2

「うーん……」

 いずことも知れぬ穴の底、兄妹が折り重なるようにして倒れている。さほどの距離を落下したわけでもないらしく、二人の身体にたいした怪我は見られない。妹はぶらさがっていたぶん落下距離もみじかく、兄にとっては妹の尻がクッションになったものだろうか。

「あてて……はっ!?」

 妹はしばらく頭を押さえて首をふりふりしていたが、やがて正気に戻ったとみえてすばやく兄の両手の間から脱し、さっと距離をとってスカートを押さえた。

「も、もう、どこ触ってるの! アーニャのエッチ!」

「妹よ、まあ落ち着け」

 言いながら兄も起き上がり、顔を真っ赤にした妹に向きなおる。

「妹がどことも知れん穴に落ちそうになってたんだぞ。助けようとするのに、どこ触ってるとか気にする余裕もなかったよ」

 兄の正論に、妹はすんなりと納得して頷いた。

「……そりゃそっか! あんがとアーニャ!」

「うむ」

「で、ここどこ?」

「さあ……?」

 あっさり気持ちを切り替えたらしい妹にならって、兄は周囲を見渡した。石造りの通路のような場所で、道幅は二メートルほどだろうか。兄妹の足元にはさきほど妹の落とした懐中電灯が落ちているが、光源がそれだけにしては明るい。しかしちょっと見回したかぎりでは、他に光源らしきものは見当たらなかった。

 それよりも眼を引いたのは、兄妹の真上にある穴だった。いや、それは穴というよりも切り取られた暗黒とでも言うべきで、頭上数十センチほどの場所に唐突に存在していた。少し立つ位置を変えて上を向けば、穴よりも上方にちゃんと天井があるのが見える。

「なんじゃこりゃ……」

 兄が背伸びして片手を伸ばすと、手は暗闇に呑まれたぶんだけ見えなくなった。

「こっから落ちてきたのかな?」

「そうみたいだねえ。すごいねアーニャ! 秘密基地大明神様の中がこんなになってたなんて!」

「妹は呑気だなあ。これ、戻れるのか?」

 と、暗闇の中で手探りする兄だったが、指先は宙をつかむのみである。

「もっと上のほうなのかも? ほら、わたしが上から覗き込んでた時の感覚的に」

「そうかもな。……妹」

「ん。……下みないでね、アーニャ」

「おう」

 兄が壁に手をついてしゃがむと、以心伝心に妹が肩に足を乗せて、よじ登った。

「「いっせーのー、せっ!」」

 兄は妹の足首をつかみ、バランスをとる妹を助けながら渾身の力で立ち上がる。肩の上に立った妹は上半身を暗闇の穴に突っ込む形になり、兄の側ではふくらはぎより下が見えるだけとなった。

「どうだ!?」

 大声で問う兄に、応える妹の声は妙に遠くから聞こえる。

「いい感じ! 秘密基地が見えてるよ!」

「上がれるか?」

「いけそう! 手離していいよ!」

 兄が足首から手を離すと、その両足はするすると上がって暗闇に飲み込まれ、見えなくなった。そうなると謎の空間にぽつんと取り残された兄は、少々不安を感じないではない。

「おーい! 戻れたかー? ていうか聞こえるー?」

「聞こえるー!」

 とすぐに返事が返ってきて、とりあえずはほっとする兄である。

「ちゃんと戻れたみたい! でもこっちからはやっぱり、なんにも見えないやー!」

「良かった! ……そっちから引っ張り上げるのは無理そうかー?」

「んーと……」

 見上げる兄の目の前に、暗闇穴からにゅっと手首だけが生えてきた。

「これでどうー?」

「おっ、いい感じ!」

 兄がその手を掴むと、妹の手もぎゅっと握り返してくる。ぐいぐいと軽く手を引いて感触を確かめつつ、兄は壁に片足をかけた。

「いけそうか?」

「だいじょぶ! いっせーのー……」

「「せっ!」」

 妹の手を支えにして、壁を歩くようによじ登っていく。やがて兄の姿も暗闇穴に飲み込まれて見えなくなった。


「「せっ!」」

 先程とは違う意味で顔を真っ赤にした妹は、両足を大きく開いて踏ん張り、兄をどうにか祠から引っ張り上げた。勢いあまって地面に倒れ込んだ二人は、折り重なったまま荒い息をついている。

「ひー、戻れた……。妹、ナイス馬鹿力」

「ひー……馬鹿力言うなし! アーニャがもやしなんだよ!」

「まあ、おかげで助かった」

「そだね……」

 兄妹はのろのろと互いから離れ、呼吸が落ち着くまでしばらくそのまま座り込んでいたが、やがて同時にしゃきっと立ち上がった。

「……イモート軍曹」

 芝居がかった口調で兄が言うと、妹はしゅばっと敬礼のポーズをとる。

「はっ、アーニャ隊長!」

「私の言いたいことがわかるかね?」

「はいっ! 我々は未知の領域を発見しました!」

「その通り! 次は何をするべきだ?」

「探索であります!」

「そのとーりっ!」

 勢い込んで言うと、兄はびしっと秘密基地の外を指差した。

「探索準備、かかれーっ!」

「さー、いぇっさー!」

 号令に従う妹のみならず、兄もたったいま自分が指さした方向に駆け出してゆく。二人は鞄をひっつかむと、先を争うようにして秘密基地をあとにした。


「妹、準備はいいな?」

「おうともさ!」

 それからほんの三十分ほど後、兄妹はふたたび秘密基地大明神様の前に集合していた。違うのは二人の服装で、さきほど制服姿だったものが、今はお互い上下ジャージに軍手、懐中電灯という探検スタイルに変わっている。

 さらには頑丈そうなロープが祠の中に垂らされており、ロープの端は秘密基地の天井の穴から外へ伸びていた。これは洞窟の上にある樹の幹にしっかりと結わえ付けてある。

「よし、突入するぞ! 後に続け!」

 言うや否や兄はロープに取り付き、消防士さながらの身のこなしで祠の中に消えていく。

「とつげきー!」

 同じように妹もロープをつたって降りてゆく。ふたたび秘密基地の内部は無人になり、ロープだけがぎしぎしと揺れていた。


「んしょっと」

 ロープで勢いを殺しながら、妹は先に降りた兄のとなりに降り立った。今はジャージ姿なので、スカートを気にする必要はない。

 すでにきょろきょろと辺りを見回していた兄が、ぽつりと呟いた。

「わざわざ戻って来といてなんだけどさ」

「うん?」

「ここ何なの? 空間の繋がり方おかしくない?」

「そりゃなんだねえ。それを確かめにきたんじゃないのさ」

「そりゃそうだ」

 頷いて、二人は通路の左右を見渡した。やはり通路内はぼんやりとした光で満ちていたが、見通しがきくほどの明るさはない。

 懐中電灯の光を向けると、それほど長い通路ではないとわかった。片方の奥には頑丈そうな両開きの扉があり、どこか禍々しい雰囲気の意匠が刻まれている。反対側は階段につながっており、さらに下へ向かうようだった。

「……どっちから行く?」

 問われた妹は、迷わず階段の方を指さした。

「こっちかな。あっちの扉はなんか、ラスボスとか出てきそうだし」

「わかる」

 そういうことに決まり、二人は先の見えない通路を進み始めた。足取りは慎重だが、兄妹の顔は好奇心に輝いている。

「あれだな、旧日本軍の秘密基地だ」

 と、唐突に兄が口をひらいた。

「何の話?」

「ここの予想だよ。定番だろ、陸軍の実験施設とか」

「えー、なんか夢がないなあ」

「夢もロマンもあるだろ!」

 確かに、遊びで作った秘密基地が本物の秘密基地に繋がっていたとなれば、ロマンがあると言えるのかもしれない。しかし妹は違う意見を持っているようだった。

「わたしはずばり、ここはゲームとかのダンジョンだと思うな!」

 ゲーム好きの妹はそう言った。

「そんで奥の宝物庫を、でっかい竜が守ってるんだよ」

「宝物庫かあ、宝より俺は古代兵器がいいな。なんかこう、空飛ぶ要塞の起動装置とかさ」

「それいいねえ。街を見下ろして『焼き払え!』とかゆってみたい」

「焼き払われるの俺らが住んでる街で、俺らが住んでる家だけどな」

 などとくだらないことを言い合いながら階段を下りていく。階段はそう長くなく、扉のない部屋につながっていた。

「これは……?」

 入った部屋は細長い長方形で、左右の石壁がくり抜かれて棚のようになっていた。棚の上には用途のよくわからない物が、埃をかぶってごちゃごちゃと置いてある。兄妹はこの部屋を見て、同時に声をあげた。

「旧日本軍の施設!」

「ダンジョンの宝物庫!」

 顔を見合わせるふたり。要するに、ぱっと見ではどちらの意見が正しいとも見当がつかなかったのだ。

「確認してみよう」

「おうさ」

 二人は左右の棚に別れ、めぼしいものを探していった。

 兄は右側を受け持ち、階段に近い側から順番に懐中電灯で照らしていく。置いてあるのは薄汚れた壺や謎のオブジェ、額入りの風化した絵画といった、がらくたみたいなものばかりのようだ。統一感のないそれらに首をひねっていると、妹から声がかけられた。

「ちょっと見て見て、アーニャ!」

「おうさ、なんかあったか?」

 兄が振り向くと、妹はなんと抜き身の剣をかかげてポーズをとっていた。ヘッドランプに照らされた刀身は、きらきらと白銀に輝いている。

「財宝見つけた!」

「うおっ、マジか!?」

 兄が駆け寄ろうとすると、妹は

「なーんて」

 と、つまらなさそうな顔で剣を二、三度無造作にふるって見せた。

「これ、メチャクチャ軽いの。おもちゃか何かみたい」

「へえ。そうは見えないけどなあ」

「アーニャも持ってみなよ」

「どれどれ」」

 剣を鞘に収めて妹は片手で差し出す、兄も片手で受け取ろうと手を伸ばした。

「あぶばっ!?」

 ごつっ。兄は受け取った腕から前につんのめり、剣を床にぶつけてしまった。そのリアクションからも、床にぶつけた音からしても、とても軽いものを受け取ったようには思えない。妹は声をあげて笑った。

「あはははは! 何そのリアクション、パントマイム?」

「違うよ!? 妹、こんなくそ重いもんよく平然と持ってたな!?」

 慌てて両手で支えるが、剣はそれでも床から持ち上がらない様子である。妹はそんな兄を見てケラケラ笑っている。

「もうアーニャったら、もやしにも程があるでしょ! こんなのが重いなんて」

 と言いながら、兄が必死に支えている剣を片手でひょいと持ち上げる。それをぽかんと口をあけて見ていた兄が、ぽつりとつぶやいた。

「……さすが第一中の女番長と呼ばれてただけのことはあるな」

「!? 一体誰がそんな呼び方してたの!?」

「俺」

「アーニャかよ! もう、これでもデカいの気にしてるんだからね!」

 と妹は口をとがらせて鞘に入ったままの剣をふりかぶった。粗雑に見えるがそれでも一応年頃の乙女、ちかごろ兄の身長を追い越しそうになっているのを、地味に気にしている妹である。

 一方の兄は半ば本気の焦りをにじませて、妹を手で制しながら後じさった。

「ま、待て待て冗談だって! その重さの鈍器はシャレにならないから!」

「もう、まだそんなこと言って……こんな軽いのに」

 と、また剣を振ってみる妹である。自分では持ち上げることすらかなわなかった長剣を軽々と取り扱う妹に、兄は若干引き気味だった。

「……マジでそこまで馬鹿力とは思ってなかったな」

「アーニャ、なんか言った?」

「なんにも!」

 小声のつぶやきをドスの利いた声で咎められ、兄は慌てて首を振った。これは話題を変えた方が良さそうだと周囲を見渡す兄の眼に、何かキラキラとしたものが映り込んだ。

「……ん?」

 ひょいと取り上げてみると厚みのある円筒形の物質で、中は空洞になっている。石とも鉄ともわからない黒い素材で作られているが妙に軽く、表面に描かれた幾何学模様が光を放って浮かび上がっている。

「おい、これ見てみろ妹」

「お、またなんかあった?」

 兄の差し出す謎の物体に、妹がしゃがみ込む。

「おー、キレイ。何だろね?」

「わからんが、サイズ的に腕輪かなんかだろうな」

「今度こそ財宝かな?」

「いや、これこそめっちゃ軽いんだ。光るおもちゃかなんかだろ」

「ふーん?」

 と手を差し出す妹に、無造作に腕輪を渡す、と。

「あぶばっ!?」

 妹はその重さを支えきれず、腕ごとつんのめって地面に落としてしまった。

「ぷっははは、なんだそれ妹、パントマイムか?」

「違うよ!? アーニャよくこんなもん平然と持ってたね!?」

「いやいや、こんな軽いのに……」

 笑いながら軽々と腕輪を持ち上げる兄だったが、ふと真剣な表情になり、妹と顔を見合わせた。どうやら先ほどと同じ茶番を、立場を変えて演じていると気付いたものらしい。

 その視線は順番に、それぞれが持っている剣と腕輪に吸い込まれる。兄妹は無言のまま、自分の右手から相手の左手へと、お互いの発見物を同時に手渡した。

「「あぶばっ!?」」

 そして同時につんのめり、額をぶつけてうずくまる。

「「いてて……」」

 額をさすりつつ、妹は剣を、兄は腕輪を拾い上げた。今度はお互い軽々とである。

「演技じゃ、なさそうだな……」

「アーニャこそ」

「となると何だ、持つ人によって重さが変わるのか?」

 信じがたいことだが、剣は妹にとってのみ軽く、腕輪は兄にとってのみ軽いようだった。しかし、信じがたいことをすんなり受け入れてしまえるのがこの兄妹の美点である。妹は得心したようにぽんと手を叩き、高々と剣を掲げてみせた。

「きっと選ばれたんだよ!」

「は?」

 首をかしげる兄にかまわず、妹は嬉しそうに両手を広げてはしゃいでいる。

「ほら、良くあるじゃん、真の持ち主にしか使えない装備とかってさ! きっとあたしはこの剣に、アーニャはその腕輪に選ばれたんだよ!」

「んなアホな……と言いたいところだが、ここがすでに不思議空間だからなあ。不思議現象があってもおかしくはないか」

 と、ぼやきながら腕輪に手を通してみると、妹の言葉を裏付けるかのようにぴたりと収まった。

「確かに、ぴったりだ」

「あ、いいないいなー、あたしも……あった!」

 ごそごそと棚をあさって妹が見つけたのは、剣止めのついた革製のベルトである。ジャージの上から腰に巻き、剣を挟み込んで止めた。

「完璧! さあ、これで最終装備が揃ったわけだし」

「最終装備、ジャージに剣だけなんだ」

 もっともな突っ込みだったが、妹は無視して満面の笑みを浮かべる。

「次は、ラスボスを倒しにいこっか!」

 すっかりゲーム世界の住人にでもなったつもりで、上機嫌な妹だった。

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