第31話 明らかに変装した男

 エアコンが効いているにしても、薄ら寒さを感じざるをえない。

 私がきんいちさんの浮気をさんに相談したことが、まわりまわってひとりの人間の死を引き起こした。


 それがたとえ邪推からであっても、その可能性が否定できない以上、私にもなんらかの責任があるのだろうか。


 まささんがお付き合いしていた火野さんを私に奪われたと感じたのは、独占欲の強い女性だったのならば致し方ないことかもしれない。

 そのやりきれない感情を目の当たりにした水谷さんが、火野さんから私を引き離すために、罪もない人を殺した。

 そして私のアリバイ工作を逆手にとって容疑者に仕立てようとした。


 であれば、私はこの殺人事件のキーパーソンとなっているのは間違いないだろう。でも、殺人犯に仕立てられるほどのことではないようにも感じている。

 だからこそ、顔も知らない水谷さんが私に抱いた悪感情の強さには戦慄を覚えざるをえない。いや、知らないからこそ、疑獄に落とし込めるのではないか。

 もし私が水谷さんと顔見知りだったなら、私を殺人犯に仕立てようとは思わなかったのではないか。

 誰とも知らない相手だからこそ、最大の罪を着せるのにちゅうちょがなかった。


 まるで戦争ゲームの捨て駒のひとつと見なされていたのかもしれない。

 私自身にしてもそうだし、殺されただいともゆきさんにしてもだ。


「由真さんが五代朋行氏を殺せなかったのは、状況が物語っています。可能性があるとすれば、火野さんと共謀してイタリア料理店近くで五代朋行氏を殺害し、食事の後に死体を八ヶ岳まで運んで遺棄した、というところでしょうか。しかし由真さんにしても火野さんにしても、八ヶ岳に行った形跡がありません。つまり誰かに遺体を運ばせないかぎり、由真さんと火野さんが犯人であるはずがないのです」


「もしかしたら、水谷という男が運んだ可能性はあるのではないですか?」

きんいちさんは奥様を疑っておいでなのですか?」

「いえ、そんなことはありませんが……」

 夫は慌てて否定した。


「もし由真さんと火野さんが手を組んでいたとして、運び人として最適なのは第一発見者のただひとさんですわね。彼なら未明に入山していますし、第一発見者でもありますから。ですが第一発見者になってしまうと由真さんに疑いが向くのは誰の目にも明らかです。依頼を受けた比嘉さんが雇用主を売る真似をするでしょうか? 最悪の場合、報酬はもらえず、死体遺棄罪を問われて自分も監獄行きですからね」

 話を続けていると、私のスマートフォンの着信音が鳴った。かんしょうさんからの通話である。

 玲香さんに断って、電話に出た。


かざさん、私です。官渡祥子です〕

「祥子さん、なにか気づいたことがあったのですか?」

〔はい。殺人事件のあった日の朝、入山口に近いJR小海線の野辺山駅に行ったんです。いつもそこから“なりすまし”を始めていましたので。そのとき、明らかに変装しているとわかる男性を見たんです。あまりにも露骨な変装だったので記憶に残っているのですが。もしかしたら有名人がお忍びで登山に来たのかな、と思っていました。まれにいるんです。変装して登山している芸能人が〕

「明らかに変装している男性を見た……。もしかしたらそれが犯人かもしれないですね」


「明らかに変装している男性……? 犯人……?」

 玲香さんが電話を代わってほしそうだ。祥子さんは私を信用してくれて話してくれたと思うから、代わってよいものか。

「あの、今探偵さんと一緒にいまして、その方が話を伺いたいようなのですが、祥子さん代わってだいじょうぶですか?」

〔……はい、かまいません。由真さんの疑いが晴れるのであれば……〕

 彼女に断って玲香さんに引き継いだ。


「そちらでお会いしました探偵のれいです。今のお話を詳しく伺いたいのですが、よろしいでしょうか」

〔どのようなことでしょうか。私が記憶している範囲でお答え致します〕

「ありがとうございます。その変装していた男の背格好はどうでしたか? 背が高いとか細身だとか。具体的に身長が何センチだ、体重が何キロだなんてわからないでしょうから。祥子さんから見た背格好を具体的にお願いできますか?」

〔身長は私よりは高かったですね。私が百五十七センチで、その男は目立って高いというほどでもなかったので、おそらく百七十センチ前後だと思います。体重はわかりませんが、それほど太って見えませんでした。中肉と言っていいと思います〕

「その人物はメガネをかけていましたか? たとえばサングラスとか」

〔えっと、かけていませんでした。早朝の登山でサングラスはかえって目立ってしまいますから〕

「ありがとうございます。おそらくそれは亡くなられた五代朋行氏本人でしょう」


「ええーっ!」

 つい仰天してしまった。するとすぐにかなもりさんがキーボードをタイピングしてモニターに情報を表示させた。

「これをご覧ください」


 表示された資料を読んでみると、確かに亡くなった五代朋行氏は百七十前後で中肉である。だが、それだけでなぜ五代朋行氏と断定できるのだろうか。


「亡くなった五代朋行氏はコンタクトレンズを装着していたと警察の資料にあります。彼は通常メガネを愛用しているんです。だからなぜコンタクトレンズを着けていたのか、警察は疑問を抱いていたんです」

「それでは由真さんに電話を代わりますね」

 そう言うと玲香さんは私のスマートフォンを返してくれた。


「その情報は警察の方にも話しておいたほうがよいと思います。おそらく犯人を探すのに役立つはずですから。その変装男と接触している人物がいたのかいなかったのか。駅や売店などの監視カメラからなにかわかるかもしれませんからね」

〔わかりました。それでは山梨県警の刑事さんにも連絡を入れておきます〕

「またなにか思い出したことがあったら、遠慮せずに連絡してくださいね。私の疑いだけでなく、祥子さんの疑いも晴らせるはずですから」

〔そのようにさせていただきます。それでは今回はこれで〕

「ありがとうございました」


 通話が切れた。


「その変装男を映像で確認したほうがよさそうですわね。すぐに調べてみましょう。金森さん、お願いします」

 キーボードをタイピングして次々とウインドウが開いていく。それを適宜閉じていきながら、動画ページが現れた。

「野辺山駅の監視カメラのデータにアクセスしました。これが事件当日の朝の動画です」


 マウスをクリックして動画を再生させる。

「おそらくこの人ね。金森さん、拡大してください」


 拡大すると粗い映像である。

 確かにデジタルではアップにするとなにが写っているのかわかりづらい。


「やはり、これは五代朋行氏ね。発見された着衣と同じです。登山とは似つかわしくない格好ですわね。かつらや付けヒゲは犯人が持ち去ったのでしょう」




(次話が第四章の最終回です)

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