第5話 偽りの顔④


 実家からの帰路を歩いて、しばらく。

 道の舗装が荒くなり始めた辺りで感じた追い風により、私は右耳につけていたイヤリングがないことに気づいた。

 

 母の形見心の拠り所は遺失したくない。絶対に。

 

 私は慌てて踵を返し、元来た道を捜索し始めた。

 監視の目も忘れ、前屈みになりながら来た道を丁寧かつ夢中で探す。

 そうして、


「食器はお返ししないの?」

「ああ。綺麗に洗って、次の時にまた使うんだ」

「この豪勢な菓子は?」

「君達のお祝いを兼ねた特別品だそうだよ。後で食べよう」


 父と弟妹が、ガーデンテーブルにある物を片付けている場に出くわした。

 3人は作業に夢中のようで、斜め後ろに立つ私には気づいていない。


 

 今日の、対面した様子からして3人に声をかけるのは躊躇われるが、大事なイヤリングの事。

 聞いてみよう。

 そう思い、私が足を踏み出した瞬間、



「……どうして、アンジュと話しをしなかったんだい?」



 父が作業を進めながら、弟妹に問いかけた。

 自分の名前を耳にした私は、反射的に、近くにあったサイプレスの木に素早く身を隠した。



 カチャ、カチャ。

 姿を隠した私の耳に届くのは重ねられる食器の音のみで、父が質問を切り出して以降、3人の会話は止まってしまった。

 気まずい空気。

 それが流れるのを見守っていると、少しして、父の向かい側にいたリーゼが静かに口を開いた。



「……お姉様、顔が怖いんだもん。笑ってるのに笑ってないし、雰囲気全体がすごく暗いの。冷徹な魔女って言われている言葉がピッタリなくらいに、冷たくて真っ黒な感じ。見てるだけで、苦しくなる……。それに、お姉様には毎回護衛の人がついてくるでしょ?今日はいなかったけど、居たらすごく怖いし。お姉様と同じ場所にいるの、辛い。だから、会いたくないの」


「……そんな、悲しいこと言わないで。アンジュは君たちの姉さんで、王太子妃として頑張っているんだから」



 悲痛な面持ちで訴えるリーエの方を向き、優しく宥め諭す父。

 そんな2人を見たサーガは、作業していた手を止め、ケッと笑った。


 

「我が国の王族に嫁いだ王太子妃様だろ?豪華なドレスを着て芝生をヒールで歩くような、お高く気取ったお姉様。俺らが一生懸命世話した芝生、絶対穴だらけだ。俺たちが大事にしてる自然ものを大事にできないような奴となんて、仲良くできるわけないだろ」


「サーガッ」

 

「だって、そうだろ?視察の奴らもそうだけど、来ないほうが俺らは平和で安心だ。リーゼなんか、アイツらが来る度に毎回怯えてるじゃないか。父さんだって、来ない方がいいって、本当はそう思ってるくせに」


「〜違うっ違うんだ!アンジュは……っ父さんはっ!!」


 バンッ。

 父が声を荒上げ机を叩いたことで、その場の空気が凍った。

 しかし、サーガは納得がいかないといった様子で、父に咎めるような視線を投げる。


 

「~もうやめて!こんな空気、嫌だょ……」


 2人に挟まれたリーエが顔を覆って泣き出した。

 父はハッと我に返り、気まずそうにテーブルから手を離す。

 そして、眉を下げながら微笑み、サーガとリーエに向かって話しかけた。

 


「…………大きな声を出して、ごめんな。父さん、もっと頑張るから。家族で、仲良く暮らしていこう?」


『家族で、仲良く暮らしていこう』

 その言葉が、それぞれの胸に刺さったのだろう。

 

「……私も、ごめんなさい。うまく、気持ちが整理できなくて……。父様は悪くないわ。私達のために、いつも頑張ってくれてるもの。ほら、サーガも」


「…………悪かった」


 父の発言をきっかけに、場の空気は変化していった。

 リーエは我を取り戻したかのような、朗らかな表情となり、サーガも発言はぶっきらぼうだが、態度は先程と変わり穏健化している。

 

 そんな2人の様子に、父は愁眉しゅうびを開いたようだ。

 穏やかな微笑み。

 私がこの家を出てから見た事のなかったそれを、父は弟妹に向けた。


「サーガがリーゼのことや父さんのことを思って言ってくれたのは、分かっているよ。リーゼの言ったことも、よく分かる。だから、気にしなくて大丈夫だ。さ、ここは早く片付けて、2人がこないだ積んでくれたカモミールのハーブティーを飲みながら一息つこう」


 そう言った父は、気忙しくガーデンテーブルにあるものを片付けた。

 事を終えた父は、食器類の入った大きなバスケットを持ち上げると、軽快な足取りで家までの道を歩き始める。

 その後を、笑みを浮かべたリーゼと、手に絹のクロスやクッションを持ちリーゼに背を押された、たじろいだ様子のサーガが追っていった。


 小さなレンガの家に向かって歩く3人の背は、先程までの重苦しい空気とは異なり、軽やかだった。

 3人の背が遠くなるに連れて声は聞き取れなくなるが、その背中から、3人が笑顔を浮かべている様子が伺える。


 パタン。

 

 木製の扉が静かに閉まると、私の視界には誰も居なくなった。



 

 「ふふっ」


 笑いが漏れ出た。

 失笑だ。

 幸せの記憶が残る場所、大切に想う家族と久々に会えたことに歓喜してしまったことから、私はすっかり忘れていた。


 父は、私を生贄にしたんだということを。


 

『アンジュが王太子妃になること、それが最善なんだ』

 

 貴族社会で生きる苦艱くかんを知りながらも、私だけをそこに引き戻した父。

 父は10年前から私が王太子妃なること、以後もずっと王太子妃でいることを所望している。

 なぜならば。

 そうすることで、父は弟妹との穏やかな生活を得ることができるからだ。

 

 国王と2度も直接話をしたことのある父が、『君の妻に最高位の治療を施す代わりに、長女を王太子妃候補に』と国王から言われそれを承諾した父が、知らないはずがない。

 私が王太子妃でいることで、我が実家が得られている利点を。



「ふふふっ」

 

 父が私を気にする言動を見せるのは、私が幸せだと知ることで自責の念から逃れようとしているからだと、なぜ忘れていたのだろう。

 

 当たり障り無い内容だとしても、10年間1度も私宛に手紙を書くことはしなかった。

 そんな父が大事にしたいのは、ここでの暮らし。

 母が大切にし、母との幸せな思い出を感じられるこの場所と母似の弟妹。

 そうだということを、1年前に再会した時、いいや、内緒で家族の様子を見に来たあの時から、わかっていたではないか。

 

 想っている家族に、大切に想われていないこと。

 それから。

 ここにも、私の居場所がないことは。

 



 サーーーーッ。

 

 広大な地に寒風が吹き、冷気が私の体を包み込む。

 苦笑に駆られていた私の感情。

 それも体と同時に冷たくなっていき、上がっていた口角はサッと下がった。

 


 帰ろう。

 忘れ物は、いつかの次回でいい。

大事な形見をどこに落としたか、不明瞭な点に悔いは残るが、この状況では探しに行けない。

 

 おそらく、サクラの近くかガーデンテーブルの近くだろう。

 それならばきっと、今も昔も母を愛してやまない父が見つけ、イヤリング《母の形見》を大切に保管しておいてくれるはずだ。

 


 そっと踵を返せば、帰路が雲におおわれていた。

 先程まで見ていた景色は快晴だったはずが、体を返しただけで見る景色は一変している。


 その風景は、自分の心情や立場を写しだしているかのようで、家族に対する希望を切り離せばならないのだと深く理解した私は、惜別の思いに駆られた。



 未練は、綺麗に断ち切らねば。

 誰も味方がおらず、王太子妃であることしか最善の選択肢を見い出せない私には、叶わない希望は絶望でしかない。

 私の人生は、夫にも実の家族にも、期待や希望を持たず、淡々と王太子妃としての役割りをこなしていくしかないのだ。


 

 振り返ることのできない後方には、晴れ渡る温かな世界。

 自分が進まねばならぬ方向は、暗雲立ち込める薄暗い道。


 “この先も、明るい光が灯ることのない暗い人生を歩むに違いない”

 

 改めてそう思った私は、雲に覆われた陰の道を、なるべく音を立てないようゆっくり歩き進んだ。

 


 

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