第42話 “旅”

 警視庁から預かっただいともゆきさんとざいぜんまささんのパソコンとスマートフォンを、かなもりさんが段ボール箱から出してメインコンピュータに“あのケーブル”でつなげていく。


 金森さんの話だと、OSレベルでアクセスが制限されていても、それを突破してセキュリティーをだますように作られているらしい。

 そしてケーブルには吸い取る機能しか持たせていないのだとか。

 こちらから端末側に信号を送るとセキュリティーが身構える。しかし、単にデータを読み取るだけならセキュリティーが働かないのだという。


 詳しい原理はわからなかったが、つまりセキュリティーを騙してデータを吸い取る“魔法のケーブル”なのである。

 しかもメインコンピュータは最新鋭の量子コンピュータの技術が用いられており、どんなに複雑なパスワードも一瞬で突破できてしまう。


 “天才ハッカー”の腕前を最大限に引き出す設備が整っているのも、探偵事務所が警視庁から一目置かれている理由なのかもしれない。

 警視庁は予算の中でしか活動が許されていないからだ。


 さっそく端末の解析に入る。するとすぐに百件以上がヒットしたようだ。


「百件以上だとは驚きましたわ。これだけ露骨にやりとりしていても、ちょうを使えば警察の目もあざむけるわけですわね」

 金森さんが最初のメールを確認するが、なんの変哲もない日常の文章が書かれていた。

 これはいったいなんの符牒なのか。それがわからないかぎりただ日常を綴った文章に過ぎない。


「金森さん、頻出ワードを検出してください」

 キーボードがカタカタと打ち鳴らされる。入力スピードの速さには驚くほかない。マウスで「OK」のボタンを押すと、百件以上のメールからよく使われる言葉、つまり“頻出ワード”が表示されるのだという。


「いちばん多いのは“旅”ですね。“旅行”や“日帰り旅”、“一人旅”などで用いられています」

 五代さんと正美さんは旅仲間なのかもしれないな。


「おそらくこれが符牒でしょう。なんの符牒なのか、まではわかりませんが」


 そうか。もし本当に旅仲間なら警察が関係を突き止められるはずである。だが警察は関係をつかめていない。


「旅じゃないってことは、殺人ってこともあるかもしれませんね。でも、もしこれが殺害依頼なら、これまで百人以上が始末されているかことになってしまいますが……」

さんのおっしゃるとおりです。殺人ではありませんわ」


「この量からすると、デートの約束かもしれませんね」

 金森さんが思いついた言葉を投げかけたようだ。


さんに恋い焦がれている財前さんが、イベント会社経営だからと五代氏へ気持ちが向かうものでしょうか。そもそも今回の事件は肝心の火野さんが由真さんに奪われたと思ったところに端を発しているのですから」


 れいさんの言うとおりだ。

 もし正美さんが五代さんとデートをしているのであれば、火野さんと食事に行ったくらいで私を殺人犯に仕立て上げようとは思わなかったはずだ。


「それだと不倫もなさそうですよね。五代さんが妻帯者というわけでもないようですし、取り立てて符牒でやりとりする意味がありませんから」

 そう考えるのが妥当だろう。しかしこれに玲香さんが食いついた。


「デートに不倫ですか。これはひょっとするかもしれませんわ」

 生き生きとした表情を浮かべている。こういうときの玲香さんはひじょうに頼もしい。

「ちょっと難しいかもしれませんが、五代さんの端末で、同じく“旅”を用いているやりとりをすべてピックアップしてください」

「少しお待ちください。えっと、五代の端末だけをスキャンして……と。財前とのやりとりは省いたほうがいいですか?」

「そうね。フィルタリングしてリストからは外してください」

「了解です」


 キーボードで命令を打ち込むと、結果を表示するウインドウに千件を超えるメールが抽出された。


「千件以上ですか。デートの可能性は低いですね。まあここ五年くらいこの端末を使っているのなら別ですが」

 となれば不倫だろうか。


「これを送り先の端末別に抽出し直してください」

 金森さんが手早く操作するとすぐに表示された。

 都合十二の端末に送られているようだ。

「仲間が十二人。財前と端末の持ち主五代氏を入れて十四人ということになりますね」


「問題はなんの仲間か、ということですわ」

 玲香さんはこめかみを人差し指で叩きながら思案している。

「この送り先の端末の所有者を特定しましょう。なにか見えてくるかもしれません」


「そんなことができるんですか?」

 唐突な発言につい驚いてしまった。

「携帯電話なら携帯キャリアのデータベースに載っていますからね。今は格安スマートフォンが市民権を得ていますが、それらは結局のところ大手の通信回線を間借りしているに過ぎないのです。なので誰の端末かは容易に特定できますよ。難しいとすればパソコンでやりとりしている場合ですね。住所を特定するのは容易ですが、誰が使ったのかを特定するのが難しいんです。独り住まいなら特定できるんですけど」

 金森さんの腕を持ってしてもわかりかねる問題もあるようだ。

「ただ、ここに載っているすべてのIPアドレスは携帯電話に割り当てられているものですね。これなら使用者を特定できます」


 デスクトップから特定のアプリケーションを開いて、そこに抽出されたIPアドレスのファイルをドラッグ・アンド・ドロップすると、瞬時に名前が表示された。

「えっと……名前だけ見ると女性が多そうですね。中性的な名前も女性だと判断すれば、すべて女性である可能性もあります」


「五代氏とやりとりをしていた女性が十三人。しかも“旅”が符牒……」

 玲香さんが頭を悩ませている。


「これ、犯罪なのは間違いないのではないですか?」

 ふたりが私を見つめてくる。

「たとえば覚醒剤などの薬物なら、使用することを“トリップ”というくらいですから、“旅”を符牒にしてもおかしくはありませんし」

「薬物でつながりがあるかもしれない……。“旅”という符牒も納得がいくわけね」

「とすれば『誰々と旅に行きました』という内容なら、その人から薬物を入手せよ、またはその人に薬物を渡せってことになりませんか」


つちおかさんに財前さんの薬物検査をやってもらいましょう。覚醒剤にしろ麻薬にしろ、憶測だけでは特定できませんから」

 玲香さんはそういうと懐からスマートフォンを取り出して自室へ向けて歩いていく。



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