、悲痛な叫び声をあげる。
「あーにゃー! あたしが死んだら二番目の引き出しは見ずに燃やしてねー!」
「何が入ってるんだ!? ……じゃなくて諦めるな! もうちょっとがんばれ!」
そうやって兄が反射的に妹を励ました瞬間――
――腕輪の文字がいっそう強く光り輝いたかと思うと、その光が弾けるように拡散した。それらは蛍のように不規則に飛んで、妹の身体へとまとわりついていく。
「およ……?」
光に包まれながら、妹は不思議そうに手元を見て、あらためてぐっと力を込めた。
「なんか楽になった気がする! アーニャ、いまのもっかい言って!」
「何が入ってるんだ!」
「そっちじゃない!」
兄ははっと気づいた様子で腕輪を見た。そして確信をもって、腕輪をした左手を妹に向けてかざす。
「がんばれ妹! 負けるな妹!」
『真言』とは何を意味するのか、兄には分からなかった。が、妹を応援する言葉に腕輪は確かに応えているように思えた。兄がひと声かけるたびにその幾何学模様は何度も明滅し、生まれた光が吸い込まれるように妹のもとに集まってゆく。
「そうそう、いい感じ! なんか力わいてきた!」
身体をまとう強い光に励まされて、妹はぐっと足に力をこめて、巨大な手を押し返しにかかる。つい先ほどまで勝ち誇っていたラ・スボス氏が驚愕の声をあげる。
「な、何いっ!?」
そして今まで眼中にも入れていなかった兄のほうを仰ぎ見ては、何に気づいたものか愕然として叫んだ。
「これは……増幅魔法だと!? しかもこの強度……貴様ら、本当に何者なんだ!」
「が・ん・ば・れ・妹! フ・レ・フ・レ・妹!」
その間にも兄は腕輪をかざしつつ右腕をふりふり妹を応援し続けており、妹を包む光はどんどん強くなっていく。妹は一歩一歩ラスボスを押し返しながら、顔を輝かせて高らかに言った。
「アーニャの応援で力がわいてくる……そうか! これが兄妹の、愛の力なんだね!」
「いや増幅魔法だっつってんだろ!?」
ラスボス氏の突っ込みを無視して、妹は続ける。
「兄妹愛の力をくらえ! いま必殺の――!」
「妹すごい! 妹最高! 世界一かわいいよーっ!」
ヒートアップしていく兄の声援をバックに、妹は聖剣ハチドリにすべての力を込めた。
「アーニャあた――――っく!!」
「ば、馬鹿なああああああーっ!」
力を込められた聖剣ハチドリはラスボス氏の巨大化した腕をバターのように切り裂き、その身体を貫いてなおも止まらず、反対側の壁に突き刺さってようやくその光をおさめた。刀身から白い煙を吐き出す聖剣の周囲には、壁の染みのようにくろぐろと残骸がこびりついていた。
数千年にわたってこの迷宮を守り続けてきた魔物、ラ・スボスの最期であった。
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