変わり果てた弟

 聖は周囲を見渡しながら走る。普段なら見向きもしない路地裏などにも注意深く目を向ける。息が切れようとも、連日の捜索や心労による体の不調がたたっても、勇太が近くにいるというその事実が聖の足を動かした。

「僕もいつかかっこいい能力者になれるかな?」勇太の口癖だった。世の能力者の中にはその力を正義に役立てるヒーローともいえる存在がいた。テレビでその姿が報道されるたびに勇太は目をキラキラさせながら画面に釘付けだった。


「キャアアア!?」

 突如として悲鳴が聞こえる。もしかしたら勇太かもしれない。聖はその方向に急いで方向転換し走り出す。

 聖の耳に何かが衝突する音が聞こえる。こちらに向かって走ってくる人達をかき分け、騒ぎの中心地に向かう。

 そこは惨状ともいえる場所だった。車はひっくり返り、街路樹は叩き折られ、倒れてる人もいた。その中心にはボロボロの服を着た勇太が佇んでいた。

「勇太っ!!」

 聖の叫びに反応したのか勇太はゆっくりとこちらを見た。その瞬間聖は息を吞んだ。

 所々赤黒く変色した体の表面には飛び出してきそうなほど血管が隆起しており、半開きの口、血走り充血した目をした変わり果てた弟の姿だった。

「なんで……こんなことに」

 そこにかつての勇太はいなかった。ヒーローに憧れ、純真な笑顔でこちらに笑いかける勇太は。聖はぐっと涙がこみ上げ、泣き崩れてしまいそうだった。

「ば、ばけものだ……」

 誰かが呟いた。その言葉に聖の胸の内は激しく動揺した。化け物?あの子が?違う。あの子は優しい子だ。決してこんなことができる力を望む子ではない。

「…勇太ッ!」

 聖は勇太に呼びかけながら、一歩、また一歩と近づく。勇太はこちらを向いている。だが、その目は果たして聖の目を見ているのかは分からなかった。

「勇太…私、分かる?聖だよ。あなたの…おねえちゃん、だよ?…グスッ、帰ろう?ね?」

 頬を伝う涙を拭い、聖は必死に呼びかける。手を伸ばす。あと10mの距離にまで迫った時だった。

「…ガッ、ギャアアアアアアアッッ!!」

 勇太が突然慟哭を上げる。聖は思わずたじろいでしまった。勇太は苦しそうに身悶えながら腕を振り回す。振り落とされた拳はアスファルトの地面をいとも簡単にヒビ割らせた。そこらにある看板や車にも当たり散らしはじめ、破壊の音が響き渡る。

 聖は勇太に近づけないでいた。勇太の怪力がそれを許さない。こんなにも苦しそうにしているのに助けてあげたいのに。聖の胸は締め付けられる。無能力者である聖には何もできない。


 その時だった。突如として車が突っ込んで、勇太の体を跳ね飛ばした。

「…勇太っ!?」

 宙を舞う勇太の体は数メートル吹っ飛び地面に転がった。駆け寄ろうとした聖だったが、車から飛び出した大柄な男が先に勇太の身柄を取り押さえた。

 暴れる勇太の頭を強引に押さえつけると、注射器のようなものを取り出し、勇太に注入した。すると勇太は糸が切れたように大人しくなった。

 聖は状況が理解できずに立ち尽くしていると、車からもう一人男が下りてきた。その顔に聖は見覚えがあった。

「あっ…」あの時、勇太を孤児院から引き取った男だ。名前は倉石と名乗っていた。孤児院に来た時のスーツ姿とは違い白衣に身を包んでいた。

「はぁぁ。手間を取らせるガキだ。おい、さっさと車に積み込め」

 倉石は取り押さえている男に指示を出す。初めて会った時とは随分印象が違った。

「まっ、待って!!勇太をどうするの!?」

 聖は声を張り上げる、すると倉石は聖の方を向き、怪訝な顔をした。

「んん?孤児院にいた女か?面倒なところにいるな」

「弟を、返して…」

「生憎だがこいつは私が引き取ったんだ。血縁関係でもないお前がとやかく

言うな」

「ふざけないで!どう見たって普通じゃない!勇太になにしたのよ!」

 掴みかかろうとする聖を勇太を車に入れた男が制止する。聖が必死に抵抗するも、男の腕力には敵わない。

「おい、先に戻っている。その女黙らせとけ」

 倉石は男に指示を出すと、聖に構わず車に乗り込みその場を去った。


「これ以上関わるな」男は聖を突き飛ばし、冷たく言い放った。190㎝は超えているだろうか。大柄な体も相まって、萎縮してしまいそうになる威圧感があった。

「ゆうたは、どこ…」

 それでも聖は男に食ってかかる。顔を睨み絶対に引かないという強い意志が見える。

「…面倒なことをさせるな」

 男はアスファルトに右手の指先を当てた。すると、

「っ!?」

 男の手は固いアスファルトに簡単に刺さった。まるでサラサラの砂に突っ込んだかのように手首まで潜った。

 掬い上げた男の手にはアスファルトの塊があった。男はそれを粘土のように伸ばし、右手に付けていく。

「の、能力者…」

「俺はネド。あらゆる無機物を粘土のように柔らかくできる。そしてそれの形を変え、また元の物質に戻すことも可能だ」ネドの右手はアスファルトによって一回り大きくなっていた。

「これをお前の顔面に叩きこむことだってできるんだぜ」

 聖の顔前にネドの大きな拳が迫る。こんなもので殴られれば無能力者の彼女はタダではすまない。冷たい汗が背筋を伝う。今ここで逃げれば、関わらないと言えば、見逃してくれるのだろうか。だが、そんな感情は、

「…勇太の居場所を教えなさいっ!」彼女の頭には微塵もなかった。その眼力は大柄なネドでさえも一瞬たじろいでしまうほどだった。自分のことなど後回し、ただ弟を想う姉の姿がそこにあった。


「…そうか。じゃあ望みどうりにしてやろう」

 ネドは拳を振り上げる。聖の中に怖いという気持ちが無いわけではない。現に彼女はその場から動くことができない。ここで死んでしまうかもという恐怖が聖の中にはあった。

(勇太っ…)

 目をギュッと瞑り目の前が真っ暗になったその時、ふわっと聖の鼻孔に煙草の匂いがした。



「おい」

「あ?…ガッッ!?」

 鈍い音が響いた。聖が目を開けるとネドの顔面を思いきり殴る煙介の姿がそこにあった。大柄なネドが横方向に吹っ飛んだ。

「たくっ、やっと追い付いた」

 聖には煙草を咥える煙介の両手に何か煙のようなものが纏っているように見えた。

 

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