第11話 テニスクラブのアリバイ

 取調室でランチのクラブサンドを食べ終わり、カフェオレを飲んでいると男性がふたり現れた。彼らも刑事なのだろう。


「警部、スーパーの確認終わりました。防犯カメラ映像を見せてもらいましたが、確かにレシートの時間に彼女が会計を済ませています」

「ご苦労さん。ちょっと遅いがお前たちもお昼済ませてこい」

 刑事ふたりが敬礼すると、駆け足で取調室を離れていった。

「あとはテニスクラブのほうだな」


 待っている時間は長く感じるものだ。無口では時間がもたない。

「防犯カメラでもあればすぐなんでしょうけど、更衣室やシャワー室なんかがありますから、付いていても玄関くらいだと思います」

「まあテニスクラブのコーチ? でしたか。彼が証明してくれたらだいじょうぶでしょう。それか一緒にレッスンを受けていた人にも聴き込んでいるのか。まあいずれにせよ、そう時間はかからないと思いますよ」

 それならいいのだが。若干不安がないわけではない。

 とくに火野コーチを私に奪われたと思っている女性、ざいぜんまささんがなにかよからぬことを口にしていたら……。それ以上先のことを考えると不安が募った。彼女とのいさかいは他のレッスン生も知っていることだから、財前さんでなくても誰かの口から耳にすることはあるだろう。


 思案していると、制服警察官が部屋へ入ってきて、小さなテーブル前で着席する。もうそろそろ事情聴取が再開するのだろうか。

 そう思っているとスマートフォンの呼び出し音が鳴り響いた。私の着信音なので、クラッチバッグを開いて中からスマートフォンを取り出したが、着信していなかった。


つちおかだ。どうだった?」

 土岡警部もスーツのジャケットからスマートフォンを取り出していて、それに出ていた。鳴ったのは警部のスマートフォンだったのか。同じ呼び出し音ということは、機種も同じなんだろうか。

「うん……うん……ああわかった。それじゃあ引き続きそちらの線を確認してくれ。あとお昼は食べているんだろうな。相手は逃げやしないんだから、時間を見つけてきちんと食べろよ。じゃあまたあとで報告を頼むな」

 スマートフォンの通話を切った土岡警部が向かいの椅子に座った。

「今、テニスクラブに行った者から連絡が入りましてな。十三時半頃に玄関の防犯カメラ前を通過し、十七時前にもう一度通過していますね。あなたのアリバイは証明されたことになります」

「よかったです……」

 なにか悪い知らせがあったかのような口ぶりだったので身構えていたが、取り越し苦労だったようだ。


「いちおう担当の火野コーチとレッスン生からも話を伺ったのですが、火野コーチはその時間あなたがずっとレッスンに参加していたと証言しています。またレッスン生からも一緒に受けていたとの証言がありました」

 本当によかった。これで疑いは晴れただろう。だが「引き続きそちらの線を確認してくれ」という言葉が気になった。


「ただ……」

「ただ?」

 なにか悪い予感が蘇った。

「ある女性から、あなたが火野コーチと付き合っている、という証言が出ました」

 やはり、か……。

「おそらく財前さんですよね、そう証言された方は……」

「あれ、ご存じでしたか。そうです。財前正美さんという方がそう証言しています」

「実は私、火野コーチに相談事があって、何度かお食事をご一緒しているんです。それで財前さんが『私が火野コーチを奪った』と感じたようです。財前さんは火野コーチがお付き合いされている方です」


「おかしいですな。先方は『泥棒猫に火野コーチを奪われた』と断言していたようです。この場合の泥棒猫はあなたなのでしょうけどな」

 軽く横目でにらんでいる。明らかに疑いの眼差しだ。

「そしてあなたと火野コーチが毎週食事をして、そのあとなにかしていると主張しているそうです」

「そんなことはありません。あくまでも食事をご一緒しているだけです。これは火野コーチにお聞きいただければわかることです」

「そうもいかないんですよ。この場合」

 眉間にしわを寄せて、なにやら難しそうな表情を浮かべている。


「あなたが火野コーチと私的なお付き合いがある場合、彼の証言は採用できんのですよ。共謀している疑念が生じますので」

「そんな……」

 じっと私の面差しを窺っているようだ。

「まあ他のレッスン生の発言は問題ないので、あなたがあの時間にレッスンを受けていたこと自体は証明されました。それだけはご安心ください」

 あんしてよいのか、身構えなければならないのか。まだよくわからないでいる。


「今、火野コーチと財前さんに再度確認をとっています。あなたと火野さんがいつお食事をされていたのかや、その目撃証言も集めなければなりません」

 やはり触れてほしくない部分に話が及ぼうとしている。

「ですが、私の金曜のアリバイは証明されたのですよね?」

「まあそうなりますね。あとはご主人からもお話を伺わないといけませんが、それは後日でもかまわないでしょう。どうせ奥さんの身内ですから、証言自体は採用できないんですから」

「それならよいのですが……」

 こちらが言いづらそうにしているのを見ていた土岡警部は指摘してきた。


「奥さんと火野コーチがお付き合いをしていることをご主人が知らないのであれば、ですが」

「まったく知らないはずです」

「今回あなたにお伺いしたのは八ヶ岳での殺人事件についてです。あなたの不倫ではないのです」

「不倫ではありません! ただ食事を一緒にしただけです!」

「しかし火野さんの元彼女である財前さんの話によると、それ以上の関係があったと窺われますが?」

「断じてそのような関係ではないんです。夫の浮気について相談していただけなんですから……」

 この言葉に警部が食いついてきた。まるで待ってましたと言わんばかりの表情だ。


「ご主人の浮気、ですか。それはいつ頃から、誰とでしょうか?」

 土岡警部の口ぶりから、うかつなことを喋ってしまったことに気がついた。

「そ、それは……。私からは話せません……。もしきんいちさんの耳に入ったらどんな事態が起きるのか……。私、怖いんです……」

「浮気されたご主人も、参考人として事情を伺わなければならなくなりました。もしかしたら、あなたに罪を着せ、自分は早々に離婚してその浮気相手と再婚するつもりなのかもしれませんからな」

「おそらくそう簡単にはいかないかと……」

「なぜです?」

「相手も人妻、だからです……」



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