第16話 秘密の共有 (第二章最終話)

 私の動揺が収まるのを見ていたつちおか警部は改めて口を開いた。

「まあまだご主人の疑いは晴れていませんので、もし不審な動きを見かけたら私のスマートフォンにご連絡ください。これ、私の電話番号とメールアドレスです」

 差し出された名刺を受け取った。

「このQRコードを読み込むと電話番号とメールアドレスを一発で登録できますので」

 言われたようにスマートフォンのカメラ機能でQRコードを読み込むと、連絡先に土岡警部の電話番号とメールアドレスが登録された。

「念のため、空でいいので私に電話とメールをしてください。こちらも登録しておきますので」

 空電話と空メールを送ると、警部は黙々と連絡先に登録したようだ。

「なにかあったときは遠慮せずにご連絡ください。なるべく早く駆けつけますから」

「ありがとうございます」

 警視庁の警部とメル友になるとは思いもしなかった。


「いちおう、先ほど話したご主人とだいともゆき氏との関係は誰にも話さず伏せておいてください。五代朋行氏の関係者が探りを入れてくる可能性もあります。もし闇社会につながっていたら、知っていただけで身に危険が及ぶ可能性もあります」

 それを聞いて身震いがしてきた。

「そんな重要なこと、私が聞いてしまったらかえって危ないのでは?」

「そうも考えたのですが、奥さんは安易に人を信じすぎるようだから、警戒心を持っていただきたいのです。今回の殺人事件はどこの誰に通じているのかさっぱりわかりません。逆に言えば、近づいてきた人はすべて犯人と思え、くらいの気構えでいてほしいのですな」


 直接的に被害が想定されるわけでもなく、危険性があるだけでは警察は護衛につけないということなのだろう。

 さんに連絡して、きんいちさんが帰ってくるまで護衛してもらおうか。今のところ信じられるのは彼だけである。

 警部は配送伝票の束を改めて手にとった。

「では、山梨県警に電話して、この配送業者に裏取りしましょう。そして奥さんのアリバイ工作を手伝ったかんしょうさんから話を聞いてきてもらいます」

 そう言うと警部は山梨県警に電話して、配送伝票の番号を次々と述べていく。相手がそれを書き終えたところで、受取人の祥子さんへの事情聴取も要請した。五代朋行氏が遺体で発見された当時、彼女は八ヶ岳から下山中だったので、なにか見ていないか聞いていないかを確認するためだ。

「では、配送業者の確認と、荷物の受取人である官渡祥子の事情聴取を頼みます。はい、失礼致します」


 スマートフォンを上着の内ポケットにしまうと、土岡警部はひと仕事終えたようにリビングのソファに腰を下ろした。

「いやあ、刑事になれば華々しく推理して犯人を突き止められると思っていたんですが。実際はとにかく人から聴取するだけの仕事でしてな。推理を働かせるのは捜査本部を仕切っている上役だけです。私も警部ではありますが、上からの命令で推理はできんのですよ」

 私は冷蔵庫から麦茶を取り出して、氷をたっぷり入れたグラスに注いだ。そして警部と女性刑事に振る舞った。

「ありがとうございます。ご主人のご帰宅は何時頃になりそうですか?」

「時間通りであれば十九時頃に帰宅致しますが」

「そうですか。それではその頃にまた伺わせていただきます。それまでに配送業者で荷物の取り扱いの確認と、官渡祥子さんからの事情聴取も済んでいるでしょう。それではまた寄りますね」

「ご苦労さまです」

 ふたりは玄関まで歩いていった。


 警部が靴を履いているとふと声をかけられた。

「できれば、今日のことは火野さんには話さないでください」

「えっ? どうしてですか?」

「近づいてきた人はすべて犯人と思え、ですよ。火野コーチ自身はおそらく今回の殺人事件の犯人ではないでしょう。しかしその周りに犯人がいないとも限らない。それに……」

「それに?」

「ご主人に火野コーチと親しくしているのがバレると、あれこれややこしいことになるでしょう? わざわざ火をべているときに油を注ぐ必要はありませんよ」

「はあ……」

「まあご主人の帰宅前には戻ってまいりますので、それまでは絶対に他言無用でお願いしますよ」

「わかりました。それで私は食事の買い出しには行ってもよいのですよね?」

「買い出しはかまいませんが、テニスクラブには行かないでくださいな。火野コーチと接触するとなにか事件が起こりそうなにおいがしますのでな」

「臭い……ですか?」

「はい。私、わかるんですよ。相手が嘘をついているときの臭いが、ね。そしてなにかよからぬことが起きそうな臭いもね」

 ちょっとこわもてだけどあまり頼りにならない態度ではあるが、そのあたりの場感覚は百戦錬磨なのだろう。


「それでは、おふたりのぶんのお食事も作っておきましょうか?」

「いえ、それには及びません。われわれはラーメンでも食べてから来ますので。今日はご主人から話を伺うのが勝負どころなんです。途中で腹が空いたじゃ話になりませんからね」

 そう言い残すと、ふたりは家を後にした。


 欣一さんと警察が戻る前に、家事を済ませなければならない。まずは掃除と洗濯をしておこう。その間に今晩のおかずを決めればよいだろう。

 するとスマートフォンの呼び出し音が鳴った。取り上げると火野さんからの通話である。出るか迷ったが、コール音が十回を超えても鳴っているため、とりあえず出ることにした。

〔あ、さん。今日はテニスクラブに来られますか? 少しお話ししたいことがあるのですが〕

「すみません、今日はいろいろと用事が立て込んでおりまして。明日にまわせる話であれば明日お伺いいたします」

〔そうですか。昨日から警察の事情聴取がヒドくて。一度私たちの関係をじっくり話し合っておきたいと思ったのですが〕

 これが警部の言う「近づいてきた人はすべて犯人と思え」なのか。そういう気持ちでいると、火野さんの提案は確かに魅力的だったが、今事件に巻き込まれたら厄介なことになる。

「実はこれから警察の方がお見えになるんです。それまでなるべく人に合わないよう忠告されています。ですので、明日スクールの時間にお会いするのではダメでしょうか」


 声が返ってこない……。


〔わかりました。それでは明日お会いしたときにでも。それまではお互いかつなことは言わないようにしましょう。では失礼します〕

 電話が切れると、私は少し罪悪感を覚えた。




(第三章へ続きます)

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