第29話 奇門遁甲の手帳
「この八名のうち最初に疑われたのが、現場から発見されたコンビニエンスストアのレシートとコーヒー缶から指紋が採取された
私は胸を撫で下ろした。
「次に
「まあ火野が殺して誰かが運んだ、とも考えられますが」
「それは由真さんにも可能ですわね。デートしていた時間から察するに、ふたりが結託していないかぎりは遺体を運ばせるのも不可能でしょう」
「そうなりますな」
「次に
欣一さんが大きく息を吐いた。やはり疑われる身の上では息が詰まってしまうようだ。
「そもそも今回は由真さんのアリバイ工作を逆手にとった犯行だと思われますので、それを知っていた者がかかわっている可能性が高いのです」
「となればアリバイ工作を担っていた
「いえ、遺体発見時に目撃されている彼女は、その声を聞いてもそのまま下山しております。そもそも登山して頂上でなんらかの痕跡を残し、そこから下山しなければアリバイ工作にはなりませんわね。ですので官渡祥子さんも犯人ではありません」
「そうなると第一発見者の比嘉唯人も怪しくなりますな」
その言葉を聞いて玲香さんが土岡警部に先ほどの話を披露した。
「なるほど。確かに彼の行動には一貫性がありませんな。山梨県警にそのあたりを聴取させましょう」
スマートフォンを取り出して電話をかけている。警部はすぐに確認させる手はずを整えさせた。
「そして残るふたり。
「そういえば……そうですね」
「つまり、由真さんを陥れるために、誰とも関係のない人物を殺した、とも考えられます」
「行きずりの犯行、ですか。道理で五代朋行氏の周辺を洗っていても、誰とも関係線が結べなかったわけですな……」
いつの間にか電話を終えていた警部が答えた。
「もちろん、さらに詳しく調べれば誰かと接点が出てくる可能性はございます。ですが、現状では行きずりの犯行の線が強いのは確かです」
「それで殺された五代朋行氏は哀れとしか言いようがないですな」
警部が軽く頭を左右に振った。
「それではご遺族もいたたまれませんよね。五代さんもまさか殺されるとは露ほども思わなかったでしょうし」
「殺された五代朋行氏が残念なのは確かですが、彼には家族がおらんのです」
思わず警部に目線を合わせた。
「五代朋行氏は早くに両親と死に別れて兄弟もいません。結婚したのですが子も授からずに離婚しています。それで五代氏の遺体を元妻に引き取ってもらおうと思ったのですが、拒否されました」
「拒否なんてできるんですか? 元家族で生きているのは元妻の方だけなんですよね。その方に引き取ってもらえなければどうなるんですか?」
「行政手続きに従って
経営者といえば生前は勝ち組だったはずなのに、死ねば無縁仏とは報われない。五代さんはなんのために人生を歩んできたのだろうか。
「ですので、彼が死んでも悲しむ者がおらんのです。逆に言えば、誰も悲しまないから犯人に狙われた可能性もあります」
「犯人はそこまで調査して殺したのですか? それだったら興信所を使って縁のない人を探していた人物がいるんじゃないですか?」
ちょっと待ってくださいね、と金森さんが言うと、キーボードを高速でタイピングしている。そしていくつかウインドウを開いて表示された内容を精査する。
「わかりました。直近一か月ですが、縁のない人を探すような依頼を興信所では受けていないようですね」
金森さんをねぎらうと、玲香さんは推理を働かせる。
「つまり五代朋行氏は行きずりで殺された可能性が高いわ。彼の周辺を調べても誰ともヒットしないのは単なる偶然、ということになってしまうわね」
「そんな都合のいい話があるのでしょうか?」
欣一さんは素直に口にしたようだ。
「確かにできすぎているな。だが、五代朋行氏を追っても関係がわからなかった説明にはなる。つまり五代朋行氏のほうから捜査するより、行きずりで殺した人物を探し出すほうが早い、か……」
自らを納得させた土岡警部は、すぐさま出口に向かおうとするが、そこに電話がかかってきた。スマートフォンで話を始めると、どうやら山梨県警が比嘉唯人さんと接触できたのだという。
「すみませんが、比嘉さんと代わってもらえますか? いくつか直接質問したいのですが。……はい、お願い致します」
金森さんがパソコンを操作すると、警部の通話内容がスピーカーから聞こえてきた。ということは、あのスマートフォンは金森さんのお手製なのだろうか。それともアプリケーションを仕込んだ可能性もあるのだけれども。
「もしもし、比嘉さんでいらっしゃいますね。私、警視庁の土岡と申します。いくつかご質問したいのですがよろしいでしょうか」
〔……はい、かまいませんが〕
「あなたが遺体を発見したときのことなのですが。あなたは斜面を下りていってすぐに『死体だ!』と叫んだという目撃証言があります。用を足してから気づいたにしては早すぎるように思うのですが」
返答がない。これは図星だったかもしれないな。
〔じ、実は……夜が明ける前にあの場所で用を足しました。そのときは遺体なんてありませんでした。ただ、その場所に忘れ物をしたのがわかったので、用を足す口実でその場所まで戻ったんです。目印をつけてあったので、その場所にはすぐにたどり着きました……〕
「ちなみに、なにを忘れたのですか?」
〔手帳です。
「そうですか。で、その手帳を持ち帰ろうとした矢先に遺体に出くわした、と」
〔はい、間違いありません〕
「だから、下りていってすぐに声をあげたんですね」
〔嘘を言ってすみませんでした……。でもあの周辺を探されると僕の手帳が見つかって犯人にされていたかも、と思ったら言い出せなくて……〕
あの日の八ヶ岳は彼にとっての吉方位ではなかったのだろうか。
そんな単純な問いが浮かんできた。
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