第13話 疑惑の人

 イタリア料理店へ確認に向かった刑事から連絡が入った。確かにあの日、たけあきの名で予約が入っており、連れていた女性が私であることが確認された。これで私のアリバイは立証されたことになる。


「なんとか助かりましたな。これであなたが無関係だとわかりました。ちなみにあなたのアリバイ工作を助けていた方についてお話し願いたいのですが」

 私への疑いは解消されたわけではないのだろうか。

「いえ、あなた自身のアリバイは確実になりました。ただ、あなたのアリバイ工作を手助けしていた人物が、あなたを陥れるためにそのアリバイ工作を利用した可能性が浮かびましてな」


 そうか。現場に物証が残っているのはあまりにも都合がよすぎる。誰かが私を陥れようとしているのであれば、このアリバイ工作を逆手にとるのが合理的だ。


「えっと、彼女とは守秘義務を取り交わしていまして。ここでお名前をお話ししても黙っていると思いますけど」

「では、その方に話を聞きに行く際にご同行願えますか? あなたが了解しているとわかれば、素直に話してもらえるでしょう。それでも話してもらえなければ、その方が怪しいということになりますので」

「そのようなことをするような女性には見えなかったんですけど……」

「どんな女性なのですか?」

「若いのですがとても頭がよさそうで、口も固そうな方でした。きちんと契約のお金をお支払いして、毎週アリバイ作りを手伝ってくれたんです。だから、私を陥れようとするとは思えないんです」

「ちなみにその方のお名前は」

かんしょうさんといいます。たしか山梨大学の二年生だったはずです。彼女宛にアリバイ工作の道具、具体的には私の指紋のついた空の缶コーヒーとサンドイッチの包装、それとそのレシートですが、それを速達で送っています。発送伝票はうちにありますので」

「なるほど。それは後日に確認しましょう。送り先の住所もわかりますからね」


 先ほど警部がmicroSDカードを渡した若い刑事が戻ってきて、それを土岡警部に渡した。そのあとでなにやら耳打ちをしているようだ。「ご苦労」と言って若い刑事を退室させた。


「このmicroSDカードには、確かに男女の秘め事が記録された動画があったそうです。とりあえず、うちのデータベースで確認したところ、男性はご主人のかざきんいち氏で間違いないそうです」

「やはりそうでしたか……。それで女性のほうは?」

「女性はデータベースに該当する人物がいませんでした。おそらく運転免許証を持っていないのでしょうな」

 運転免許証のデータベースを使っていたのか。デジタル庁が発足してからずいぶんと日が経つが、警察内でのデジタルデータの参照がそれだけスムーズになったということなのだろう。


「もしかしたら……。あくまで仮定の話ですが、映っている女性がこの事件の鍵を握っているかもしれませんな」

「鍵、ですか?」

「そうです。たとえばこの動画を撮られたことを逆手にとって、殺人を実行した。証拠はこの動画にある」

 ずいぶんと突飛すぎるのではないだろうか。

「ちょっと発想が飛躍しすぎていませんか?」

「そうでしょうか。私としてはいい線いっていると思ったのですが……」

 この警部、もしかして人柄はよいのだけど、推理力に難があるのではないだろうか。


「そういえば、ご主人の浮気相手であるゆうさんも人妻ということでしたが」

「はい、火野さんが雇った興信所から受け取ったという報告書を見せていただいたのですが、既婚者だと書いてありました」

「そうであれば、木根佑子さんではなく、そのご主人が殺害した可能性もあるわけか……」


「推理とはそういうものなんですか?」

 警部の様子を見ていて疑問に思った。なんでも邪推すればそのうち何本かヒットが生まれるような思考法だったからだ。

「いや、お恥ずかしい。私はあまり推理力がないんですよ。だから疑問が湧いたらすぐに裏をとって、アリバイや証言の矛盾を調べていくんです。そうやって消去法で犯人を絞っていくんですよ」

「あまり効率的とは言えませんが、確実な推理方法だと思いますよ」

「そう言っていただけるとありがたい。まあ奥さんの疑いが完全に晴れたわけではないのですが。アリバイもすべて裏がとれていますので、今回の殺人事件の犯人ではないでしょう」

 その言葉に胸を撫で下ろした。もし疑いの目を向けられ続けていたら、すぐに気に病んでしまうだろう。この警部は推理力はないのかもしれないが、人の扱いには長けているようだ。


「もしあなたのご主人、風見欣一さんが自分に隠れてあなたが火野コーチとお食事していると知ったとしたら。そして食事のためにアリバイ工作までしていると知ったとしたら。ご主人も容疑者に入ることになりますな」

「さすがに主人はないと思います。被害者とつながりがあるのでしょうか?」

 さしもの警部も苦々しい表情をした。


「問題はそこなんです。今回の殺人事件、被害者とつながりのある人物がとても絞りづらいんです。イベント会社の経営者なのですが、取り立てて恨みを買うような職業でもないですし。ですので現場の残されたものから犯人を割り出そうとなったんです。あ、本件は山梨県警の管轄ですが、被害者が東京都在住なので、うちにも捜査本部が立っています」

 そういうわけか。なぜ八ヶ岳の殺人事件を警視庁が調べているのか腑に落ちなかったのだ。東京都在住であれば、人間関係を調べるのは主に東京都内ということになる。だから警視庁が動いているんだ。


「今日はあと、あなたの食事相手である火野コーチとざいぜんまささんから話を伺ったら捜査終了です。続きは明日以降になりますので、奥さんもようやくご帰宅できると思いますよ」

 スマートウォッチを見るとすでに十七時を過ぎている。すぐに帰れたとしても今夜はお弁当になりそうだ。

 するとスマートフォンの呼び出し音が鳴った。私のものと判断してクラッチバッグを開けたが、警部が懐からスマートフォンを取り出して応答している。


「で、どうだった? 火野と財前の証言について裏はとれたか? ああ、日曜に火野が風見由真さんとイタリア料理店に行ったことは確認済みだ。財前は? まだ風見由真さんを疑っているだって? わかった。明日私が彼女に会って話を聞こう。今日はもういいぞ。本庁へ帰着するんだ。ご苦労だった。じゃあな」



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