泣くな

 目の前のテレビにかじりつく幼い勇太を聖は後ろのソファに座り、見ている。映っているのは毎週日曜日の朝に放送しているヒーローものの特撮番組だ。平和な街に怪人が現れ、人々を恐怖に陥れる。人々は逃げ惑い、怪我をし、目に涙を浮かべながら助けを呼ぶ。そこに現れるのは怪人と戦うことができる紅き体のヒーロー。

『これ以上好きにはさせない!悪は滅びるのだ!』

 ヒーローの高々なる口上、ビシッと決めるポーズを勇太は全身を使って真似をする。キラキラした瞳、ヒーローの一挙手一投足を見届ける。興奮のあまり口が開きっぱなしだ。

 激しい肉弾戦の最中、ヒーローはピンチに陥る。片膝をつき、痛みに堪える。勇太は両手にギュッと力を入れる。大好きなヒーローのピンチに固唾を吞んで見守る。

『皆の為に私は負けない!』

 そしてヒーローは立ち上がり、最後は怪人を必殺技で倒し、街には平和が戻ったのだ。

 放送が終わると、勇太が聖を巻き込んでのヒーローごっこがスタートする。もちろんヒーロー役は勇太だ。聖はいつもヒーローに守られる人の役だった。怪人役はいない。目の前に見えない架空の怪人を相手に勇太は立ち回る。聖が前に一度「怪人役やるよ?」と提案したところすぐに却下された。

「僕、おねえちゃんを守る役だから」とまっすぐな目で答えられた時、聖の目に涙が溢れそうになった。

「僕、いつかヒーローになる!本当におねえちゃんを守れるようなヒーローになる!」

 この姉弟に血の繋がりはない。だが、それを遥かに上回る絆が確かにあった。




 聖はゆっくりと目を開いた。いつの間にか眠らされていたようだ。意識がはっきりとし、ひんやりとした固い床の感触を理解した。

「ここ、どこ?」

 辺りは真っ暗だ。手探りで辺りに手を伸ばしても何かに当たることはない。ふらつきながらも立ち上がる、

 孤児院に火の手が上がった時、車に乗せられた聖は口元に布をあてがわれ、何か薬品のような物を嗅がされ、そこからの記憶がない。今自分のいる場所はどこなのか?糸針という女の言葉にそそのかされついてきてしまった。外にいた煙介に助けを求められなかった。もしそうすれば、勇太の所にいけないのでは思ってしまったからだ。

「!?」

 突如、辺りが真っ白になった。電気が点いたのだと理解するのに数秒かかった。暗闇に慣れていた聖の目に容赦ない光が差し込んでくる。眩しさに閉じた瞼が痙攣するも徐々に目を開けられるようになり、周囲の状況を確認するこができた。

 真っ白な部屋だった。四方を囲う壁も床も白く、聖の正面の一辺の壁に大きな両開きの扉、四隅の内の一つに扉が確認できる。聖は部屋の中央に立っており、他には誰もいない。

『目が覚めたかい?』

 部屋に男の声が響き渡る。誰なのかはすぐにわかった。倉石だ。嫌でも耳にこびりついている。

 聖が見上げると、部屋の上部はガラス張りになっており、倉石はそのガラスの向こう側に立っていた。不適な笑みを浮かべ、聖を見下ろしている。

「あんた…」

『弟に会いたくてしかたないだろう?こんなとこまで来てしまうのだ。思わず目にきてしまう姉弟愛だな』倉石はわざとらしく目頭を押さえる。

「勇太は、どこ…」

 聖の体はうまく力が入らなかった。時折足が震える。手をうまく握れない。眠らされた時になにかされたのかもしれない。

『時に君は考えたことがないかね?この星に起きている異変を。隕石が落下した後、生態系は大きく乱れた。動植物はおろか、人間にも能力者と呼ばれるものが現れるようになった。だが全員ではない。なんの力もない無能力者は虐げられる日々に恐怖する。私はね、そんな無能力者の力になりたいのだよ』

「その結果が、勇太の…あんな姿なの?」

『子供を乾いたスポンジだなんていうがあれは言い得て妙だね。大人と違って吸収力に抵抗がない。研究に大いに役立ってくれる』

「勇太はどこ!?」

『慌てるな、会わせてやる』

 すると、両開きの扉が自動で開く。中から出てきたのは、

「勇太!」鉄製の檻に入れられた勇太だった。檻を乗せた台座は車輪が付いており、一人でに動いている。中の勇太の様子は眠っているのか、ぐったりと横になっていた。

 ふらつきながらも聖は勇太の元に駆け寄る。ボロく汚れた衣服を身に包み、赤黒く腫れた肌、時折苦しそうに呻くその姿に聖の胸は張り裂けそうになる。

「勇太…、勇太!」

 檻にしがみつき、聖は声をかける。しかし勇太は目を覚まさない。声に反応すらしなかった。互いを隔てる檻を聖は手のひらが痛くなるほど握りしめる。

「クックックッ、再会の気分はどうかね?」

 いつの間にか下りてきた倉石が聖を見下ろす。そんな倉石を聖は精一杯睨み返す。

「こいつにはある能力者から作られた細胞を注入している。身体能力の向上が主だが、ゆくゆくはさらなる能力の付与も考えている。ついてある首輪が見えるか?それが制御装置だ。こいつで制御している」倉石は手元の端末をチラつかせる。


「なんで…こんな…酷いこと…」

 聖の内側からぐんぐんと何かが込み上げてくる。衝動に飲まれないように下唇をぐっと噛み締める。涙を見せるな、この男にこれ以上弱い所を見せてはいけない。必死に己に言い聞かせ、血が出そうなほどに食いしばる。

「子供はスポンジだと言っただろ。成長した大人よりも子供の方が細胞に対する適応力が高いという結果が出ている。だから実験には子供が必要なんだ。そのためにヴェッセルパークは作られたのだよ」

「え…?」突如飛び出した自分の暮らしていた施設の名前に聖は困惑する。

「あそこに収容されている子供たちは身寄りのない者や捨てられた子を引き取っている。そして日々の観察による適性値の高い者がこの実験に参加できるのだよ。何のためか理解しがたい書き取りや病院での手厚い健康診断があっただろ?全てはこの実験のためだ。もっとも君は引き取られたのが少し遅かったからか適齢期を過ぎてしまったがな。まぁ、子供の世話役ぐらいには役に立ってくれたよ。もちろん院長もこのことを知っている。言うなれば、あの施設はだ」

「う、うぅ…」

 明かされた事実に聖は力が抜けていった。自分がいた場所は非道な実験のため施設だったのだ。聖は院内のお姉さんという立場で子供たちを世話してきたが、それも奴らに利用されただけにすぎなかった。聖の中でヴェッセルパークでの思い出が真っ黒に塗りつぶされていく。もう、涙を抑えきれそうにない。


「ククク、ハーハッハッハッ!!泣くか?泣け泣け!君の弟は研究に大いに役立ってくれたぞ!この偉大なる研究に微力ながら手を貸すことができたことに感涙するがいい!!」

 頭に響き渡る倉石の声に押しつぶされそうになる聖はギュっと腕に爪を立てる。痛みで誤魔化そうとしたが効果はない。泣いたら終わりだ。泣けばもう自分が自分でなくなってしまう。

「…!…グゥ…!!」

 こんな奴にいいようにされた悔しさから握った拳を床に叩きつける。自分には何もできない。それがたまらなくて、額を床に打ち付ける。泣くな、泣くな、泣くな!


「………草刈、さん……、助けて……」

 その声はか細い。近くにいた倉石にも聞き取れないほどに小さく弱い声だった。おそらく、いや絶対に、誰にも聞こえてはいないのだろう。


 刹那、部屋の扉が轟音を立てて吹っ飛ばされた。倉石は驚き、扉を見る。聖も反射的にその方向を見た。一筋の煙がゆらゆらと昇るのがはっきりと見えた。

 少し乱れたリーゼントを手櫛で整えながら、煙草を咥えた煙介が現れた。煙介は部屋をぐるっと見渡し、聖達のいる場所を見据える。そして、近くの倉石には目もくれず、聖の元まで歩き、しゃがみ込む。

「よぉ、聖。泣いてないな、偉いぜ」ニヤリと笑いながら、少し乱暴に聖の頭を撫でた。

「はい…、はい…!」自身の助けを求める声に呼応するように現れた煙介に聖は精一杯涙を堪えながら答えた。

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