第30話 偏愛

さん、現場でお会いしたれいと申します。私からふたつお伺いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」

〔……はい、かまいませんが……〕


「あなたはだいともゆき氏の遺体に触れましたか? または動かしましたか?」

 これにも即答はなかった。

〔……いえ、顔が変色していてゾンビのように見えて仰天してしまったんです。で、とっさに『死体だ!』と叫びました。でも誰も気にも留めずに通りすぎていくので、僕が警察に通報しました〕

「では、通報して騒ぎになったとき、遺体に近寄ってきた人物の顔は憶えていますか?」

〔……いえ、僕の様子を見ていた何名かが下りてきましたが、顔は憶えていません〕

「わかりました。私からは以上です。ありがとうございました」

 つちおか警部に通話を代わった。

「それでは山梨県警の方に代わってください」


 警部は比嘉さんの再聴取の手続きを進めるよう山梨県警に要請した。金森さんがまたパソコンを操作して音声共有を解除した。

「彼の言ったことに間違いはないでしょう。いちおうのつじつまは合っていますから」

「ということは、彼も殺していないのでしょうか?」

 玲香さんに問いかけてみた。

「そうですね。もし彼が殺したのであれば、遺体の服などに指紋を残しているはずです。しかし触ってもいないし動かしてもいないと述べていますから、彼がどうにかするには手袋を着用していたことになりますが。その場合でも指紋が付いたおそれを考慮して『触れたかもしれません』くらいは言うのが筋です。ですので彼は五代朋行氏を殺していないでしょう」


「では、残る容疑者は……」

ざいぜんまささんとみずたにこうさんですわね」


 正美さんの顔を思い浮かべた。あの綺麗な方が人を殺せるのだろうか。

 火野コーチを取り戻すためとは言え、私を罠にはめて罪を着せようとするのだろうか。どうにも合点がいかない。


さん、推理に先入観は持たないでくださいね。美しい薔薇にはトゲがあるものですわよ」

 どうやら私の顔色を読んでいたようだ。

「でも、正美さんには殺せないと思いますけど……」

 そう言ったときに以前聞いた話を思い出した。


「そうだ! なにか違うと思っていたんです。正美さん、たしか右利きでした。犯人は左利きなんですよね? それなら正美さんは犯人ではありません」

 金森さんがキーボードを高速でタイピングすると、『財前正美』と書かれたウインドウを表示する。そこに写っている画像では、彼女はテニスラケットを右手に持っていた。

「どうやらそのようですわね。でも決め手にはなりませんわ。当面の犯人を水谷航基さんに絞り込めたとは思うのですが、まだ情報が足りません。警察もまだ彼には接触していないようですし。そうですわよね、土岡さん」

 電話を終えた警部が話を継いだ。


「水谷航基はまだ捜査線上には浮かんできていません。これまで五代朋行氏の方面から犯人を探していたのですが、彼とは接点がないんですな。しかし、由真さんを陥れようとする人物という観点から捜査してみましょう。そこで水谷と接触できれば論理も破綻せずに聴取できると思いますな」


「もしよろしければ、五代朋行氏の遺体を撮った写真のネガと、現場に残っていた遺留品を撮った写真のネガをお借りできませんか? 金森さんに解析してもらいたいのですが」

「それで水谷航基にたどり着けるのでしたらお貸ししましょう」

「こちらで解析している間に、できれば事情聴取を始めていただけますか。その際に手袋の所持を確認していただけたら話が早いでしょう」

「そうですな。夏場なのに手袋を所持する理由も知りたいところですし。こちらの動きを読ませず出し抜けに声をかけられたら、処分する時間もないでしょうな。それではちょっくら本部に寄って、ネガを借りてきます」

 玲香さんがそれに付き従って、出口のセキュリティーを解除する。

「ではまたのちほど」

 警部は廊下へと立ち去っていった。


 室内へ戻ってきた玲香さんが右手の人差し指を立ててかるく振りながら歩いてきた。

「おそらく五代朋行氏を殺害したのは水谷航基さんで間違いない。その動機は財前正美さんのため。それまで付き合っていたたけあきさんを奪った由真さんに濡れ衣を着せて罪をかぶせるのが目的……」


 現在想定される事件のあらましだが、なにか腑に落ちない顔をしている。端正な顔立ちは見る者を吸い込むような魅力を放っているが、言葉がそれに伴っていない。


「そもそもなぜ由真さんを陥れるために、水谷さんにも財前さんにも、そして由真さんにも接点のない五代朋行氏が選ばれたのか……。どうにも根本的な情報が不足しているようですね」

「先ほど話に出ていたように、行きずりの犯行ではないのですか?」

 きんいちさんが疑問に思ったようだ。

「確かに由真さんに罪を着せられれば誰を殺そうと関係はなく、そのため手をつけやすかった人物が選ばれた……ように見えます」

「見える、ですか?」

 玲香さんが欣一さんの後を受ける。


「ええ。人を殺すというのは、人間では極限の判断が必要とされるのです。それを行なうことで自らがそれに見合った莫大な利益を得られない人物を殺せる人はまずいません。自らも死刑になる可能性すらありますからね」

「水谷が殺人狂だったとしたら?」

「それなら水谷さんは他の人物を殺していてもなんら不思議ではありません。つまり快楽のためだけに人を殺したい。彼の周りに死者の情報が集まっている可能性も否定できないのです。でも水谷さんの周りはひじょうにクリーンです。誰か行方不明になったとか、突然死したとか、そういったきな臭い情報がいっさいありません」


「ということは、水谷さんは正美さんの最大利益のために五代さんを殺したのですか? それが彼の最大利益に適うのでしょうか?」

 疑問は尽きない。玲香さんは腕組みを解いて説明を始めた。


「重要な点はそこなのですわ。財前さんの最大利益が、水谷さんの最大利益と合致するのかどうか。もし水谷さんが財前さんの幸せを彼自身の最大利益とみなしていたとしたら、確かに今回の殺人も半分は説明がつくのですが……」


 私はふと抱いた感想を口にした。

「それって、水谷さんが正美さんを愛していた、ということでしょうか?」

「愛していた……。おそらくそれですわね」

「そうなんですか?」


「愛する人に幸せになってほしい。でも今財前さんは悲嘆に暮れている。付き合っていた火野さんが由真さんに奪われてしまったから。もう一度財前さんが火野さんと付き合って結婚してくれれば幸せになれるはず。だから由真さんを火野さんから引き離そう。できれば金輪際復縁できない形で……」


「それが私に殺人の罪を着せることだった……」

 そう思い至ったとき、なぜか薄ら寒い心地がした。



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