第32話 絞られた容疑者 (第四章最終話)
被害者である
「これで東京にいた
被害者の傷口から“犯人は左利き”と思われているが、なにも右利きの人物が左手で凶行に及んでもよいわけなので、利き手はあまり問題にはならないのかもしれない。
推理小説ではよく「利き手」が決定的な証拠となって犯人を追い詰めるのだが、その程度の知恵は犯人の側にもあるだろう。
であれば右利きの
私の考えを聞いていた玲香さんが同意する。
「おっしゃるとおりで、左手でナイフを刺したから“犯人は左利き”はある種の暴論でしょう。右利きの人は左手をまったく扱えないかのようなミスリードをしてしまいがち。わたくしもそのあたりがどうにも決めかねていまして。ですが由真さんのおっしゃるように、財前正美さんは女性であり五代朋行氏の抵抗を抑え込めるほどの力は持っていないでしょう」
「ということは、同じ論理で
「そうなりますね。残されるのは男性で、強い動機があるのは
「ということは水谷が真犯人で決まりですか?」
欣一さんが玲香さんへ問いかけた。
「わかりません。状況は水谷さんが真犯人であることを示していますが、当人から供述がとれていませんから。そして水谷さんにたどり着くためには、彼につながる証拠か推論を見つけなければなりません」
「正美さんを愛していた、というだけでは証拠にならないのですか?」
玲香さんが胸の下で腕を組んでいる。どうやら胸の重さを紛らわせているように見える。スタイルが良すぎるのも考えものかもしれないな。
「そろそろ土岡さんが戻ってくるはずなんですけど……」
「すぐ確認します」
「どうやら到着したようね」
玲香さんが入口まで行ってセキュリティーを解除し、ドアを開けた。現れたのは土岡警部だ。金森さんのパソコンまで歩いてきた。
「地井さん、これが遺体と現場を撮ったネガです。お預けできないので、私がいる間に解析してください」
「わかっております。金森さん、さっそくこれを解析してください」
「わかりました」
金森さんはすぐに暗室に入ってネガを複製するという。二十分もすると暗室から出てきて複製したネガをスキャナでパソコンに取り込んでいく。プレビューからどこを拡大したいか指定する画面になった。
「玲香さん、なにを探せばいいんですか?」
「人工物よ。自然の葉とか草なんかを探しても今回の手がかりは見つからないはず。現場にあったというコンビニエンスストアのレシートと空のコーヒー缶を探してください。その位置が知りたいので」
「それでは探してみます」
頼んだわよと答えた玲香さんは、冷蔵庫からペットボトルのお茶を湯呑に入れて土岡警部に振る舞った。
「いや、助かります」
一気に飲み干していく。そこに追加でお茶を注いでいる。
「それで水谷航基さんのほうはどうなりましたでしょうか。由真さんを陥れる線で捜査は始まったのですか?」
「それですが、本当に地井さんの言うとおり、五代朋行氏の周辺を探らなくてよいのか。捜査本部で少しいざこざがありましてな。それで班を分けて捜査を進めることになりました」
「それが賢明だと存じますわ。五代朋行氏には殺されるだけのなにかがあったはずですから。それから先ほど由真さんのアリバイ工作を手伝っていた官渡祥子さんから連絡がありました。野辺山駅で明らかに変装をした人物を見ているそうです。服装や体格などを確認したところ、殺された五代朋行氏で間違いないでしょう」
「そこまでわかりましたか。こちらも野辺山駅の監視カメラの映像を押収するよう山梨県警に伝えておきます」
「これで事件当日まで被害者が生存していたことになりますので、東京にいた人物は全員犯人ではありません。また五代朋行氏の抵抗を排して二箇所刺しているので、筋力がある人物である可能性が高いですわ。これで女性は消してよいでしょう」
「となると、犯人は……」
「現状では水谷航基さんだけですね」
「先ほど地井さんのご指摘を受けて、さっそく水谷の身柄確保に動いています。参考人聴取ということで本庁に引っ張ってくる予定です。拒否されたら部下から連絡が来るはずです」
これで犯人は見知らぬ水谷さんで決まりなのだろうか。
まだなにか見逃しているような気がするのだが、それがなんなのか。素人の私には思いもつかなかった。
「水谷が立ち寄りそうなところを調べないといけないのですが、すでに住所と勤務先は把握しています。身柄を確保し次第、勤務状況を確認致します。まあ犯行が日曜なので、通常通り勤務しているはずではありますが」
「ちなみに水谷さんは今なにをされていらっしゃるのですか? テニス、というわけでもないんですよね」
「水谷も大学で火野や正美とともにテニスをやっていたようですが、プロに進んだ火野と違い、スポーツ用品製造会社で勤務していますな。どうやら火野を道具の面からサポートしたかったようです」
「つまり火野さんのために人生を費やそうと腹をくくっていたわけですか」
「そんなところでしょうな。だから今回大学時代の友人のひとりでもある正美が火野から袖にされたとき、自分たちの距離感が壊れるのを恐れていた可能性があります」
「それは性格分析ですか?」
私には理屈のわからない話が繰り返されていて、どうにも飲み込めない。
「プロファイリングの一種ですわね。わたくしは現実的な証拠を集めて推理しますが、警察では効率を考えてプロファイリングで犯人を絞り込む捜査をしておりますので」
「玲香さんも元は刑事さんだったりします?」
「あら、よくわかりましたね。私も土岡さんの下で働いていましたの」
物腰の柔らかい美人探偵が元刑事。
あまりのギャップにきょとんとしてしまった。
(第五章へ続きます)
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