第一章 無名の名画
第1話 先枚高校
翌日、都立先枚高等学校の職員室は怪盗コキアの話でもちきりとなった。
体育教師の俺はスポーツ新聞を広げて興味深げに読んでいる。
「
女性の美術教師が尋ねてきた。
「名画『射手座の翼』実は盗品だった、だそうですよ」
「えっ? あの絵って盗品だったの! いや、世の中どうなっているの?」
「しかし怪盗コキアにやられていますから、盗品なのは間違いないのかもしれません」
「じゃあ誰の作なのよ」
「そこまではわかりませんよ」
美術教師をいなしながら新聞を読み進める。
「そういえば
長い髪を青いリボンで結わえた小柄な女性に話が振られた。
「今は父と離れて暮らしているので知りませんよ。いくら父が警視庁の刑事でも、身内だからって教えてくれるはずもありませんし」
秋山
「スポーツ新聞によると、警備の前からすでにスピーカーとプロジェクション・マッピングの機械が仕掛けられていて、窓ガラスを割られたと思い込ませたスキを突いて盗んでいったらしいですね」
「義統くん、じゃあ実際に窓は割られていなかったの?」
女子体操部のコーチである秋山さんは俺の高校時代の同級生だ。
「そうみたいだね。高層ビルだから下を歩いている人に気でも遣ったのかな?」
「盗人がそこまで気を遣う? 普通……」
そこをツッコまれると俺としては困ってしまう。件の怪盗ならそのくらいの配慮はするだろうけど、体育教師としては怪盗の肩を持つわけにもいかない。
「それにしても、窓ガラスを割らずにどうやってビル内の絵画を盗んだんだろう?」
男性の数学教師が割って入ってきた。
「問題はそこですね。もしかして窓ガラスをすり抜けたのかも」
「そんな非科学的なことを教師であるわれわれが信じるとでも思っているのかね」
「いえ、この新聞にそう書いてあるだけで……」
数学教師は紙面を覗き込んできた。
「どれどれ……『現代の魔術、ガラスすり抜けの術』──か」
「そのキャッチコピー、どうにかなりませんかね。今回のことは魔術というより忍術の類ですよ。本当、スボーツ紙は煽るのが好きなんだから」
幼稚園時代から体操に励んでいて、引退した今もトレーニングを欠かさない理恵は、百五十センチにも満たない身体でどうにもやりきれない思いをぶつけてきた。
「実際問題、窓ガラスから入らないで、どうやってビルの中に入ったんだろう?」
数学教師はなにやら方程式を解くがごとくぶつぶつつぶやくと、自分の席に座ってキャンパスノートになにやら書き始めた。こんな数学者がテレビドラマに出ていたっけ。
「まあ『“とんぶり野郎”に勝ち逃げはさせん。必ず捕まえてやるからな』って、父の言い分ですけどね」
「天下の義賊・怪盗コキアを“とんぶり野郎”と言えるのって、やっぱりお父様くらいしかいらっしゃらないわよね」
女性の英語教師が物知りげに理恵へ流し目を送っている。
「泥棒に義賊も蛮族も関係ありません。人のものを盗んでいることに変わりはないんですから」
英語教師は興味深げに新聞を覗き込んでくる。
「どのスポーツ新聞を読んでも“義賊”で通っているわよ、秋山先生。怪盗コキアが狙うのは盗品だけだって、誰もが知っていることじゃない」
「実際にすべて盗品だったという証明はされていませんよね。数多くの盗みを働いて、盗品だけを意図的に報道に載せている可能性だってありますから」
確かに怪盗コキアの盗んだ品物がすべて報道に載っているわけではなかった。耳目を集めるものだけが目立っているから、盗品専門と思われているだけかもしれない。
だが、確かに怪盗コキアは盗品しか狙わない。俺はそう言おうと一瞬考えたが、冷静になって取りやめた。無駄に口を開いてもボロが出るだけである。
「まあ、これで怪盗コキアが新聞に載ったのは五回目ですからね。この段階で“盗品専門”と決めつけるのは時期尚早かと」
「やっぱり義統くんもそう思うわよね。サンプル数が少なすぎるのよ」
理恵は小さな体で大きく胸を張った。数学教師が言葉を継いだ。
「確かに統計的にはサンプル数がまったく足りませんね。二十回くらいのサンプルがあれば統計でも裏付けられるのだけど」
「二十回も盗まれてたまりますか! その前に父がとっ捕まえますよ」
「まあ統計なんてそういうものだから、あまり怒らなくてもいいんじゃないかな。少なくとも報道された五回はすべて盗品だったのは事実のようだし」
彼女の心をなだめるように、落ちついた口調を保った。
「しかしマスコミもだらしないわよね。予告状を出している“義賊”とやらが誰なのかくらい調べなさいよって。犯行の手口をいくら分析したって、逮捕にはいっさいつながらないんだから」
秋山さんの言うとおりなんだよな。すぐれたマスコミならきっと、怪盗コキアが何者なのかを調べているはずだ。そういう情報がいっさい出てこないということは、手がかりもまったくないのだろう。彼らがコキアを“怪盗”と呼ぶのも理解できるな。
「怪盗が目の前にいたら、私が組み伏せてやりますよ。いつでも姿を現せっていうんです」
柔道部コーチが道着姿のまま現れた。大学生時代に体重別日本一に輝いているから、確かに彼なら捕まえられるかもしれないな。まあ、彼を避ければいいだけだけど。
女性の教頭先生が職員室にやってきた。そろそろ朝礼の時間か。読んでいたスポーツ新聞を畳んで机の上に置き、威儀を正して訓示を待った。
すべての教職員が集まっていることを教頭は確認する。
「えー皆さん。今日も学校では怪盗コキアの話題でもちきりでしょう。しかし、われわれは教師であり、悪を許すつもりはいっさいございません。エンターテインメント性の高さから浮かれている生徒に対して毅然とした態度で接し、決して悪を許すような風潮を作らないようにしてください」
この教頭、実は警視庁の浜松刑事の学友だったそうだ。浜松氏が警察へ、教頭が教職へ進んで、それぞれひとかどの人物となっている。だからこそ、昼食時に職員室のテレビで浜松刑事が映ると、彼のクセである“とんぶり野郎”を口ずさむほどだ。意外と学生時代のふたりには恋愛感情があったのかもしれないな。
今月の挨拶担当である数学教師が一礼を促して、皆がそれに従った。
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