第46話 燃える、そして
犯行の予告時間まであと一分を切った。
警察は用意した自家発電機を動かしてスポットライトの照射を準備した。
するとどこからともなく秒読みのカウントダウンが聞こえてくる。
「五十、四十九、四十八、──」
電源は七秒前にミスターが落とす手はずだが、そこから
「四十、三十九、三十八、──」
「三十、二十九、二十八、──」
ズボンのポケットに手を入れてリモコンのふたをスライドさせた。
距離は八メートルほど。じゅうぶん受信範囲内だ。
「二十、十九、十八、──」
すると
「ちょっ、ちょっと、地井さん。急にどうしたんだ?」
だがリモコンは左手にあるから動作に支障はない。
「十、九、八、七」
とカウントしたところで館内の電源が一斉に落ちた。
あたりがまったく見えなくなり観客がどよめく。
しかし地井さんの指示どおり片目をつむっていたので、そちらを開けるとわずかながらもいろいろと見えてきた。
「上を見ろ!」
群衆が天井を指しているようだ。そこには
「立体ホログラフィーね」
地井玲香が冷静に分析している。そう、立体ホログラフィー投影装置を館内に仕込んであったのだ。
「照明を入れろ!」
浜松刑事の大声に係員が反応して、すぐにスポットライトが照らされた。
「よし、絵はまだ無事だな!」
俺は仕掛けのスイッチを入れるがすぐに変化は起こらなかった。
「怪盗はどこに行った?」
「絵はまだあるぞ」
「今日は盗めないと諦めたのか?」
その声に木屋輝美は安堵の表情を浮かべている。
「どうやら、これだけの警備に腰が引けたようですわね。さすが窃盗・盗難専門の三課の皆さんですわね。まあ怪盗とやらも面目を潰されたでしょうが、正義は必ず勝つと決まっておりますので」
するとどこからか、なにかが焼けているようなにおいが漂ってきた。
「このにおいは油絵の具……? まさか!」
木屋輝美が“傑作”を見ると額の隙間からわずかに煙が上がっていた。
場内も気づいたようで、あたりが騒然とし始めた。
だが、なぜ額の中の絵が煙を上げているのだろうか。まだ誰もその原因に気づいていなかった。
「ま、まさか……。浜松さん、ライトをすぐに止めてください! 熱で絵の具が溶け出しています!」
「なんだって!?」
浜松刑事も煙を確認すると、すぐにスポットライトを消させた。程なくして館内の照明が再点灯する。
しかし額からはわずかながらに煙が噴き出している。そして明るく揺らめくものがわずかながらに確認できた。
「燃えてる……燃えてるわ、私の絵が!」
木屋輝美が慌てた表情を浮かべる。絵の状態を確認した浜松刑事はすぐに係員に指示を出した。
「誰か消火器を持ってこい! 早くしろ、今ならまだ間に合う!」
「誰でもいいわ! 早く火を消して!」
絵の周りはにわかに緊迫した。誰もがどう手を施してよいのか迷い、
「まさか……、怪盗が作品に火をつけた? どうして? これじゃあ持ち主に返せないわよ?」
あまりの出来事に地井玲香も冷静さを失ったようだ。さすがに本当に絵が燃えるとは思ってもみなかったのだろう。
ここで状況をうまく利用して仮説を述べてみた。
「おそらく……だけど、スポットライトのせいかもしれないな……」
「スポットライト?」
地井玲香の他に
「スポットライトって確かに明るくはなるんだけど、光を当てられた物体を熱してしまうという弱点も存在するんだ。運の悪いことに、油絵の具は熱に弱いし、下のキャンバスも燃える素材だからね」
絵画に照らす明かりとしては選択を誤った、と周囲の人たちに思わせていく。
そう。誰もがそう思うほど、スポットライトは不適切だったと思い込ませたのだ。
「それに、怪盗は立体ホログラフィーで最後に火をつけていただろう? あれもなにがしかの仕掛けに連動していた可能性もあるね」
まあ実際には、ズボンのポケットに入れていたリモコンのスイッチによって絵が熱せられ、火がついた。
だが、スポットライトのおかげで都合のよい言い訳ができたな。
館内の消火器が次々と到着し、浜松刑事たちは急いで火を消そうとした。
一秒でも早く火が消えればダメージは最小限で済む。だから誰もが我先にと筒先を絵に向けて消火しようと躍起になった。
少しすると火が衰えていき、やがて消えていった。
「燃えはしましたけど、被害は最小限だと思います」
駿河が状況を木屋輝美に告げる。
「あなた方があんなものを持ち込まなければ、こんなことにはならなかったんです! 警察の方々、責任はとってくださいますのよね?」
木屋輝美が逆上していた。
まあ無理もない。個展で集客を見込める目玉作品が焼失しようとしていたのだからな。
それをまさか守る側の警察が発火に関与したとは、木屋輝美はまったく考えていなかったはずだ。
そして、木屋輝美にとっての悪夢は、まだ終わっていなかったのである。
ズボンのポケットに入れてあるリモコンのスイッチをもう一度押した。
すると、どこからかコンピュータの起動音がピーと高らかに流れてきた。
そして、木屋輝美と浜松刑事、駿河や地井玲香、秋山理恵、横山佑子、巽孝哉を始めとた大勢の観客の目の前で、“傑作”が額の下側へとゆっくりとスライドしていった。額の底から現れたのは、チップ状に砕かれた布の欠片だった。
「えっ!?」
その光景を見た者は全員絶句してしまった。まさか、あれほどの絵が容赦なくシュレッダーにかけられていくのだから。
「キャーッ」
これにはさすがの木屋輝美も仰天したようで、甲高い声をあげるとともに気を失ってしまった。
絵を奪うはずの怪盗が、絵を完全に処分したのである。それも自称と本来、ふたりの作者の眼前で。
沈着冷静な地井玲香であろうとも、なにが起こったのか、冷静に判断できるようになるまで時間を要した。
「な、なんで、燃えたと思った絵が細切れになっているのよ……」
誰もが愕然とした思いを抱き、顔を見合わせていた。
しかしそこに答えは書かれていなかった。ただ虚しくチップが舞い散るさまを見つめるだけである。
横山佑子と目線が合うと、彼女は首だけで小さく一礼した。
そう、彼女だけが今回の出来事の正体を正確に理解できたのである。
これこそ、怪盗コキアが“傑作”を木屋輝美の手から完全に“奪い去る”ための演出だったことに。
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