変換の肺

「く、草刈さん」

「ハァッ、ハァッ……」

 ネドと聖の間に立つ煙介は膝に手をつき息を整え、短くなった煙草を携帯灰皿に押しつける。

「ハァッ、急に事務所飛び出すし、ハァッ、足めちゃくちゃ速ぇし…オェ…」

「ご、ごめんなさい」

「弟は?」

「連れて…いかれました」

「連れていかれた?誰に?」

「孤児院で勇太を引き取った男です」

「…あいつは?」煙介は倒れているネドを指さす。

「その男と一緒にいたやつです」

「ふーん…じゃああいつが何か知ってるな」煙介はネドに体を向ける。


 ネドは体を起こし、体に付いた汚れを払いながら立ち上がる。殴られた頬をさすりながら、煙介を睨む。

「何者だ。お前は?」

「こいつは俺のお客様でな。怪我させるんじゃねぇよ」

「関わらない方が身のためだぞ」

 ネド両腕を地面に突っ込み、少ししてから引き上げる。アスファルトで覆われた前腕部が現れた。

「今すぐ逃げ出すのなら、見逃してやる」

「連れていった子供はどこにいる?」

「そんなものお前が知る必要はない」

「…生憎こっちも仕事なんでな。意地でも聞かせてもらうぞ」

 煙介はベルトに付けたケースから一本の煙草を取り出し、咥えた。


「あ、危ないですよっ!」

 暴れる勇太を簡単に取り押さえる上に能力者だ。体格だってネドの方が大きい。煙介が不利に思える。

「聖っ」

「ひゃあ!?」

 いきなり後ろから両肩を叩かれ、聖は驚いて叫んだ。振り返ると桐子がいた。

「班目さん…なんで?」

「なんか気になってね、追いかけてきたのよ」

「そ、そうだっ、班目さんっ!草刈さんを止めてください。あのおっきい人能力者なんです!」

「ん~~?」

 桐子はネドと煙介を見比べながら、フンッと鼻を鳴らす。

「大丈夫でしょ。煙介は家賃払わないろくでなしだけど、もめごとには強いほうだから」桐子は軽い感じでそう言った。

 聖は煙介のことはほとんど知らない。草刈相談所の所長で、お金が無くて大家を困らせていることぐらいしか知らない。

「それにあいつも能力者だし」

「えっ?」


 ネドはじわりじわりと煙介に距離を詰めながら、先ほどの不意打ちを思い出す。

(かなり力の入ったパンチだった。見たところ何か武器を隠しもっている様子もない。体格も俺には及ばない。そんな奴がこの俺を吹っ飛ばすくらいの力を持っているということは能力者か?)

 ネドは観察をしながら、拳を構える。煙介はというと悠長に煙草に火を点けていた。その一瞬視線がこちらを外れたのを見て、ネドは飛び掛かった。

「くたばれっ!!」

 振りかぶった右拳は煙介に向かって突っ込んでくる。煙介は態勢を低くしてネドのサイドに飛んだ。


「“拳骨の煙草ナックル・シガレット”」

 煙介は煙草の煙を喫い、素早く吐き出した。すると、

「煙が…手に?」

 聖の目に映ったのは吐き出された煙が。聖の鼻に先ほど煙介が助けに来てくれた時に嗅いだ匂いがする。

 纏う煙はやがて形を成していく。煙介の両手にボクシンググローブのような形が出来上がる。

「オッラァァ!!」

 煙介はそこからネドの左わき腹にボディーブローを叩きこんだ。

「グウゥッ!?」

 ネドはおもわず脇腹を押さえうずくまる。姿勢が低くなることで位置が下がったネドの顔面に煙介は続けて拳を振りぬいた。

「ガハッッ」直撃したネドはうめき声を上げながら仰向けに倒れた。煙介の両手に纏っていた煙はやがて形を崩し、ゆらゆらと空に昇り、消えた。

「草刈さんの能力って一体…?」

「あいつの能力は“変換の肺トランス・ラング”っていって肺が特殊なんだ」

「肺が…?」

「特別な煙草の煙を肺に入れて吐き出すとその煙が形を変えるんだよ。あんなふうにね。あの煙草もいくつか種類があって特殊な肺を持つ煙介にしか扱えないシロモノだ」

「す、すごい…」

 聖は感嘆の声を漏らした。世の中に能力者は大勢いるが、基本的に扱える能力の力量は低い。数グラムの物を動かすことや、電池の寿命を少し長持ちさせるとかそんなことがほとんどで暮らしが少し便利になる程度だ。もちろん無能力者も多くいるため、煙介やネドのように高いレベルの能力者ともなると、ぐんと数が減る。


 煙介達の耳にけたたましいパトカーのサイレンが聞こえてくる。

「煙介ぇっ!警察くるよっ」

「分かってる」

 煙介は倒れているネドから情報を聞き出そうと近づく。

「おいっ。あいつの弟をどこにやった」

「……」ネドに反応はない。強く殴りすぎたかと煙介は思い、ネドの体に触れようとした時、

「ガァッ!!」ネドは右手を振り、手の中に隠し持っていたアスファルトの塊を煙介に向けて投げた。塊は煙介の顔面に飛んでくる。煙介は顔を逸らして躱したが頬をかすめてしまった。

「おぉ…、いてて」頬をさすりながら煙介はひとまずネドと距離を取った。

「調子に乗るなよ、このクソ野郎…」ネドは起き上がりながら悪態をつく。

「随分顔が歪んでるな。これ以上怪我したくなかったらさっさと弟の居場所教えろ」

 息が荒いネドは膝をつきながら煙介達を睨む。体を半身にし、右手をアスファルトに突っ込む。

「あいつらは、能力者か?」

「あん?」

「こんなところで俺が、終わると思うなよ…」

「おい、質問に答えろよ?」

「あの女共の距離なら、こいつを当てることなどわけないぞ!!」

 ネドはぐっと踏ん張りに右手に力をいれる。煙介はその行為に嫌な予感を感じ取り、素早く煙草を取り出す。

「桐子!伏せろ!」

「アスファルトの弾丸をくらえ!!“散弾さんだん”!!」

 煙介が桐子達に向かって叫んだ直後、ネドが地面から手を振り上げた。それにより複数の小さなアスファルトの塊が桐子達に飛んでいく。桐子は聖を庇うようにして体を伏せた。

「“壁の煙草ウォール・シガレット”!」

 煙介は桐子達の盾になるように割り込み、目にも止まらぬ速さで煙草に火をつけ喫い上げた煙を即座に吐き出した。宙にフワフワと漂う煙にネドが繰り出した無数の小さなアスファルト弾がぶつかる。

 がしかし、それが煙を突き破ることはなかった。ぶつかった弾は煙に地面に転がった。

「このやろっ」

 煙介は煙をかいくぐり、ネドの姿を探したが、すでにそこにはだれもいなかった。あの隙に逃げられてしまったようだ。


「おまえら大丈夫か?」

「なんとかね」

「は、はい」

 咄嗟のことだったので、煙介が吐いた煙は少量だったが、なんとか桐子達に怪我はなかった。

「とりあえず事務所に戻るぞ。警察にあれこれ聞かれたら面倒だ」

「ゆ、勇太は…?」

「それもあとで考える」

 煙介達は急いでその場を離れた。勇太が暴れた後とネドがボコボコにした地面が凄惨さを語っていた


 事務所に戻った煙介と聖は一息ついた。桐子も管理人室に戻ることにし、事務所内は二人だけとなった。ちなみに管理人室はビルの一階、草刈相談所は四階に位置している。

『先程騒動があった現場です。アスファルトが荒れ、街路樹も倒れています。怪我人も複数確認されたという情報があります。爆発事故の現場で確認された少年の姿が目撃されており、少年の力により荒らされたものとして…』

 そこで煙介はテレビを消し、コップに水を注ぎ聖の前に置くも、ソファに座る彼女はずっと俯いたままで何も喋らない。先程のことがかなりショックだったようだ。

「弟を連れていった奴を知っているんだよな?」

「……」聖は無言で頷く。

 煙介は聖の傍に寄り、膝をついて目線を合わせる。

「乗り掛かった舟だ。最後まで付き合ってやる」

「……」

「弟は絶対に見つける。原因となった奴らもぶっ飛ばしてやる」

「……」

「何とかしてやる、約束だ。だから、……泣くな」煙介は力強くそう言った。

「………はいっ」

 涙で声がかすれながらも聖は答える。目の前の男に全てを託す。目元を擦り、顔を上げ、煙介にしっかりと向き合った。

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