放課後異世界探検記

うお

第一話【これが兄妹の、愛の力なんだね!】

1

「フハハハ! よく来たな、強き戦士よ!」

 とある迷宮の最深部、巨大な魔物が唸りに似た笑い声をあげた。獣の体に髑髏を乗せたような禍々しい姿は、まさにラスボスといった風格である。

 そのラスボスに臆することなく対峙しているのは、ひとりの女戦士だ。

「……貴様がこの迷宮の主か」

 青髪青眼の女戦士は、全身を皮製の装備で覆い、動きやすいよう急所だけを金属製の鎧で守っている。両手に握った白銀の一刀はひと目に分かる業物である。

「そうだ。ここまで辿り着くとは、女の身ながら大したものだ。退屈していたところだ、ゆっくり殺してやろう」

 ラスボス然とした魔物がラスボス然とした台詞を言い放つ。しかし女戦士は魔物と長話をする気はないとばかりに、剣の切っ先をぴたりと魔物の眉間に向けた。

「……貴様に恨みはないが、私にはどうしても貴様を倒さねばならん理由がある。死んでもらうぞ」

 魔物はますます興がりながら右手をあげ、その五本の爪をジャキンと剣ほどの長さに伸ばして構えた。

「死ぬのは貴様だ!」

 同時に突進した爪と剣先が激しくぶつかり合い、薄暗い部屋に白い火花を散らすのだった。


  ◇  ◇  ◇


 一方その頃、日本のとある地方都市に、暇をもて余しているひと組の兄妹がいた。

「ねえアーニャ」

「なんだ妹」

「ひまー」

「ま、ま……マントヒヒ」

「ヒ、ヒ……ひま」

「二回目だから妹の負けな」

「負けた……って、ちがくて」

 兄妹は洞窟の中にいた。山といっても高くもなく深くもない、実家の裏に広がる山林で二人が見つけた洞窟である。その内部には放棄されたバス停のベンチやら茣蓙やらランプやら、その他兄妹が持ち込んだがらくたと粗大ごみの類が大量に置かれ、絶妙に快適とは言えない程度の空間が作り上げられている。洞窟の入り口には当時六歳の兄と五歳の妹がこしらえた板切れがぶら下がっており、汚い字で『ひみつきち』と書いてあった。

「暇なんだって。なんか面白いことない?」

「ない」

「断定……」

 『ひみつきち』の看板を掲げたころの兄妹にとって、この洞窟はどんなにか心の躍る場所だったことだろう。しかし現在それぞれ高校二年生、一年生となった兄妹は、もはや秘密基地ごっこに心ときめく年齢ではなくなっている。だが長年慣れ親しんだ遊び場に、半ば惰性で二人は入りびたり、暇を持て余しているのだった。

 二人とも放課後ここに直行したため、制服姿だった。兄はパイプ椅子に座って本を読んでおり、妹はおんぼろなベンチにうつ伏せに寝そべって、何をするでもなく足をぱたぱたと上下させていた。長いポニーテールを揺らしつつ、妹がなおも話しかける。

「ねえアーニャ、本なんてどこだって読めるでしょ。もっと秘密基地らしいことしようよー」

 ちなみに妹が兄のことを『アーニャ』と呼ぶのは、兄の見た目がロシア系美少女だからというわけでは残念ながら、ない。もともと『あに』と呼んでいたものが、長年呼び続けることによって『あーにゃ』と形を変えた、自然な音韻変化であった。

「まあ、確かに妹の言う通りだ」

 兄は開いていた本をぱたりと閉じ、足元のドラム缶に両足を乗せて腕を組みながら言った。

「考えてみればなぜ俺たちは、高校生にもなって秘密基地ごっこなんて続けてるんだろう……」

「……! いやそういう根本的な話じゃなくってね?」

「そりゃ昔は楽しかったさ。ただここにいるだけで何かが起こりそうな、いやすでに何かが起こっているような、そんな気がしたもんだ。けどもうそんな特別感もとっくに無くなってさ、むしろ自分の部屋にいるより秘密基地にいる方が長いんじゃないかってぐらい日常の一部になっちゃったじゃん? それもう日常じゃん? 考えてみればなぜ俺たちは高校生にもなって」

「まってアーニャ長い長い! 話がループしてるから! 突然我に返るのやめてよ!」

 スイッチの入った兄を慌てて黙らせると、妹は立ち上がって洞穴の奥を指差した。

「あたしたち誓ったじゃん! いつかは忘れたけどあの日二人で誓ったでしょ! 秘密基地大明神様の謎を解き明かすまでこの基地は捨てないって!」

「秘密基地大明神様かあ、いま思えばそのネーミングもどうかと……」

「だから急に冷めないでってば!」

 妹の指差す先、洞窟の奥のひび割れた岩の隙間を埋めるようにして、それは鎮座していた。それは三角屋根のついた、木製の小さなほこらだった。幼い兄妹が秘密基地大明神と名付けたそれは、二人がここにくる以前からこの洞穴内にあった唯一のものである。そしてそれこそが、高校生にもなって兄妹を秘密基地に留まらせている謎だった。

 それは正しくはほこらであるかどうかすら分からない。なぜならその上部にある観音扉は、押しても引いてもびくともせず、最初からずっと閉じられたままだったからだ。

「あたしたちは秘密基地大明神様に導かれてここに来たんだよ。いつかこの世界に危機的なものが迫ったときに、あたしたちが託宣的なものを授かるために!」

「おい妹、そのへんの設定はもうちょっと詰めてたはずじゃなかったか。確かこのへんに二人で作ったノートが……」

「設定の話はいいんだよ! とにかく、基地を放棄するにしても、この中身を確かめてみないことには死んでも死にきれないよ!」

「うむ、それは一理ある」

 いい年して秘密基地ごっこをしているとはいえ、さすがに黒歴史ノートに書いたような設定は『設定』でしかないことはもう分かっている。だが、秘密基地大明神様はその正体が何であれ、確かにそこにあるのだ。その事実が兄妹をここに今日まで引き止めつづけていた。

「この頑丈さは実際尋常じゃないもんな。子供の頃はなんとなく、大人になったら開けれると思ってたもんだけど……」

「今あたしたちが引っ張っても、びくともしないもんね」

 兄妹は顔を見合わせ、阿吽の呼吸で頷きあうとほこらの前まで進んでゆく。そして先程の言葉を確かめるように、観音扉の片側ずつに手をかけ同時に引っ張った。

「この通りですよ」

 と、やはりびくともしない扉に妹はわざとらしく肩をすくめた。むろん過去にはバールなどの道具も試行済みであり、じっさいこの古びて見える板きれの頑丈さは尋常なものではなかった。

 兄はしばらく顎に手を当てて考えていたが、やがて決意をこめて頷いた。

「……よし、そうだな。俺たちももう子供じゃない。ずるずるとこの謎を引き伸ばすのは、やめにしようじゃないか」

「アーニャ、ということは……」

「おう、本腰を入れてこいつを開ける方法を探そう。なに、最悪中身を確かめられればいいんだ。チェーンソーでも何でも持ってきて、大明神様を解体してやろうぜ!」

「おー!」

 ――と、兄妹が罰当たりなことを言って気勢を上げた、その時。

 まさかチェーンソーを嫌がったわけでもあるまいが、祠の中からカタン、と音がした。

「……アーニャ」

「……ああ、聞こえた」

 警戒するような姿勢をとり、しばし耳を澄ませる二人。その後なにも聞こえないと見て取ると、兄はそっと扉に手を伸ばす。

 ――十年間びくともしなかった扉は、なんの抵抗もなく開いた。


「……どうだ?」

「ビックリするぐらいなんにもない」

「なんだ。……まあそりゃそうか。そうそう世の中不思議なことなんて転がってないよな」

 先にほこらを覗かせた妹の言葉に、兄はいささかガッカリして言った。が、妹は逆に目を輝かせて首を振った。

「じゃなくて。なんにもないんじゃなくて、ビックリするぐらいなんにもないんだよ」

「……一緒じゃないの?」

「いいから見てみなよ、ほら!」

 言われてのぞき込んだ兄は、実際ビックリした。

「ほんとだ。ビックリするぐらい何もない」

「でそー!」

 ついに開いた秘密基地大明神様の内部はなにがビックリするかというと、まず広く、そして綺麗だった。ほこらは半分岩壁にめり込むように立っていたが、それにしても手をめいっぱい伸ばしても奥の壁に手が届かないぐらいの奥行きがある。壁面は荒い木板のようだが、風化した外側の板とくらべるとずいぶん新しく見える。内部はまったくのがらんどうで、底の方は光が届かないのか真っ暗で何も見えなかった。

「底のほうがよく見えんな」

「ね。アーニャ、懐中電灯あったっけ」

「ああ、たしかまだ生きてるのがそのへんに……」

 言われて兄はそのあたりに散らばったがらくたを探りはじめた。ほとんどは兄妹が拾い集めてきた文字通りのがらくただが、一部はまだ使えるものも交じっている。

 その間にも妹は祠の中に手を突っ込んでみたりしていたが、不思議そうに首をかしげた。

「底に手もふれないんだけど。アーニャ、懐中電灯まだ?」

「いま見つけた……っておいおい。それ大丈夫なのかよ」

 ようやく懐中電灯を探り当て、振り向いた兄は驚いた。奥へ奥へと手を突っ込んでいった妹は、今や上半身のほとんどがほこらの中へ入り込んでいる状態だったのだ。

「だいじょーぶ、埃ひとつないし」

「埃とかそういう問題じゃなくてなあ。いや、埃がないのもおかしいんだけど」

 こともなげに妹は言うが、外から見ているとかなり異常な光景だった。ほこらの大きさとしては高さがせいぜい兄の肩ほどまでで、幅はその半分もない。常識的には妹がそこまで身体を突っ込めば、軽く底に肘ぐらいつきそうなものだ。

「ん」

 しかし当人は呑気なもので、上半身はそのままに右手だけをこちらに突き出してくる。兄は仕方なく懐中電灯のスイッチを入れ、「ん」と妹の手に握らせた。

「さんきゅ、どれどれ……」

 と、懐中電灯をほこらの中に引っ張り込んだ妹だったが、どうやら握りが甘かったらしい。つるりと滑った指の間から、懐中電灯を中に落としそうになってしまう。

「あっ!」

 それを慌てて拾おうとしたのが悪かった。妹はバランスを崩してその両足が宙に浮く。かろうじて引っかかっている腰のあたりまでがずるりとほこらの中に飲み込まれかけるのを見て、兄は仰天した。

「ちょっ!?」

 しかし兄の動きも素早かった。落ちていきそうな妹の脚を、間一髪はっしと掴んだのだ。

 だがこの兄、お世辞にも筋骨隆々という体型ではない。一方の妹にしてもとりわけ華奢というわけではなく、どちらかというと丸みのある体つきであり、ありていに言うと軽くはなかった。引っ張り上げるのは容易ではなく、太股のあたりをつかまえて落下をこらえるのがせいぜいだった。

「おい妹……っ!」

 兄は必死だった。なにしろ妹が得体の知れない穴――そう、これはもはや穴だと思って間違いなかった――に落ち込もうとしているのだ。無理な姿勢からどうにか引き上げようと、火事場の馬鹿力とばかり懸命にしがみついた。懸命なあまりに妹の尻に鼻先を突っ込むような姿勢になってしまったとしても、それは意識の外のことであり、気にする余裕もなかった。

「~~~!?」

 しかし驚いたのは突っ込まれたほうである。妹は声にならない悲鳴をあげて、反射的に足をばたばたと動かした。

「ばっ、暴れっ……!」

 兄はその言葉を言い切ることもできず。

 あっという間に、兄妹の姿は祠の中に飲み込まれていった。

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