第7話「マルテ・スレイズ」

 細い意識が暗闇を認識する。

 徐々に世界が明るさを帯びて思考がそれに合流し、女性はガバッと勢いよく起き上がった。


 視界には電車の中の景色が広がり、思考が混乱で満たされて辺りを見回す。


 窓の外は藍色の空に包まれ、電車内が異様に明るく見えた。

 壁にかけられた時計には一から三十まで数字があり、二十二時過ぎを示している。


 記憶を思い起こすように改めて自身の身体を見回し、車窓の反射で自分を確認する。


 耳は尖ったままで瞳孔も鋭いが、気を失う前に生えた黒い羽や二本角は消えていた。


「ああ、起きた? おはよう」


 ファンファニフの声がして女性はそちらへ目を向ける。


 彼女は片手に持っていたペットボトルの水を女性へ手渡し、前の座席に座った。


「あ、ありがとう、ございます。あの、ここは……?」

「ここは壊掃電車の中。結界が張ってあるから安全だし心配いらないわよ」

「あの、お兄さんは……?」

「お兄さん? ……あー、ヴェンデルのこと? 今は外で勇者と戦ってる。私はアンタのおもりってワケ」


 ファンファニフが車窓の外を指さし、女性はそちらへ目を向ける。


 あのあと女性がいた場所から移動し、三体目の勇者討伐に取り掛かっている最中らしい。


 暗い空の下、掃除屋の会員たちが人間と戦っており、ヴェンデルとレドッグが勇者と対峙していた。


「ったく、おもりくらいなら別の奴にさせればいいのに。私も人間狩りたいー!」


 ファンファニフは不満げに声を上げて電車のソファーにだらしなく体をもたれさせる。


 女性が眷属化させたばかりで肉体が不安定なため、見守りとしてファンファニフが戦闘から外され電車に残ることとなった。


 言語を介する新種の人間で莫大な魔力を有しているということもあり、女性が暴走する可能性も視野に入れて監視としての役割も含まれている。


 監視であれば強い者に任せなければならずファンファニフが選ばれたが、ひたすら戦いたい彼女は不満ばかり口にしていた。


「あの、よければ皆さんのことについて教えてもらえませんか。狩りのこととか、あの大きい白い石像のこととか……」

「あー……いいわよ。今後のこともあるしね」


 ファンファニフは女性に人間という種族、戦士や勇者のことなど、この世界についての話をした。


 説明を聞いて女性は改めて、言語能力も理性もある自分がこの世界で珍獣扱いされることに納得していた。


「戦士は人間の巨大化した強いバージョン、勇者はさらに強くて魔法も使ってくるし体内に迷宮を作っている害獣って感じ。この世界にはいろんな種族が居てね。私なんかは堕天使って分類されるけど、人間は見境なく色んな種族を襲って国に侵入してくることもあるの」

「だから襲われる前にこうして狩りをしている訳ですか」

「そ。私たちはマギノス統治会っていうとこに雇われてる人間種討伐専門の掃除屋でね。この壊掃電車に乗って勇者たちのいる場所を回っているの。ちなみにこの電車も統治会に雇われてる機械種なのよ」

「え? 機械種って、この電車生きてるんですか!?」


 女性は驚愕して電車内を見回す。

 どこからどう見てもただの鉄製の物体であり、女性にとっては生命とは呼びにくいものである。


 先ほどは何もなかったが、急に電灯がチカチカと点滅してファンファニフはそちらへ目を向ける。


「落ち着きなさい、パセリケパーク。この子は元人間で私たちの常識の範囲外の存在なのよ」


 ファンファニフが誰かに向かって言えば、電灯の点滅が収まった。


 女性がその現象に困惑している中、ファンファニフは足を組んで座席の背もたれに肘をかけ頬杖をつく。


「アンタと私たちとじゃ常識の差異があるってヴェンデルが言ってたけど、本当みたいね。アンタ、もともと別の世界の人間なんでしょ?」

「え、なんで知って……」

「ヴェンデルから聞いた。アイツ魔族だけど、元は別の世界に住んでいた元人間だって話だし。アンタも一緒だと思うって言ってたわよ」


(っていうことは、あのお兄さんもこの世界の人じゃない異界転移者ってことなのか……)


 ファンファニフの話を聞いて女性は少し驚いたあと顎に手を当てる。


 てっきりこの世界に「日本」という国があって、ヴェンデルがそこの出身であると思っていたらしい。


「ヴェンデルの元居た世界だ、機械には感情や意思がなくて、魂のあるものだけが生物とみなされるって話だったけど。この世界の常識上だと、思考や意思を持つ物体は全て生きていると言えるのよ」

「電車に意思と思考が……」

「アンタいた世界の認識がどういうものなのか分からないけど、機械種たちにも私たちと同じように感情とかもあるから。こういう会話も聞こえてるし気を付けた方が良いわよ」

「あ……す、すみません!」


 女性はこの電車を生きていないと思って失言をしていたため慌てて電車を見回す。

 どこに向かって言うか戸惑いながらも謝った。


 数十秒して、車内のスピーカーから『別に気にしてません』と女性の冷めた声が聞こえてきた。


 ファンファニフはその淡々とした声に呆れて肩をすくめる。


「相変わらず愛想のカケラもないんだから……代わりに紹介するわ。彼女は、車両型機械種のパセリケパーク。マギノス統治会に雇われてる機械種なの」


 パセリケパークはもともと小型自動車だったらしいが、その頑強さを見込まれて統治会に勧誘され、電車型に改造したのだとか。


 車両自体は長く機体が大きく、各車両にある電子端末に脳幹部が組み込まれていた。


「壊掃電車は基本的に勇者から離れたところで停車して防衛を担っているわ。ただパセリケパークは保有魔力が多くて魔術も使いこなしているから後方支援もできるの。統治会の壊掃電車を担当してる機械種の中では一番優秀なのよ」


 ファンファニフが少し自慢するようにして言えば、少し電車が動いて車内がガタッと揺れた。


 二人とも慌ててバランスを取り、ファンファニフは小さくため息をつく。


「コミュニケーションの取り方には難ありだけどね……アいたッ」


 頭上から何やら駄菓子やペットボトルが数個発生して落ちてきた。


「あのねえー」とファンファニフは恨めしげな声を出して頭をさする。


 女性はファンファニフたちのやり取りを見て、かつて過ごしていた世界での友達を思い出していた。


(不思議な感覚……私が友達と話すのと変わらない感じ。これがこの世界での普通なんだろうな)


 彼女たちの関係性に新鮮さと不可思議さと懐かしさ、少しの寂しさを覚えて手元のペットボトルへ視線を下げた。


 ファンファニフは駄菓子を口にしながら女性の方を見る。


「私たち掃除屋の最終目的は、人間と勇者たちの殲滅なの。ヴェンデルの眷属になったからには、これからアンタにも殲滅を手伝ってもらうから」


 ファンファニフは表情が固くなり鋭い目つきを女性に向けた。


 まるで、怖気づくことも逃げることも許さないとでもいうように。

 しかし女性は気圧されることなく、まっすぐ見つめ返した。


「分かりました。できる限りのことはしますね」


 平然と返してくる彼女が予想外だったのかファンファニフは唖然とする。


「……戦うことになるのよ? 痛みも負うし血も流れるし、死ぬ可能性だって高いけど」

「でしょうね。あんな大きな敵を相手にするんですから」

「……なんか、聞いてた話と違うんだけど」


 ファンファニフは戸惑うが、女性からしてみれば困惑していることが不思議で首をかしげた。


「ヴェンデルから、アンタが住んでいた日本って場所はある程度穏やかで戦うことに慣れてないって聞いてたから」

「あー、まあそうですね。でもゲームの中で五感も全て繋いでいたので全然慣れていますよ。恐怖も痛みも」


 本来慣れちゃダメなんだろうけど、と女性は心の中で呟いた。


 ファンファニフは驚いていたが、安堵したように息をつく。


「ちょっと安心したわ。ホントのこと言うなら、私は元人間の仲間なんて嫌なのよ。もともと敵だと認識していた相手なわけだし、いつ寝首をかかれるかもわからない。ただヴェンデルが庇護するって言って眷属にしたから、仕方ないって飲み込んだけどさ……そこを譲歩した上で、眷属が怯えて逃げるような足手まといになる奴だったら私が斬り殺してやるって思ってた」


 ファンファニフは頬杖をついて窓の外へ視線を送り、ヴェンデルたちの戦う姿を目に映す。


 窓ガラスに反射する彼女の目には不安と心配の色が見えていた。


「……仲間思いなんですね」

「別に、そんなんじゃないわよ。今の一両目のメンツがやりやすいから。ヴェンデルとかレドッグがストレスで死んだら、稼ぎにくくなって困るってだけよ」


 ファンファニフは少し気恥ずかしくなり、女性から目をそらしたまま口を尖らせる。

 その様子を見て女性はクスッと笑っていた。



 しばらくして暗くなった外の世界に光の粒が舞い、勇者が消滅していった。


 続々と会員が電車に戻り、ヴェンデルもレドッグとアスティを連れて一両目に帰ってきた。

 彼は女性が起きているのに気づき、そばまで来る。


「目が覚めたか。身体の調子はどうだ? 動かしにくいところはあるか」

「あ、いえ。大丈夫ではあるんですけど……あの、羽とか角がなくなってて」

「ああ、あれなら魔力を放出すれば出てくるはずだ。またやり方教えてやるよ」


 特に今は必要がないため羽や角の説明は後回しにする。


 ファンファニフに席を横に詰めさせ、女性の前に腰を下ろす。

 レドッグとアスティは隣の座席に座った。


 それと同時にパセリケパークが動き出し、電車が夜の闇を闊歩する。


「改めて自己紹介するか。俺はヴェンデル・スレイズ。魔族で色々あって魔王と呼ばれているが、もともとはお前と同じく別の世界で人間として生きていた」

「……あの、それってここで言ってしまって良いんですか?」


 女性はレドッグとアスティの方へ視線を向ける。


 普通なら異界転移者という特異な出自は隠すのではないかと思っていたらしい。


 ファンファニフには話していたようだが、かなり重要なことのように思えるのにあまりにもサラッと話していたので拍子抜けしていた。


「ああ。この世界の奴らは、ほとんど俺の出自を知っているから隠す必要がないんだ。同じような境遇だと明かしておけば、お前もこの世界で何かとやりやすくなるだろうしな」

「もしかして、転移者は珍しくないんですか?」

「いや、異界から転移転生してきたのは俺以外にいない。だから余計、神がもう一人転移者をこの世界に招き入れたことが気がかりなんだ」


 ヴェンデルはこの世界で魔族として過ごすようになってから何万年と生きているが、異界転移者や転生者が発現したことは今まで一度もなかった。


(ったく……俺への当てつけか?)


 脳内にある少女を思い浮かべて、悩ましげに眉間を押さえ小さくため息をついた。


「まあ、それについては後で考えるか。他のメンツも紹介しておく。そっちの茶髪の男は悪魔族のレドッグ・アケレイ。金髪の女は堕天使のファンファニフ・ファリエルブレイン。この一両目のメンバーは主に、俺とこの二人だ。そこにいる金髪碧眼の男は七両目のパーティのリーダーで精霊族の、アスティグ・パヴィージだ」


 一両目はヴェンデルとファンファニフとアスティの三人が固定メンバーで、たまに臨時で入ってくる人もいるのだとか。


 メンバーの紹介を終え、そういえば、とヴェンデルは女性へ向き直る。


「お前、前の世界でなんて名前だったんだ?」

「え? あー……」


 問われて女性は斜め上へ視線を向け、苦い表情を浮かべる。


 すぐに答えが返ってこずヴェンデルは怪訝そうにしていた。


「それが私、もともとの名前が分からなくなっちゃって」

「名前が分からない? もしかしたら、眷属化で記憶が壊されたのかもしれないな」

「いえ。ヴェンデルさんの血を飲んで眷属になる前、初めにあなたとお会いした時からです」


 彼女いわく、自分の住んでいた世界のことやゲームのこと、知人との記憶は全て残っている。


 しかし名前や家族構成など自分自身に関することが分からないのだという。


(どういうことだ。「アイツ」が意図的に記憶の一部だけを消し去ったのか……?)


 ヴェンデルは不審に思って顎に手を当てて考え込んだ。


 可能性としては、この世界に彼女を呼び出した神が何らかの意図で干渉したということもあり得る。


「どちらにせよ、名前がないとやりずらいな」

「なら適当に付けちゃえば?」

「じゃあ俺が考えてあげるよ」

「アンタはネーミングセンスないからダメでしょ」

「んだと! それいうならお前の方がセンスないだろうが」


 ファンファニフが提案してレドッグが名付けの立候補をするが却下され、彼が怒って車内が騒がしくなる。


 アスティは二人の様子に呆れてヴェンデルに視線を向ける。


「主であるヴェンデルさんが決めた方が良いと思いますよ。名付けは契約を強固にしますし。眷属なのでファミリーネームを同じにしてみたりとか」

「そうするか。名前ねえ……」


 ヴェンデルは顎に手を当て、天井を見上げて少し考えにふける。


 自分のファミリーネームと合うような名前を脳内で探っていた。


「マルテはどうだ?」

「マルテ……?」

「ああ。神の魔力を意味する言葉だ。お前の魔力量を考えればちょうどいいと思ってな」


 もともとこの世界の古代言語で、仰々しいものである。

 しかし今は使われていない言葉で、意味を知る者は少ないらしい。


「マルテ・スレイズ……素敵な名前ですね」


 マルテは与えられた名を口にして、柔らかい笑みを浮かべる。

 その表情に愛情のような熱を感じて、ヴェンデルは目を見開いた。


 胸が揺さぶられ鼓動が早くなり、少し気恥ずかしくなって目をそらす。

 彼のその様子を見てファンファニフはジト目になった。


「あーあー、照れちゃってまあ。眷属は契約した相手に無条件で敬愛を注ぐものだから勘違いしちゃダメよー」

「わかってる。眷属は一人も作ってこなかったから慣れてないだけだ」

「チェリーか」


(なにさ。敬愛なら私だってしてるっての)


 ファンファニフは心の中で呟き、モヤモヤとした気持ちに駆られてしまう。


 彼女だけでなくレドッグ、アスティも悶々とした思いを抱え、三人とも少しマルテが羨ましく感じていた。

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