第22話 現場検証

 あれから私たちはいったん自宅へ戻り、登山服を着てからさんの真っ赤なポルシェ・タイカンに乗って八ヶ岳へと向かっている。


 談合坂サービスエリアを出る前に地井さんはつちおか警部へ第一発見者を用意してくれるよう頼んでいた。

 どうやら地元の山梨県民らしいので、山梨県警に捜査協力を依頼しなければならなかったらしい。


さんときんいちさんは事件現場に行くのは初めてですよね」

「はい、どんなところなのかもわかりません」

 一度登山しているものの、どのあたりで遺体が見つかったのかまでは知るよしもなかった。

「私も警視庁の把握するデータを読んだだけですので、どのようなところかわかりかねます。ただ、どうにも気のなる点がありまして。それでカメラを用意してきましたの」

 そういうとシフトレバーを握っていた手を助手席に向けた。そこにはずいぶんと大きなカメラが一台載っていた。


 カメラに詳しいきんいちさんがさっそく食いついた。

「それ、キヤノンのAE−1ですよね。フィルムカメラの」

「よくご存じですね。わたくしたちの商売ではデジタルカメラは使いませんの」

「なぜですか?」

 探偵業なら取り回しのしやすいデジタルカメラではないのだろうか。今はスマートフォンだって高性能なカメラが付いている時代だ。

「フィルムカメラは写真を何倍にでも拡大できるのです。デジタルカメラでは画素数で限界があります。でもフィルムは理論上無限大の引き伸ばしに耐えられますので」

「なるほど。でもフィルムを手に入れたり現像したりするのは手間じゃないんですか?」

「一時期ほどではありませんわ。今は巷でもフィルムカメラが見直されてきているんですのよ。レンズ付きフィルムも売上を伸ばしているくらいですから」

「あ、それ聞いたことがありますね」

 本当、男は興味のあるものにはすぐに食いつくなあ。だから浮気なんてするんだろうけど。


 そうこうしていると、車は八ヶ岳登山道近くの駐車場に停まった。

 後ろから土岡警部たちが車を降りて近づいてくる。


「それではわたくしたちも参りましょうか」

 タイカンのドアを開いたので、私たちはスリッパを脱いでドアの外で靴を履いていく。地井さんはローズレッドのピンヒールを履いている。

「あの、地井さん。これから山登りなんですけど、その格好でだいじょうぶですか?」

 思わず聞いてしまったが、彼女は涼しい顔をしている。

「わたくし、どこへ行くにもこの靴でないと落ちつきませんので」

 落ちつくとか履き慣れているとか以前の問題のような気もするのだが。

 まあ優秀な探偵さんなんだから、その点はだいじょうぶなのだろう。自分にそう言い聞かせた。


 地井さんが大きなカメラを担いでカツカツと音を立てながら登山道へと進んでいく。私たちはそれに続いた。

 入り口には、やはり白のトヨタ・クラウンが停まっていた。おそらく覆面パトカーだろう。中から男性が三名降りてきた。

「土岡さん、地井さん、お久しぶりです。彼がだいともゆき氏の第一発見者であるただひとさんです」

「こちらは現場検証に立ち会わせるかざ由真さんと欣一さんご夫妻です」

 私たちは山梨県警の刑事たちに会釈した。

「では遺棄現場へご案内致します」


 山梨県警の刑事たちも地井さんのピンヒールには驚くかと思ったのだが、どうやら慣れているようでとくに誰もツッコミを入れなかった。

 ずいぶんと歩くかと思いきや、ものの十分も経たないうちに到着したようだ。

 ここなら登山に訪れていない人でも簡単に死体を遺棄できるだろう。


 刑事と第一発見者の比嘉さんが山道を外れて斜面を降りていった。私たちもそれに従って降りていくが、どうしても地井さんが気になってしまう。

 ローズレッドのタイトスーツにピンヒール、同色のショルダーバッグに黒く大きなカメラを担いでいる。そんな場違いな格好でいながらも本人はまったく動じていない。時折写真を撮りながらついてくる。

 ずいぶんと斜面を下りていくと、黄色い規制線が見えてきた。どうやらここに死体が遺棄されていたらしい。ここでも地井さんは写真を撮りまくり、フィルムが終わると巻き取っては次のフィルムに入れ替えていく。

「ここですね。五代朋行氏の死体が遺棄されたげんじょうです」


「おかしいですね」

 写真を撮りながら地井さんが疑問を呈した。

「ここは山道からずいぶんと外れた場所ですよね。山道からこんなところに遺棄された死体を発見できるものでしょうか?」

 皆が外れてきた山道のほうを見るが、草木が生い茂っており、山道は見通せない。そういえば上から見たときにも目立つ黄色の規制線が見えなかったな。


「こちらから山道が見えないということは、山道からもこちらは見えないはずです。第一発見者の比嘉唯人さん、あなたはどうしてこんな場所にある遺体に気づいたのですか?」

「確かに変ですな……」

 比嘉さんは少し慌てぎみになった。


「じ、実は、下山中にお腹を下してしまいまして。出口の近くにあるお店のトイレまでもたないと思って……」

「つまり、山の中で用を足そうと」

 赤紫色のアイシャドウに彩られた奥二重が、やや皮肉めいた視線を発していた。

「はい……。でもまさか用を足していて気づいたとも言える状況じゃなかったので……」

「それで、用を足した後で遺体を発見したていを装ったわけですね」

「……間違い、ありません」

 すっかり気落ちしている比嘉さんを見て気の毒に思った。

 登山中に催すことは誰にでもあるだろう。それですぐに用を足そうと山道を外れたら遺体を見つけてしまったのだから。


「その証言を確かめましょう。どこで用を足したのかを彼から聞いて、その場所を掘ってみてください。モノが出てきましたらこの方の証言にはしんぴょうせいがあります」

「わかりました。それでは比嘉さん、その場所まで案内してください」

 恥ずかしさで顔を赤らめた比嘉さんが山梨県警の刑事たちを連れて斜面をさらに下りていく。


「おそらく、ですが、彼は急に催して、用を足そうと急いで下りてきたため、行きは遺体に気づかなかったのだと想定されます。終わってひと安心し、山道へ戻ろうとしたときに遺体を発見してしまった。それなら調書と現場の説明がつきます」

「でしょうな。まったく用を足す気がない人がこの場所を見つけるのは不可能だ。仮に比嘉が犯人だとして、わざわざ自分が見つけたふうを装う必要なんてありませんからな。誰にも知られないまま遺体が朽ち果てたほうが都合がいいはず」


 そんな話をしながら、地井さんは現場の写真を撮り続けていた。



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