第二章 事情聴取

第9話 事情聴取

 覆面パトカーで連れてこられたのは、都心である地下鉄有楽町線桜田門駅にほど近い、警視庁の本部庁舎である。

 つちおか刑事に従ってエレベーターへ乗り込み、降りた階を少し歩いて取調室へと案内された。


「まあお座りください」


 真っ白に塗られた狭い室内には対面式のテーブルが据えられている。パイプ椅子が向かい合って二脚あり、入口に近いほうに土岡刑事が腰を下ろそうとしている。

 初めての雰囲気に口の中がカラカラに乾いてきたが、動揺を隠すように自然さを振りまきながらゆっくりと着席した。


「狭苦しい場所で申し訳ない。まあここなら途中でご主人が帰ってくることもないので、安心してお答えください」

「え、ええ……」

 つい弱気が口をついたが、この刑事に気づかれただろうか。すぐに制服警察官がふたり入室してきて、入り口脇にある小さなテーブルの椅子にそれぞれ座ると、ひとりはノートを広げてペンを握っている。もうひとりはノートPCでキーボードを打つ態勢をとっている。ふたりとも書記だろうか。

「土岡警部、準備は整いました」

「わかった」

 この人、警部さんだったんだ。うだつの上がらなそうな態度をとっているが、かなりのやり手なのだろうか。


「それでは奥さん、始めましょうか。手短に済ませて晩飯前までに帰宅しようじゃありませんか」

「なんでもお聞きください。知っていることはお話致しますので」


 気丈さを意識した。先ほどのように弱いところを見せたら付け入られるだけだ。


「では、お聞きします。金曜日はどちらでなにをしておいででしたか?」

「金曜ですか? あの、人が刺されて亡くなったのは日曜じゃなかったんですか?」

 予想外の質問に一瞬戸惑ってしまった。


「はい、今は金曜日のアリバイをお聴きしております」

 なぜ遺体発見の一昨日のアリバイを聴くのだろうか。

「金曜は買い出しをして、会員になっているテニスクラブへ行って、そのあと家に帰って家事をこなしていましたけど」

「それを証明してくれる人はどなたかいらっしゃいますか?」

 急な話で要領を得ないが、思い当たりのありそうな人を挙げていく。

「えっと、行きつけのスーパーなので店員さんかレジ係の方は私が買い物に来たことを憶えているかもしれません」


 これだと決め手としては弱いかもしれない。

 確かにスーパーに行ったけど、店員も何百何千と来る客のことなど憶えているものだろうか。


「あっ、そういえば……。そのときのレシートをまだ持っているはずです。クラッチバッグの中を確認してもよろしいでしょうか?」

「かまいませんよ。奥さんがスーパーに行った有力な証拠になりますからね」

 許可が下りたのですぐに黄色のクラッチバッグを開き、同じく黄色の長財布を取り出して中を確認する。五枚のレシートが出てきた。この中の一枚があのスーパーのはずだけど……。

 一枚一枚確認していると、当該レシートが見つかった。


「あっ、ありました。これです」

 レシートを開いてテーブルの上に置くと、土岡警部が一声かけてきた。

「ふむ、なるほど。こちらをお預かりしてもよろしいでしょうか。指紋の採取とスーパーの購入履歴を照合してみますので」


「えっと、私が帰るまでに返していただけるとありがたいのですが。まだ家計簿に金額を書き入れておりませんので」

「あ、奥さんも家計簿は毎日つける派ではないんですね。いや、うちの家内も一週間まとまってから一気につけるたちでして……。あんなずぼらが家計管理なんてしっかりできているのか気になっていたんですよ。そうですか。毎日つけるほうが珍しいんですね」

 そのセリフにやや戸惑いを覚えた。


「いえ、自分もずぼらだとは思っています。ある程度たまってから書いたほうが作業は一回で済むし手間がなくていいかな、と」

 土岡警部がテーブルに両肘を置き、両手を顎の下に置いて身を乗り出すような格好をしている。私の変化をわずかでも見逃すまいと思っているようだ。


「なるほど。ということは家計簿は毎日つける派が多いということでしょうか。奥さんやうちの家内のように数日まとめてつける派が面倒くさがりなだけで……」

「奥様のことは私にはわかりかねますが、私自身は確かに面倒くさがりですね。面倒になりそうなことは極力避けてきましたから」

 警部の眼光はいささかも衰えていない。この執念が警部たるゆえんなのだろうか。


「そうですか。奥さんは面倒くさがりだと。ではテニスクラブに通った証明ができるものはありますか?」

「えっと、受け持ちのコーチであるさんが憶えているはずです。同じクラスの生徒さん方も、いつも同じメンバーなので憶えているかと」

「皆さんに確認をとってもよろしいでしょうか?」

 まあ火野コーチとの関係を問われるかもしれないが、それは金曜のことではないのでとくに問題とはならないだろう。

「かまいません。隠すものでもありませんので」

「いや、奥さんはひじょうに協力的ですな。疑いをかけられた人すべてが奥さんのようなら、私ら警察も取り調べが楽になるのですがね」

 まあ容疑者となってすんなり答えるとボロが出やすい人は、なかなか口を割ろうとは思わないだろう。

 私は隠し事といっても日曜デートくらいなもので、しかも性交渉を伴っていないのだから「友達付き合い」で通る間柄だ。


「ちなみにテニスクラブは何時までの時間帯ですか?」

「十四時から十六時までの二時間です。ストレッチから軽い筋トレ、基本スイングの確認をしてから、コーチとラリーの練習をしたり試合をしていたりします。それが終わったらストレッチして、シャワーで汗を流して着替えたら解散になります」

「なるほど。ではこちらもあとで確認させましょう。で、帰宅したのは何時頃で、そこからどのような家事をこなしておられましたか?」


 ええっと……。あの日はたしか、私のテニスウェアなどを洗濯して、その間に掃除機をかけ、そのあとで晩ご飯の準備を始めたはずだけど。

「つまりその時間は外出をしていない、と」

「はい、在宅を証明できる人はおりません。ですが家事の量を考えると、仮に他のことをしていたら、終了しないですべて中途になってしまうはずです」


「たとえば男性を家に呼んで、その人を刺し殺した。そして翌々日八ヶ岳へ登山に行くときに自動車で遺体を運び出して山中に遺棄した。という可能性は?」

「それは不可能です。私、運転免許を持っていないので。自家用車はありますが、夫が毎週ゴルフ場へ運転していくので、うちの車で死んだ方を運び出すことはできません」


「日曜にご主人がゴルフ場へ行ったことを証明できる方はいらっしゃいますか?」

 これは困ったな。夫がゴルフ場へ行ったことを証明できる人は存在しない。そもそもどのゴルフ場へ行ったかすら私に明かしてくれないのだから。


「ではご主人が運転して遺体を遺棄した可能性はある、と」

「いえ、夫からどこのゴルフ場に行ったのか聴き出して、確認をとっていただければわかるはずです」


 ゆうさんと密会していなければ、の話だが。まあこれは打ち明ける必要はないだろう。



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