第10話 お昼休憩

 つちおか警部は席を外すと、取調室前で部下たちに私の供述の裏取りを命じている。それが確認されるまでは身柄を拘束されるのかもしれなかった。

 念のためここへ来る前に晩ご飯が作れないことをきんいちさんへ知らせておいてよかった。

 ほどなく土岡警部が取調室内に戻ってきた。

「奥さん、お昼ご飯ですがなにか注文しますか? テレビと違ってあいにくとおごれないんですが。参考人としてお越しいただいているんですけど、買収を指摘されるおそれがありまして」

「あ、それでしたらいちおうお金も持ってきてはいるんですけど」

 先ほどレシートを取り出した黄色い長財布を取り出した。

「本当、よく気の利く奥さんですね」

「いえ、早く帰れたら買い物にも行けると思いまして。できるのなら晩ご飯の準備もしなければなりませんし」

「それじゃあちょっと待ってくださいね。てんものの品書きを持ってこさせますので」

 警部はまた取調室を出ると、通りかかった人に指示を出していた。


 しばらくすると同じ人がチラシの束を持って戻ってきた。それを受け取るとまた取調室内に入ってくる。

「お待たせしました。うちに配達してくれる料理屋や弁当屋のチラシです。この中から選んでください。すぐに届けてくれる店ばかりですから」

「そうですね。あまり動けていないので重いものはつらいと思います。パン屋さんのこのサンドイッチとカフェオレをお願いできますか?」

「はいはい、クラブサンドとカフェオレですね。書記の君、ここに電話をかけてクラブサンドセットで飲み物はカフェオレを注文してくれたまえ。領収書も忘れずに受け取るように」

「はい、承りました」

「ついでに君の昼食もとってきなさい。お昼休憩にしますから」

「ありがとうございます。ではこちらに電話をかけて、ご注文の品を取り寄せますね」

 そういうと、書記を務めていたふたりの制服警察官は一礼して取調室を後にする。

 如才ない人たちだが、彼らはいつ昼食にするつもりなのだろうか。


「あの、警部さんはなにか食べないんですか?」

 どうやらこちらの疑問に気づいたらしい。

「ああ、参考人である奥さんの世話をしないといけないんでね。先に食事の終わった刑事が代わりに到着したら、食べに出るつもりです」

「警察ってずいぶんとお忙しいのですね」

「まあ、私も刑事になってから十五年ほど経ちましたし、もう慣れましたね。奥さんのサンドイッチが届くまで、世間話でもしましょうか。どうせ書記も席を外していますし、オフレコですよ」

 そうか。今は記録に残らないんだ。それなら少しは肩の力が抜けるのかな。


「それにしても、東京から毎週八ヶ岳に通っている私を、どうやって特定されたんですか? 誰かに名前を告げたり書いたりしたことはないのですが……」

「ああそれは言えないんですよ。参考人とはいえいちおう取り調べの対象になっていらっしゃるから」

 私は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「今うちの若いのが奥さんの裏をとっています。報告が届けばすぐにお帰りできると思います。そのときにならお話しできるんですけどね」


 金曜日の私の行動には不審な点はないはずだ。火野コーチとお食事しているのは日曜だし、アリバイ工作をして八ヶ岳に行っていることになっているのだから。

「私の金曜のアリバイを知りたいわけとはどういうことなんでしょう。八ヶ岳で遺体が発見されたのって日曜ですし、私がそこに行ったのも同じなんですけど」

「この件については、書記がいないうちに話を進められないんですよ。いちおう“取り調べの可視化”が義務付けられていまして、録音録画されていないやりとりは証拠に採用されないんです」

 意外だった。だってテレビドラマでは昼夜問わず一日中、刑事が容疑者に詰め寄って自供を引き出すのが常だ。いくら参考人扱いだからといって、取り調べ方がここまで大きく変わるのだろうか。


「ドラマはいろいろ脚色されていますからな。今の時代、あんなふうにどうかつして自供を引き出したら、証拠にならんのですよ」

「ですが、どう見ても悪い人がシラを切りとおしたら、こうりゅう期限、でしたっけ? それを過ぎてしまいませんか?」

「ああ、勾留期限というのはですな。逮捕してから十日までなら警察に身柄を留めおける期間のことですな。逮捕されないかぎりは任意の事情聴取になりますから、いつ帰ってもかまわんのです」

「そうなんですか? それなら晩ご飯の仕込みに間に合う時間までに私は帰れるのでしょうか?」


 ちょっと場違いな発言かもしれないな。今は参考人だとしても、アリバイが立証されなければ容疑者に格上げされかねないんだから。

「まあ金曜日のアリバイが立証されれば、いつでもお返しできますよ。そう時間はかからんでしょう。聞き込みには慣れた連中ですから」

「聞き込みをしているという刑事さんたちってお昼ご飯はどうなさっているのですか?」

 これは聞いてみたいことだった。刑事ドラマだと、張り込みでアンパンと牛乳で済ませるのが鉄板だったからだ。


「まあすぐに腹を満たせるものをテイクアウトして食べることが多いですな」

「たとえばアンパンと牛乳とかですか?」

 土岡警部は腹を抱えて笑い出した。声がじょじょに収まってくる。


「いや失礼。まあドラマじゃいつもアンパンと牛乳ですからな。確かに今でもそういうものを食べる刑事もいるでしょうが、今はファストフードでもっとカロリーとボリュームのあるものがいくらでも手に入りますからな」

「それでは栄養が偏りませんか。ハンバーガーにサラダを付けるとか、そういう工夫もされていないんでしょうか?」

「まあそれぞれ気をつけてはいるでしょう。しかし、刑事の食事の心配をする参考人なんて初めてですよ。奥さんの料理もバランスに気をつけたものなんでしょうね」

「はい、夫には体調を崩さずに元気で働いてもらいたいですから」

「“亭主元気で留守がいい”なんて言葉もありましたからな」


 いつまで待てばいいのかわからないが、生理現象がやってくる時間までは操れない。

「あの、食事の前に手を洗いたいのですが……」

「ああ、そうですな。今はまだ感染症がうるさいですからな。お連れ致しますよ」

「あ、いえ、その……女性の方にお願いしたいのですが……」

 ここまで匂わせないと気づかないのだろうか。

「こりゃ失礼しました。すぐに呼んできますな」

 そういうと警部は廊下に出て人を捕まえ、なにやら耳打ちしてすぐに取調室に戻ってきた。

「すぐに女性職員がまいりますので、少々お待ちください」


 するとヒールの足音が短い間隔でよく響いてきた。

「どうやら来たようですな」

 取調室のドアがノックされたのち開かれた。現れたのは女性である。



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