第47話 不能の復讐

 状況を整理してみると、木根誠さんがなぜ“不能”になった理由に気づいたのかが最も大きな謎となっている。

 精力絶倫だった人物がある日突然反応しなくなったら、かなり大騒ぎするはずだ。


「木根誠は突然“不能”になってパニックに陥ったはずです。毎日妻の佑子を抱いていたのに、ある日を境にまったくたなくなったのですから。それであらゆる手段を使って勃たせようと努力した。でもまったくダメだったとしたら。なにか原因があるはずだと思って当然調べますよね」


「そうね。まず勃起不全を扱っている泌尿器科に行くかしら。そこで機能的に問題がないかを確認する。そしてなにか薬を盛られたかもとわかったのだとしたら……」

「木根誠がどの病院に通ったか、すぐに確認します」


 金森さんはすぐさまアプリケーションを立ち上げてキーボードを叩いていく。診療報酬のサーバーから“木根誠”の治療を行なっていた泌尿器科を突き止め、その病院のサーバーに侵入して電子カルテを閲覧する。

 立派な犯罪行為なのだが、それを捜査に役立てていることから、土岡警部が黙認しているようだ。


「興奮してムラムラっと来るがいっこうに勃たない、ということらしいですね。やはりなにか薬物の服用を指摘されています。尿検査と血液検査の結果も出ていますね。えっと、これか。やはり勃起を阻害する薬物が検出されていますね」

「土岡さんにこの病院からカルテを取り寄せてもらいましょう。そのためにもまず木根誠さんからどこの病院を利用したのか聞き出さなくてはなりません。この順番を間違えると素直な聞き取りに失敗してしまいますからね」

 玲香さんが自室へ向かって歩いていく。


「もし警部さんが取り寄せたカルテで木根誠さんの“不能”を証明できたら、なぜ五代さんにたどり着いたか教えてもらえるものでしょうか」

「今はそう考えるしかないですね。他の方法では知らぬ存ぜぬを繰り返されるだけですから」


 木根誠さんは自分の“不能”の原因が五代さんだと確証があったのだろうか。ただの邪推なのかもしれないけど。

「確証がなくてもよかったのかもしれないですね。薬を盛った誰かを罰したいという感情を満たせたらそれで“おん”だったのかも」

「それじゃあ盛ったのは五代さんの指示を受けた佑子さんじゃない可能性もあるってことですよね」

「仕事仲間が彼を“不能”にする意味などないでしょう。彼を抑制したかったのは妻と考えるのが自然です。夫が激しく求めてきて体がもたない、と誰かに相談したとしたら。そこから五代につながるかもしれません。もしかすると売春グループのひとりに相談した可能性もありますからね」


 カツカツと音を立てて玲香さんが戻ってきた。

「そのためには佑子さんや他の女性からも五代氏との関係を聞き出さなければなりません。その依頼はすでに土岡さんにお願いしてありますわ」

「さすが玲香さんですね」

 素直に感嘆した。この限られた情報の中で、やらなければならないことをしっかりと把握している。


「物事には順番があります。まず誠さんの“不能”を特定する。それがなぜなのかをカルテによって裏付けます。カルテは検察を通しての請求になりますが。そしてカルテが手に入ったら、誠さんと佑子さんから経緯を伺うのです。誠さんからは『誰かに薬を盛られた』、佑子さんからは『五代氏から薬をもらった』という供述が引き出せれば、自ずと誠さんが五代氏の仕業だったと結び付けられますからね。そこで誠さんに駄目を押せば、あとはスラスラと自供してくれるはずです」

「それを弁護士を通じてそれとなく財前さんに伝えられたら。事件は一気に解決するでしょうね」


「真実を知ってしまえば、とても単純な事件だったんですね。私はもっと巨大な陰謀に巻き込まれているものとばかり思っていましたけど」


 そう。私は目に見えないものと戦わなければならなかった。相手が見えないからとてつもなく巨大な組織がうごめいていて、私に罪をなすりつけようとしているとさえ感じていたのだ。

 だが、玲香さんの推理によって、殺された五代さんが組織した売春グループが浮上し、関係者はまとめて処罰されようとしている。

 もちろん女性たちは自らの意志で売春をしていたわけではないだろう。金貸しやヨガ教室、マッサージ店などから弱みを握られて、売春せざるをえない状況に投げ出されてしまった。


 おそらく木根佑子さんもご主人の“不能”薬を手に入れた負い目から体を売っていたのだろう。

 もしかしたらきんいちさんもその売春に巻き込まれていたのかもしれない。佑子さんと売春をしたということが弱みとなり、金銭を要求されていた可能性だってあるのだ。


 他人に弱みを握られただけで、人はどうしようもない命令にも従わざるをえなくなる。

 生きている以上、弱みを見せない人などいないだろう。

 悪はそこにつけ込んでくる。

 弱みを握られたとしても開き直れるかどうか。鈍感力を持っていると、人生が好転する機会を与えてくれるかもしれない。



 このまま進めば、五代さんが殺害された事件は解決を見るのだろう。

 事件が発生してからまだ一週間も経っていない。あっけないほどの短時間で、真実にたどり着いてしまった。これもひとえに玲香さんの推理力と洞察力、金森さんのハッキング力があったればこそ。それなくして、ここまですぐに特定するのは困難だったろう。


 土岡警部から玲香さんを紹介されたのはまさにぎょうこうだった。

 もしふたりに出会わなければ、私は殺人の汚名を背負わなければならなかったはずだ。少なくとも長期間殺人事件の容疑者として取り調べを受け、ご近所から白い目で見られていただろう。


 欣一さんは不倫をやめて私のもとに帰ってきた。

 これで火野さんと隠れて会う必要もなくなった。夫婦関係も改善して、毎日が充実してきたのは、間違いなく玲香さんと金森さん、そして土岡警部のおかげだろう。


 火野さんとけじめをつけるためにテニスクラブを辞め、代わりにお世話になった地井探偵事務所で助手として働くことになった。これもひとつのめぐり合わせなのだろう。

 私ごときがおふたりの力になれるとは思えないけど、掃除・洗濯・食事の面でいくらかでも貢献できるはずだ。


 そして、事件が発生してから一週間。大きな転換点を迎えるに至った。




(次話が第六章および本編の最終回です)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る