第19話 夫のアリバイ

「それではご主人の金曜と日曜、二日間のアリバイをお聞きしたいのですが」

「金曜は仕事でした。会社に聞いてみればわかります。日曜はゆうと一緒にいました」

「いつものホテルをご利用で?」

「ええ、そうですよ」

 すでに開き直ったきんいちさんは、つちおか警部の質問に淡々と答えていく。


「失礼ですが、どこのホテルですか? われわれはあなた方がラブホテルへ入っていくところと出てくるところ、そして中のシーンしか観ていないのですが」

「五反田の『アトランタ』っていうラブホテルです。いつも食べ物屋で昼食を済ませて、お昼過ぎに行っていました」

「あとでその食べ物屋も教えてください。では佑子さんと別れたのは何時頃ですか?」

「十八時前です。そこから公園に立ち寄って着替えを済ませてから帰宅していました」

「まあ奥様も関係者なので証言は採用できませんが。なにか帰宅を証明できるものはございますか?」

「そうですね……。あの日はガソリンを入れていたので、ガソリンスタンドのレシートなら持っていると思いますが」

 懐から濃茶色のブランド長財布を取り出して中を確認している。

「あ、ありました。これですね」

 警部にガソリンスタンドのレシートが渡された。

「ではこちらも裏をとりましょう」

 その言葉で女性刑事がスマートフォンを取り出し、五反田のラブホテル『アトランタ』と、ガソリンスタンドを確認してくれるよう要請していた。

「ちなみにご主人、だいともゆき氏とは本当に面識はないのですね?」

「ありません。名前もテレビのニュースで知ったくらいなので。もちろんうちをトンネル会社にしていたことも知りませんでした」

「ご主人、失礼ですが役職は?」

「課長です。とは言っても、うちはまだ設立間もない会社なので、大手企業ほど年功序列というわけでもありませんが」

 警部が警察手帳にスラスラと文字を書いていく。


「それでは木根佑子さんとの接点についてお聞かせ願いたいのですが」

「そこまで話さなければならないのですか?」

「捜査のヒントになるかもしれませんので」

 こちらをちらりと見てから、警部に向き直った。

「三年前、打ち上げに使った居酒屋で知り合いました」

「ずいぶんと昔ですな。それから毎週会っていたのですか?」

「いえ、最初は月に一回だったのですが、ご主人が不能になったと告白されて、それからは毎週会っていました」

「ちなみに木根佑子さんの年齢はおいくつですか?」

「彼女が言っていたとおりなら今二十四歳のはずです」

「ということは木根佑子さんは学生結婚ですか」

「そう聞いています。旦那の名は木根まことだったと思います。たしか出会ったときが三十三歳と聞いていたので、今三十六歳のはずです」

「ほう、三十三でEDですか。珍しいですな。そういえば『薬を盛られた』らしいという情報に接したことがあるのですが、それは本当でしょうか?」

 警部はちらりと欣一さんの顔色を窺っている。わずかな変化も見逃さない、“鬼警部”の本領発揮というところだろうか。

「いえ、そこまでは聞いていませんでした。ただ旦那が不能になって欲求不満だから、ということでお誘いを受けたわけです」

「EDになった理由はお聞きになっていないのですね」

「そうです。取り立てて理由は聞いていません」

「木根佑子さんから話をお聞きしたいのですが、連絡先を教えていただけますか?」

 体の動きが一瞬止まったが、少し経って懐からスマートフォンを取り出した。


「警察では佑子の連絡先を押さえてはいないのですか? 俺に容疑がかかるくらいなら、佑子の居場所もとっくに把握していると思っていましたが」

「残念ながら、あなたが木根佑子として知っている女性が、本当に“木根佑子”なのかを証明する人がいません。ですから警察のデータベースで画像データを調べてみたのですが、どうやら運転免許証をお持ちでないようですね」

「そういえば、車の種類にも詳しくなかったような……。俺の車がプリウスなんですけど、ハイブリッド車についてなにも知らなかったですね」

「ご主人もわからないとのことですので、木根佑子が本物だったのか。疑う余地があるわけです」


 警部が軽く口角を挙げて柔らかい表情になった。

「なに、ご主人のアリバイ自体はすぐに証明できるでしょう。ただ木根佑子が偽者だった場合、彼女が怪しくなってくるわけですが……」

「警察は佑子が犯人だとにらんでいるのか?」

 警察も万能ではない。ひとりの容疑が晴れたら次に誰を当たればいいのか、順繰り捜査しているようだ。よく刑事ドラマで捜査本部が別々に動いているのを観る。しかし実際はひとりずつ確実に潰していくのだろう。


「じゃあ佑子が犯人ではない可能性が高いな」

「どうしてでしょうか?」

 口を開こうとして気づいたのか、ちらりと目線をこちらへ寄越してから前を向いた。

「佑子はとても非力なんです。お嬢様育ちで“箸より重い物を持ったことがない”とよく言いますよね。そういう女です。人を刺し殺したり、大人の男の遺体を移動させたりできるほどではありません」

 それでも協力者がいたらどうなのだろうか。

「非力とは言え、ご主人の疑いが晴れれば、あなた以外の男性と組んで、というのはありえる話です」

「バカな!」

 するとスマートフォンの呼び出し音が鳴った。


 欣一さんも自分のスマートフォンを確認している。このパターンだとおそらく警部のものだろう。

「はい、土岡です。今回依頼したい事件の概要は先ほどお送りしたとおりです。こちらではたけあきの元彼女であるざいぜんまさが怪しいと睨んでいます。どうでしょう。引き受けてもらえませんか?」

 会話が途切れている。

「え、ええ。財前正美です。彼女のアリバイが確定していないのです。そちらにお送りした人物のうち、かざさん、欣一さんのアリバイは証明できるはずです。今ちょうど風見家で話を聞いています。で、関係者であるたけあき自身のアリバイは風見由真さんとの食事場面をイタリア料理店から目撃証言がありました。風見欣一さんと付き合いのある木根佑子の裏は、欣一さんのアリバイが証明されたらほぼ確定でしょう。となれば現状、最も怪しいのは火野の元彼女・財前正美だろうと……。ええ、はい。引き受けてくれますかね。よかった。うちのほうでも証拠を再度確認してみますが、そちらでも解析を頼みます。それでは今からそちらに伺って……。はい? もう風見宅の前にいるですって?」


 そのとき、玄関のチャイムが鳴り響いた。



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