第20話 探偵・地井玲香

 玄関を開けると、そこには空色のタイトスーツを身にまとったショートヘアの女性が立っていた。

「失礼致します。こちらにつちおか警部がいらっしゃると存じますが」

「おお、来てくれましたな、さん。立ち話もなんですし、さっ、どうぞどうぞ」

「警部、ここはあなたのご自宅ではないでしょう。そちらがかざさんですね。ここではなんですし、中へ入ってもよろしいでしょうか?」

 綺麗な顔立ちで、思わず見入ってしまった。気を取り直してすぐに彼女を家に上げた。


「初めてお目にかかります。わたくし、このような者です」

 手元を見ると名刺が握られ、差し出されていた。

 それを受け取ると「探偵 れい」というふりがな付きの名前と住所、電話番号、メールアドレスとQRコードが書かれていた。

「こちらのQRコードを読み込みますと、連絡帳にわたくしの携帯電話とメールアドレスが登録されます。よろしければお使いくださいませ」

 同じやりとりを土岡警部ともしていたのだが。これは流行りなのだろうか。

「風見さん、名刺にQRコードを付けるアイデアは、こちらの地井さんからいただきました」

 ということは、警視庁の警部にまで影響力のある女性なのだろう。

「実はこの地井さん、推理探偵というものをしておりましてな。日本には捜査権のある私立探偵は存在しません。当然この地井さんも非合法で推理を担当する探偵なんですな。われわれも日頃からお世話になっています」


 奥二重から体の端々を観察されているのに気づいた。

「なるほど。奥様に男性が引き寄せられるのもわかる気がします。テニスクラブのコーチも食事に誘いたくなるわけですね」

「そんなことはありませんよ。私は夫にも浮気されるような女なんですから」

 そう言いながらきんいちさんが待っているリビングへと向かった。

 到着すると欣一さんも驚いたような顔をしている。これほどの美人はなかなかお目にかかれない。それがわが家に来ていること自体がありえなかった。地井さんは欣一さんにも目線を走らせているようだ。

「初めまして、わたくし探偵の地井玲香と申します。今回おふた方にかけられた殺人容疑を晴らすために土岡警部から依頼されました」

 これは初耳だった。警部はそこまで見越して彼女を読んだのだろうか。

「まあおふたりの裏はほとんどとり終えていますから、彼女にはだいともゆき氏殺害の容疑者を探してもらうことになります」

「そこで、改めていろいろとおふた方にお尋ねしたいのですが」

 そう切り出されて、地井さんに今回の事件当時のアリバイから話し始めた。そしてどのアリバイが有効とみなされたのかは土岡警部が補足していく。




「つまり警視庁は火野コーチの元の交際相手だったざいぜんまささんが第一容疑者であると見ているのですね」

「そうですな。今回さんが犯人に仕立てられたのも、彼女のアリバイ工作を知った正美が日頃の恨みを晴らすべく周到に計画した可能性がありますな」

「財前正美さんが火野コーチと由真さんのことをみずたにこうという男に探らせていた。そう火野コーチは言ったんですね」

「はい、たしか話の流れでそう伺いましたけど……」

「ということは、その水谷航基さんからも話を伺わなければなりませんね。どのあたりまであなた方の関係を調べていたのか。財前正美さんへどのように報告していたのか。そしてふたりの関係も確認する必要があるでしょう」

「その、水谷という男は探偵かなにかかな? 地井さん」

「わたくしたちのネットワークの間で、水谷航基という探偵がいるとは聞いたことがありません。おそらく素人でしょう」

 この人はどのあたりまで記憶力がすぐれているのだろうか。探偵業をしている人物はそれほど多くはないとは思うが、そのデータベースが脳内に存在するのだろうか。


 不思議そうに彼女の顔を見ていると、警部が耳打ちしてきた。

「彼女は記憶力と推理力が図抜けていましてな。一度見たものは忘れないし、どんなにこんがらがった糸も一瞬でほどいてしまいます」

「それほどのものではございませんよ、土岡警部」

 彼女は大きな胸を持ち上げるかのように腕を組んだ。私なんかよりよっぽどスタイルがいいんだな、と改めて認識させられた。

「由真さんと欣一さんのアリバイは証明されているんですよね? 由真さんがお食事をしていた火野たけあきさんと、欣一さんが不倫していたゆうさんはどうですか?」

「火野は金曜はテニスクラブ、日曜は由真さんと会っていたことが確認されています。木根佑子とはまだ接触できていません」

「警察でも木根佑子さんの居所を把握していないんですの?」

「恥ずかしながら。運転免許証の検索でヒットしなくて、現在住民基本台帳に問い合わせているところです。書類を揃えるのに時間がかかってしまって。でもそろそろ結果がわかる頃かと思います」

「そんな悠長なことをおっしゃらずに、直接伺えばよろしいではありませんか?」

「地井さん、ですから居所はまだ判明していないのですが──」

「欣一さんに連絡をとっていただいたらすぐに判明致しますよね?」

 その場にいる全員が欣一さんの顔を見た。覗き込まれた彼はなんのことかさっぱりといった面持ちだ。


「欣一さん、木根佑子さんに連絡をとってくださいませ。会う時間と場所が決まったら、そこにわたくしたちも同席いたしますので」

「し、しかし。皆さんを連れて会いましょうとは言いづらいですね……」

「わたくしたちが同席するのは内密にしてください。単に次にいつどこで会おうとだけ約束すればよいのです。あと土岡警部」

 奥二重に印象的な赤紫系のアイシャドウを差した眼差しで警部に視線を送っている。

「遺体の第一発見者から聴取する機会を作ってくださいませ。おそらく山梨県警と調整しなければならないでしょうから、すぐにとは申しませんが」

「わかりました。それではすぐに向こうと連絡をとります」

 警部は女性刑事に話をして電話をかけさせた。どうやら彼女から山梨県警へ話が通るような仕組みになっているのだろう。

「では、明日にでも現場へ参りましょう。土岡警部と由真さんにもご同行願います」

「私はわかりますが、由真さんは必要でしょうか? 遺体発見時に現場にはいなかったのですが……」

「アリバイ工作をしたかんしょうさんからも話を聞く必要があります。怪しい人物が付近を歩いていたかもしれませんから」

「憶えていますかね?」

「明確に憶えていなければ、それはそれで『印象に残る人は見なかった』ことがわかりますし、彼女の証言のしんぴょうせいも確かめられますから」

「そういうことでしたら。由真さん、明日どちらかへ行く予定はありますかな?」

 明日はたしかテニスクラブに行く日だった。火野コーチとも明日会う約束をしている。


「それでは明朝にテニスクラブを訪ねて、火野健明さんから事情を伺いましょう」

 地井玲香さんは不敵な笑みを浮かべながら私を見つめていた。



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