第36話 裏取り

 つちおか警部から探偵事務所へみずたにこうが本庁の取調室に入ったと連絡が来た。

 移送中に彼が指名した弁護士はすでに到着しているとのことだ。


「いよいよ事情聴取ですわね。どんな供述がとれますでしょうか」

「正直に口を割りますかね?」

 きんいちさんは玲香さんに聞いてみた。

「おそらくあがけるだけあがくと思います。決定的な証拠を突きつけないかぎりは、ですが」

「あの“現場に舞い戻っていた写真”が決め手になるのでしょうか?」

「いえ、あれはなんとでも言い逃れできます。顔の似た人は日本人だけでも三人はいますからね」


 では先ほど引き伸ばした写真の意味がないような気もするのだが。

「ですから、あの写真は決定的な場面で初めて切れるカードなのですわ。最初から出してしまうと効果はありません」


 取り調べのやり方まで精通している。これが“非合法の推理探偵”の実力なのだろうか。

「私も元は刑事ですわ。ですから取り調べ方などもいちおうは心得ております」

 物腰の柔らかさから土地成金が趣味で探偵をしているものと思っていたが、元は刑事だった。やはり敏腕だったのだろうか。

「土岡警部は上司でした。私は家業を継ぐために警察をやめざるをえなかったのですが……」


「土地取引、不動産取引は警察の副業では当然やれませんよね」

「ええ。ですので父が死んで家業を継ぐと決めたときに退職致しました」

「では金森さんも元刑事なんですか?」

「金森さんは私がスカウトしましたの。情報分析や解析だけでなくネットワークへのハッキングが得意な人がいないか、父の情報網を活かして探し出したんです」

「ですので、最初にスカウト依頼が来たときはびっくりしましたよ。なぜこちらを突き止められたんだろうって。それだけの情報網があるとわかって、ぜん興味を持ったんです。これでいくらでもハッキングし放題だって」

 にこやかな金森さんがキーボードを叩く手をいったん止めた。


「設備に糸目はつけませんでした。警察を辞めてからは、世界一の情報が手に入る、最強の探偵事務所を開こうと決めていたんです。幸い父の遺産は莫大でしたからね。そのぶん相続税もたんまりかかりましたけれども」


 それでも警視庁にほどちかい場所にオフィスビルを構えているのだから、どれほどの財を受け継いだのか。考え始めたら空恐ろしくなってきた。だが、今は水谷さんの取り調べの推移を見守るしかない。


 ここでも私を犯人に仕立てようとするだろう。土岡警部がどれほどの確信を持って相対するのか。そのあたりでこちらの進退も定まってくるかもしれない。


「水谷さんが厄介なのは、自分の思い込みから犯行に至ったからですわ。ですので誰かと共謀した証拠が残っていません。だいともゆき氏を殺害するに足る関係線も引けないくらいですので」

「ですが私も五代さんとは関係がまったくありません。そういう意味では私も疑われる可能性は高いですよね。おそらく水谷さんも私が犯人だと主張するでしょうし……」


「そこに付け入るスキがあります。今回の事件、表向きは“イベント会社経営者”が殺された、としか報じられておりません。容疑者は不明ということになっています。なのに五代朋行氏とさんの名前を知っていること自体、彼が犯人であることの証左となりえます。なぜ五代朋行氏を知らないはずなのに被害者の名前を知り、容疑者として由真さんの名前を知っているのか。これは本来知りえない情報なのですわね。そもそもなぜ由真さんを知っているか。その認識がザルなのです。由真さんは水谷航基さんをご存じでしたか?」


「いいえ、まったく……。そうか、私が知らないのに水谷さんが私を知っていること自体が私を陥れようとする罠なのかもしれませんね」

「そういうことですわね。もし水谷さんの取り調べで、被害者の五代朋行氏や容疑者の由真さんの名前が出てきたら。彼が犯人である証拠となりえます。あとは取り調べで誘導尋問をしなければ、裁判所に提出できる立派な証拠になるのですが……」

 警視庁にそれほど野蛮な刑事がいるとも思えないのだが。


つちおかさんが自ら尋問しているのであれば問題はありません。ですが若い刑事の中には手柄を挙げようと勇み足で誘導してしまう人もいらっしゃいますからね」

 水谷さんからなにか決定打となる発言を引き出せるのか。警察の手腕が問われているわけか。


 ピコーンとチャイムが鳴った。

「土岡警部から緊急です。当日の水谷のアリバイを確認されたし、とのことです」

 金森さんがメッセージを読み上げる。

「確認しますわ。……調布市の立ち食いそば屋でたぬきそばを注文し、汁をまかして白いシャツに大きなシミを作った、ね。これは駅併設の立ち食いそば屋のようね」

「場所を確認しました。防犯カメラのデータにアクセスします」

 金森さんは素早くキーボードを叩いて立ち食いそば屋のデータにアクセスした。事件同日を再生すると、水谷さんと思しき人物が映っている。

 これだけを見ると鉄壁のアリバイに思える。ただしこれが水谷本人であれば、だが。


「これは水谷さんではありませんね。似ていますが、何者かの変装でしょう」

「えっ、これ変装なんですか?」

「ええ。夏場でこれだけ目深に帽子をかぶるのは不自然です。それにここぞというアリバイにもってこいのシチュエーションだと思いませんか? つゆを白いシャツにまかしたなんて、偶然にしては出来すぎですわね」

「ただ、それだけだと推測にしかならないんですよ。映像を解析して嘘を暴かないかぎり、水谷さんの主張が通る公算は大です」

 確かに金森さんの言うように、推測だけで水谷さんのトリックを暴くのは難しい。なにか確証がないと。


「金森さん、今の映像、もう一度見せてください」

 玲香さんがなにかヒントを得たような表情を浮かべている。それに気づいたのか、金森さんが素早く早戻しして再び再生する。

「……やっぱり」


 さすがに“非合法の推理探偵”だけあって、なにかを見つけたようだ。


「この映像の男性、右手でそばを食べています。左利きの人でも右手で食べる人がいないわけではありません。ですがたいていの人は、繊細な動きができるほうの手で箸を使うものなんです。箸はさまざまなものを摘まなければなりませんから」

「ですが左利きでも右手で食べる人はいるんですよね」

「土岡さんに確かめてもらいましょう」


 そう言うと玲香さんはスマートフォンで土岡警部に連絡した。どんな作戦を思いついたのだろうか。

「じゃあ土岡さん、よろしくお願い致します。それでは」



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