第6話「眷属化」
女性が不思議そうにしていると、上空からレドッグとファンファニフ、アスティが下りてきた。
「!! 人間ッ」
ファンファニフは女性の姿を捉えた瞬間、彼女に斧を向けた。
刃先を向けられて女性は驚くが、別に怯えた様子はなく黙ってジッと見つめる。
(なんで全然動じてないんだよ。死が怖くないのか……ってそういや、こいつ頭おかしい世界の奴だったな)
普通、刃物を向けられれば怖がるはずだが平然としている彼女にヴェンデルは心の中でため息をついた。
間に割って入り、彼女を自分の背に隠す。
「落ち着けお前ら。こいつは会話ができる新種だ。殺すのは待て」
「殺すってどういう……?」
「うわ!? 喋った」
「まじかよこわ」
女性が言葉を出せばファンファニフたちは驚愕し、気味悪そうに苦い表情を浮かべた。
女性は三人の反応に困惑してヴェンデルへ視線を向ける。
「あ、あの。状況がよくわからないのですが……」
「お前は人間だとは思うが、この世界にお前のような思考を持って会話ができる人間種はいない」
「えっ……」
「この世界じゃ、生まれ落ちる人間種は他の生命を襲い喰らう。思考も対話能力も持たず交渉も不可能。そんな人間種に対応するすべは一つ……問答無用で駆逐すること。こちらがやられる前にやらなきゃいけない。全ての種族が人間種を敵として見られている。だからこいつらはお前を殺そうとしてるってわけだ」
「私は、あなたたちを食べようなんて思いませんが」
「それを信じられるほど僕らは甘くないよ。知恵を持った人間種が僕らを騙して後から食おうとしているのかもしれないし」
先ほどまでは爽やかで柔らかい表情を浮かべていたアスティも、人間種の女性を前にして冷酷な視線と冷めた声を投げつけた。
「君のような人間種は初めてだからねえ。それに君が仮に優しい心を持っていても、たぶん君はこの世界じゃ生きていけないよ。人間種は皆の敵、皆の恐怖の対象。そんなのが街に入ればすぐに殺されるし、殺されなくても捕まるか……そうだな、喋れる人間は実験でもされるんじゃないかい?」
「きっとアンタ、死ぬ方がマシな人生を送るわよ。だからそうなる前にアタシが楽に死なせてあげる。光栄に思いなさい。ヴェンデル、そこ退いて」
レドッグがライフルを出してこちらに銃口を向けてきて、ファンファニフも斧を下ろさず殺そうとしていた。
女性はこの状況に怯えることすらせず、顎に手を当てて考え込む。
「……ふむ、せっかく転生したのにリスキルされるのは理不尽ですね」
「お前の死生観どうなってるんだよ。ゲームじゃないんだぞ」
殺されそうになっている状況でも女性は淡々と呟いていた。
彼女が自分の死をリスポーンキルと表現していてヴェンデルは溜め息をつく。
女性の前からは退かずに、ファンファニフたちに視線を戻した。
「ファンファニフ、こいつには手を出すな。これは俺が最初に見つけた獲物だ。どうするかは俺が決める」
「珍しいね? アンタが何かに執着するなんて」
「喋る人間種に研修心がくすぐられただけだ」
ファンファニフは少し懐疑心を覚え、眉を寄せる。
しかしヴェンデルの言葉を聞いて小さく息を吐き、斧を下げた。
「面倒事を抱えるだけなのに……まあ、いいわ。引き受けたからには責任はちゃんと取りなさいよ」
「そうだな……俺の眷属になれば多少は生きやすくはなるだろ」
少し考え込んでヴェンデルは言うが、それを聞いてファンファニフたちは驚愕して目を見開いた。
「ちょっとヴェンデル、それって」
「眷属にはどうやったらなれるんですか?」
女性が問えば、ヴェンデルは魔法でグラスとナイフを出した。
軽く腕を切ってグラスに血を注ぎ、彼女に差しだす。
「血を飲めば魔法陣が展開されて契約が結ばれる。ただ、俺と眷属の契約を交わした奴は俺と同じ魔族に変化するようになっている」
「それはつまり、人間を辞めるっていうことですか」
「ああ。肉体の変容には、かなりの痛みが伴う。飲むか飲まないかはお前の自由だ。飲めば生き残れる。飲まなければいずれ誰かに殺される。それだけだ」
女性はグラスを受け取り、その中の真っ赤な液体をその目に映す。
揺れ動く水面に自身の顔が映り、驚いたように少し口を開く。
(これ、GP2のアバターの顔だ……)
彼女のその容姿は、生前に入り込んだゲームの中にいたキャラクターのものだったのである。
自分の顔とされるものを見つめ、過去の自分を脳内に思い浮かべる。
(この世界の種族の肉体、見てみたいな)
好奇心と興奮で鼓動が早くなり、それにつられて体が自然にグラスを動かす。
女性がグラスを口元に持っていき傾けた、その時――上空から莫大な魔力反応がしてヴェンデルたちは驚愕し空を見上げた。
青空の中の白雲を押し裂いて、天空から巨大な白い手が彼らのもとに迫ってきた。
「まずい、全員離れろ!」
「えっ」
血を飲もうとしていた女性はヴェンデルに手を掴まれて飲めず、彼の転移魔法で少し離れた場所に連れていかれる。
レドッグたちもそれぞれ別の場所に転移するが、先ほどいた場所に巨大な手の平が叩きつけられ突風が吹き荒れた。
ヴェンデルは手を顔の前にやって風よけし、女性は巨大な手に目を見開く。
「な、なんですかあれ」
「……あれは、『神の手』だ」
この世界を創造した神が力を放出して顕現させた物体で、それゆえに「神の手」などと呼ばれている。
手以外にも巨足もあるが、神が世界へ直接明確に干渉することは極めてまれであり手足が出てくることなどほとんどなかった。
ヴェンデルは横にいる女性へ視線を向ける。
「まさかこいつに干渉されたくないのか……?」
巨大な手は地面から離れてこちらへ向き、巨大な金色の魔法陣を展開させる。
ヴェンデルは転移しようと地面に白い魔法陣を出すが、陣に込めた魔力が吸い取られて転移の陣が破壊されてしまった。
飛行しようとするも、何故か少し浮いた直後に落下してしまう。
遠くの方でファンファニフたちが転移しようとしたが魔法が発動せず、急いで走ってくるのが見えた。
「魔法の妨害か。飛行も転移も阻害して、そっちの魔法にはバカでかい魔力を込めやがって……殺意マシマシじゃねえか」
ヴェンデルは冷や汗を流し、顔を引きつらせ巨手の魔法陣へ目をやる。
膨大な量の魔力が蓄積され、巨大な金の光線が勢いよくヴェンデルたちへ放たれた。
彼は女性を担いですぐに横へ走る。
しかし光線の範囲が広く速度も速いため完全に避けることはできない。
すぐそこまで光線が迫って来て、ヴェンデルは地を踏み込んで女性を勢いよく遠くへ投げ飛ばした。
「ぎゃッ!」
女性は投げられ地面を転げて濁った声をもらす。
腰をさすって身を起こし、ヴェンデルのいた方を見て目を見開いた。
ヴェンデルは結界を張ったようだが防ぎきれず左肩と左足が吹き飛ばされ、大量に血を流して地面に倒れた。
「お、お兄さん!!」
女性が慌てて彼のもとに駆け寄る。
それと同時に巨手が再び大きな魔法陣を展開させた。
ヴェンデルの負傷部を手で押さえて止血を試みるが、彼は女性の腕を掴んで制止した。
「逃げろ。アレはお前が俺の眷属にならないようにしたいらしい。また魔法が来るぞ」
「で、でもお兄さんはどうするんですかっ」
「俺なら心配するな。俺たちは人間と戦うとき本来の魂を抜き取って魂の疑似体を入れている。仮にここで死んでも、街で本体の魂を凍結保存しているから、また目が覚める。俺が一旦ここで死滅すれば、あの手も消えるだろ」
「魂の疑似体……」
ヴェンデルの話を聞いて驚きながらも顎に手を当てて少し考える。
「あの手は、眷属化を妨害したがっているんですよね。だったら、死ぬ必要はないですよ」
「早めに血を飲めばいいだけの話です」
女性はそういうと、大量に出血しているヴェンデルの肩に吸い付いた。
苦みと鼻を刺すような独特な臭いに眉を寄せ、赤い血を飲み込む。
同時に、巨手の魔法陣から魔力砲が放たれた。
「! おいッ、逃げろ!!」
ヴェンデルは女性の肩を押して離そうとする。
しかし彼女が血を喉の奥へと流し込んだ直後、女性は目を見開き身体から莫大な魔力があふれだした。
薄紫の魔力の光が巨大な柱となって天に向かって放たれる。
地面に大きな赤い魔法陣が展開され、二人覆う広大な結界を生成した。
巨手の魔力砲が結界に叩きつけられ衝突音を鳴らす。
しかし結界が破壊されることはなく、エネルギーが飛散して砲撃が消えてしまった。
(な……なんだ、この莫大な魔力は。それに魔法妨害を受けずに結界を張れているのは何故だ……)
ヴェンデルは紫の光の柱を前に驚愕し瞠目する。
離れた場所にいるファンファニフたちからでもその魔力の柱は視認でき、三人とも同じように驚いて呆然としていた。
女性が血を飲んでしまったからか、巨手は消え去っていきヴェンデルは小さく安堵の息をつく。
しかしそのそばで女性が咳き込みをしうずくまった。
「げほっ、あが……あぁあッ!!」
頭を押さえて悲痛に声を上げ、徐々に肉体が変化し始めた。
見開いた眼球の瞳孔が鋭くなり、耳がエルフのように尖り伸びる。
歯が鋭さを増し、背中の皮膚が割れて黒い羽が生え服を破って外界へと突き抜けた。
エメラルドグリーンの髪をかき分けて、頭に角が二本現れる。
肉体変化が収まると、魔力の光の柱が消え去っていく。
それと同時に女性は意識を手放してしまった。
巨手が消えて魔法が使えるようになり、ヴェンデルは負傷部を治療して左腕と左足を再生する。
「ヴェンデルー、死んだー?」
遠くの方からファンファニフたちが飛行魔法で飛んできて、彼女の言葉にヴェンデルは呆れた顔をする。
「勝手に殺すな」
ファンファニフ、レドッグ、アスティはそばに降り立ち、地面に倒れている女性へ目を向ける。
「さっきの凄かったな。魔力の柱もそうだが、神の手の攻撃を防ぐなんて普通はできないぞ」
「ヴェンデル。アンタなんか大量に魔力流し込んだりでもしたの?」
「いや、何もしていない。おそらくアレはこいつ自身の魔力なんだろ」
ヴェンデルは女性の額を指で触れ、彼女の中にある魔力を図ろうとした。
しかし指先に電撃が発生し、乾いた音と衝撃が伝わってきてすぐに手を離した。
アスティは怪訝そうに眉を寄せる。
「ですが勇者でもない、普通形態の人間は魔力を持たないはずです」
「一応、今まではそうだったってだけだね。考えられるとすれば……」
「『アイツ』が新しい生命体を生み出したってわけか」
レドッグに続けてヴェンデルは眉間を押さえて呟いた。
ファンファニフは呆れた様子で小さくため息をつく。
「ほんと、御神をアイツ呼ばわりできるのはアンタだけね。今回の任務が終わったら、マグスにはちゃんと説明しておきなさいよ」
「分かっている。セシルや他の奴らにも言っておくが、アテネの吠える姿が目に浮かぶ……」
ヴェンデルは悩ましげに頭を押さえて大きくため息をついた。
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