第4話 起点となるディナー①


 

 夕刻時。

 私は、彼にエスコートされながら王宮の外れに位置する長い廊下を歩いていた。

 

 左右両側にある廊下の壁には窓がなく、チャコールグレイの壁紙と所々に設置されたブラケットライトの明かり、それしか目に止まるものがない。

 王族が食事をする部屋に続いているとは思えない、堅苦しい雰囲気の道。

 そこを、こちらには一切視線を向けない、終始無言な彼の腕を掴みながら、彼の歩幅に合わせて進んでいく。


 彼が着ている燕尾服と同じ色の紺色ドレス、エメラルドブルーの装飾品を身にまとう私は、大層気が重い。


 “任務”によって唇と手の平にできてしまった例の傷だが、やはり2日では消えなかった。

 そのため、唇は化粧で、両手の平は手袋を装着することで覆隠している。

 しかし。

 外見としては隠せたものの、手を握る際や彼のエスコートに応える際など、手の平を使用する時には痛みを感じて動作が鈍ってしまう。


 彼に気づかれたら……。

 そう冷や汗をかいたが、彼からはなにも反応がなかったため上手く誤魔化せそうだと、この点については安堵している。 

 

 それよりも留意すべきことは、



「……着いたぞ」


 彼の小さな声を私の右耳が拾う。

 気づけば、大きく厳重な扉が目の前にあった。


 次いで、はぁぁ、という大きな溜息が聞こえてくる。

 嫌味のような溜息を吐かれた理由は、彼の声がなければ私の足は止まっていなかったからだろう。

 『きちんとやれと通達してあったのに、意識ここにあらずとはどういうことか』

 その暗示に違いない。

 

 そういう貴方様は、私に痛む傷跡がある事どころか、いつもより濃い口紅や食事会ではつけたことのない手袋を装着しているという、不自然な装いについては全く気づいていらっしゃらないし、ヒール靴で歩く者には優しくない早足で進んでいる事を、こちらは咎めていないのですが。

 

 呆れた空気感を向けられた私は、そう不満を示したくなった。

 が。こちらの立場が悪くなるだけの悪態は、胸中に留めておく。

 七面倒臭い女。

 言ったところで、そういう態度を向けられるだけだろう。


 私と結婚してから、いや、婚約者になった時から一度たりとも、“私”の事を気にかけたことがない。

 そんな彼が、私を気遣うわけがないのだ。

 

「ふぅっ」


 私は強めの溜息で、彼に準備ができていることを示す。

 暗示されなくともきちんと分かっている。


 この扉を開ければ、私達は“仲睦まじい夫婦”だ。



 ギィィ。

 彼に付いてこの場に来ていたテオにより、大きく厳重な扉が開かれる。

 

 視界に入ってきたのは、大きなシャンデリアと換気用の小窓しかない六角形型をした空間、所々にある燭台に置かれた蝋燭の灯。

 それから、廊下と同じチャコールグレイ色の壁に、中央には食卓用の飾りが施された六角テーブルだった。


 腕を組んでいる彼の歩幅に合わせて入室すれば、国王が全幅の信頼を寄せる食事を提供する臣下達、侍女長や料理長が下手しもて側の壁際に立ち、頭を下げている姿が見えた。



 明るく照らされているのに明るさを感じられない、息が詰まる部屋。


 そのように感知したのは、国家機密を話す際にしか使われない外部から分かりにくいこの部屋が、そういった印象になるよう作られているからだろうか。

 それとも。

 威厳のある王から世継ぎについて問われることを確信し、四面楚歌になるだろう自分の姿を想像した、私の心情のせいだろうか。


 


「やぁぁ、1ヶ月近くぶりだねぇ~」

 

 先に着席していた義兄のジハイト様が、声をかけてきた。

 末席に座るジハイト様は、頬杖をつきながら、その反対の手をヒラヒラとさせてこちらに挨拶をしている。


「久しぶりですね。ジハイト様」


 彼の腕をとったまま、私はその場で軽く頭を下げた。


 彼の兄であり、王族の血を持つ者と言う点。

 そこから「様」という敬称をつけているが、王位継承権のないジハイト様は私達よりも下の位に位置する。

 ゆえに、ジハイト様には下の者に対する接し方で構わない。

 むしろ、ジハイト様が私達に敬意ある対応をしなければならないのだが、

 

「や~アンジュ王太子妃、相変わらずだねぇ」

 

 ジハイト様は、間の抜けた態度をこちらに向ける。

 こうした態度は私達のみならず、誰に対しても同じなのだが、国王曰く『ジハイトは阿呆だから仕方ない』とのこと。

 そんなジハイト様を私は内心で軽蔑している。

 理由は、空気を読まない無礼な態度をとるのみならず、王族がすべき公務を行うことなく、美しい女性達を囲い日々遊びに興じているからだ。

 

  ジハイト様と接する限り、たくさんの女性から好意をもたれる理由が私には全くわからない。

 王族という身分と、女性が好むような整った容姿が理由としか思えないのだが。物好きな女性もいるということのだろう。

 ……などと、ジハイト様の失礼な態度に触発され思い返してしまったが、それらは重要な話でない。

 定例の食事会でしか接触することのないジハイト様には、ただ、王太子妃らしい対応で最低限の話をすればいいだけだ。


「ははっ」

 

 私の考えを知ってか知らずか。

 ジハイト様は、こちらを見ながら大胆に笑った。


「仲良く腕を組んで登場だなんてねぇ~。結婚して1年も立つのに、まだまだ新婚気分~?いいよねぇ、僕なんてこれだもん~」


 そう言ったジハイト様は、隣の席に置いてあった写真立てを指さした。

 触れていた彼の左腕がピクリと動いたのを感じる。


「僕の妻リリアは今日も欠席だからねぇ。あ、遺影みたくなってるけど、もちろん死んではいないからね~?」


 死んではいない。しかし、リリア様がどこでどうしているのか、私は知らなかった。

 同じ王族、義姉にあたるリリア様だが、実際に会ったことは過去1度もない。

 

 リリア様は、私が彼の婚約者となった時にはすでに、ジハイト様の妻だった。

 それにも関わらず、私達の婚約式や結婚式など、親族として出席するべきはずの全ての場にその姿を表すことはなく、またその理由も『今は会えない』という事しか教えて貰えていなかった。


 ニコニコと楽しそうな表情を浮かべ、こちらの反応を伺っているジハイト様と、死という言葉を聞いた途端、ピリッとした空気を出した隣にいる彼。

 2人を前に、私は小さく溜息をついた。


「ジハイト様、縁起でもないことを言わないでください。あなたの大切な妻なのでしょう?」


「うん、そうだよぉ。僕の美しすぎる妻だよ~。アンジュ王太子妃は、まだ見たことないから分からないかもしれないけど、本当に美しいんだぁ。早くリリアを見せてあげたいんだけど、生憎ねぇ。父上がね~」

 

 リリア様に関する事柄は、直系の王族や国王が認めた者のみしか知ることが許されておらず、私は未だ教えてもらうことができていない。

 その為、リリア様を知るには、姿を写真で確認するか、こうして王族の人間から話を聞くしかなく。

 私がリリア様について知っていることは、写真でみた“ただ在るだけで魅了されると評判な美女”の姿、“リリア様はジハイト様の妻”“今は会うことができない”

 それから

 “彼が愛してやまない女性”ということだ。


「 あ、落ち込まないでね~?夫である僕もなかなか会えないぐらいだからさぁ~。どっちかっていうとぉ、僕よりも君の旦那のほうがリリアを「ジハイト」


 静かだった彼がジハイト様の言葉を遮った。

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