第48話 窮地転じて
事件発生から一週間。警視庁の
本人の許可を得て泌尿器科からカルテを取り寄せた土岡警部が、木根誠さんから事情を聞くためだ。
家の中へ案内された土岡警部と男性刑事、そして
皆が腰を落ち着けると、警部が口火を切った。
「木根誠さん、あなたはご自身が“不能”になった原因に心当たりがあるのではありませんか? あなたが最も信用していた妻の佑子さん。彼女が薬を盛ったことに気づいていたはずです」
木根さんはソファに座りながら淡々とした表情だ。
「妻が盛ったんですか? 病院で誰かに薬を盛られたのだと判明しましたが、それが妻だったとは私も知りませんでした」
「ほう、知りませんでしたか」
警部は
「では財前正美さんの携帯電話にあなたの携帯電話からのメッセージが記録されていたのですが、どこで財前さんと顔見知りになったのですか?」
「彼女は単なるネット仲間ですよ。SNSを使っていれば誰だってひとりやふたり、仲間ができますからね」
「ほう、“彼女”ですか」
ここまではきわめて冷静なやりとりが繰り広げられている。
玲香さんは元刑事ということもあり、こういう場には慣れているだろう。素人の私がここにいてもお役に立てそうもないのだけど。
「“正美”という名前は確かに女性に多いですが、男性の名前でもあるのですよ。どうして相手が女性であるとわかったのですか」
「SNSでやりとりしていれば、相手が男性か女性かなんてすぐにわかりますよ。正美さんが女性なのは明白です」
「ほう、そうですか。では話を変えますね」
「あなたが奥様の佑子さんと財前さんが同じ売春グループに属していると知ったのはいつですか?」
「佑子が売春ですって? それは初耳です。帰ってきたらきつく叱らなければなりませんね」
「売春は立派な犯罪行為です。すでに逮捕して取り調べを行なっております。奥様はすでに売春した事実を認めております」
「あいつ、警察に捕まったのか。道理で帰ってこなかったわけだ」
「朝、姿が見られなくなったこと、他に心当たりがあったんじゃありませんか?」
「心当たりなんてありませんよ。それに俺に隠れて売春なんてしていたかと思うと
心底吐き気を催したような表情を浮かべていた。
「では話を戻します。あなたは奥様に薬で“不能”にされた。そして奥様は売春をしていた。嫉妬しなかったのですか」
「嫉妬してどうなりますか。私は現実に妻を満足させられなくなった。それを他人が慰めているのだと聞かされても、致し方なしで諦めるほかありませんよね」
ここで出番がまわってきただろうか。
「私の夫である欣一は、奥様と不倫をしていました。それを聞いたとき私は捨てられたのだと思いました。しかし奥様が売春をしていたのだとしたら、夫は金を払っていたのかもしれません。マンネリ夫婦でしたから他の女性にとられても仕方がないと諦めてもいたのです」
「ほう、あなたの夫がうちのと寝たのかね。慰謝料を請求してもよいのですが」
話し方を間違えたかもしれない。警部が助け舟を出してくれた。
「確かに欣一さんは佑子さんを金で買った。しかしそもそも佑子さんが体を売らなければそうなりはしないのです。金銭で誘った側が悪いに決まっていますよ」
「そういうものですかね」
「そういうものです」
話が均衡してきたかな。
「木根誠さん、あなたは奥様を内偵して不倫だけではなく、売春にも気づかれましたよね。そしてその組織をさらに調べて見つけたのが
玲香さんが話し合いに加わった。ここから追い込みが激しくなるのだろう。
「あなたのスマートフォンをこちらで調べさせていただきたいのですが、よろしいですか? それを調べれば奥様が不倫や売春をしていたと知った経緯や、財前正美さんとのやりとりも残っているはずです。そうすればあなたが財前さんを通して、売春グループのボスである
今回の五代さん殺しの全容が記録されているはずのスマートフォン。これが手に入れば関係者全員を起訴できるはずだ。
「あいにく手元にありませんので、書斎から持ってきましょう」
そう言い残して応接間を後にした。
少し時間がかかっているのか、なかなか戻ってこなかった。すると、ズドンというなにかが爆発したような音が聞こえてきた。
「これは散弾銃の音ですわね。皆様、気をつけてください」
再び応接間に現れた木根さんは散弾銃を持っていた。
「いやあ、すみませんね。つい手を滑らせてスマートフォンを壊してしまいました。これでよければ差し上げますよ」
狂気に満ちた笑い声がこだまする。そして銃口が私に向いた。
散弾銃に怯んでしまい、その場に倒れ込んでしまった。これでは人質にされて木根誠の逃亡を許してしまいかねない。そしてある程度警察を巻いたところで射殺されるのだろう。
なにか変化が欲しい。しかし場は沈黙が支配し、誰もが動けずにいた。
木根さんの注意を反らせるなにか。私は格闘技にも通じていないし、立ち向かっていくだけの度胸もない。反撃のきっかけを生み出す方法なんて見当たらない。
両手を包んで心臓の前に持ってくる。心臓さえ傷ついていなければ散弾銃でも生き残れる可能性があるのかもしれない。
そのとき、あることを思い出した。私はその中ほどを三秒間押し込んだ。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
突然大音量で複数の箇所から警告アラームが鳴った。玲香さんに借りていたブレスレットから緊急通報が土岡警部と玲香さんのスマートフォンに着信したのだ。
木根誠はその音の主を探しに散弾銃を私から刑事たちへと順に巡らせ始めた。
倒れていた私の前を横切った影が、瞬時に木根さんの両腕を手刀で一閃する。玲香さんだ。
取り落とした弾みで銃が暴発したが、銃口が床に向かっていたため誰にも当たらなかった。それを確認したのか、玲香さんは素早く体を木根さんにぶつけると、そのまま一気に床に叩きつけた。そしてうつ伏せにさせると、腕をねじりあげて制圧する。
「さすが、逮捕術の腕は錆びていませんな」
「悠長なことを言わずに、現行犯逮捕してください」
「そうですな。木根誠さん、
警部が目配せすると男性刑事が手錠を取り出して後ろ手に拘束した。
「
ということは、私を狙わせるつもりで連れてきたのか。まあ言われてみれば、誰に向かってくるのかわかっているほうが格段に制圧しやすいはずだ。しかも私は抵抗しようにもその術を知らないから、私の行動は読みやすいのだろう。
「いえ、逮捕に協力できたので、よい体験をしました」
「あとで危険手当はつけますからね。よろしいですね、土岡警部」
「わかってますよ、地井さん。風見さんもご協力ありがとうございました。では応援を呼んで家宅捜索をしてしまいましょう。家探しすればなにか出てくるかもしれません」
「そういえば、スマートフォン壊れちゃいましたね」
「物理的に壊せば調べられなくなると思っていたのでしょうけど。SNSでやりとりしていたのなら、壊れた端末のIDが特定できるだけで証明できるんですけどね」
「えっ、これだけ壊れていても調べられるんですか?」
「まあ記憶回路のいくつかは壊れたでしょうけど、すべてではありませんからね。無傷なチップさえあれば、そこからでもある程度の情報は得られますわ」
(本編完・本日19:30投稿のエピローグへ続きます)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます