天然


 先輩は多分天然なのだろうなと、戻ってきた時にそう思った。


 なぜなら、手に包丁を持ったままだったから。

 うっかり、なのだろうけどこれが先輩でなければ恐怖でしかない。


 親がいなくてよかった。

 包丁を持ったまま家の中をうろつく先輩を見たら、誰だってびっくりなんてレベルでは済まないだろうから。

 ただ、気づいていない様子だし、一応指摘しといてあげよう。


「先輩、包丁持ったままですよ?」


 そう話すと、先輩は手元を見たあとで「うん」とだけ。


 そして、なぜか包丁は置かない。


「……先輩、何か警戒してます?」


 包丁を持っていることが天然ではなくわざとだとすれば、それ以外に考えにくい。


 でも何を?

 さっき何か音がするとか言ってたから、そういう見えない何かに怯えてるのか?

 

「あの、うちには別に何もいませんよ?」


 霊感なんてないから知らんが、家族ともそんな話になったことはないし、猫すらうちにはいない。


「……ほんと?」

「ええ、嘘なんかつきませんよ。寂しいから猫でも飼いたいなんて話を母さんにしたことあるくらいですし」

「猫? 猫、ほしいの?」

「んー、昔おばあちゃんが猫を飼ってたので好きなのは好きですけど。でも、俺は世話したりなんて苦手ですし、むしろ世話されたいくらいなので」


 なんて言って話を逸らそうとしたのには一応理由があった。


 というのも、俺は猫に詳しくない。

 種類もわからんし飼ったこともないから話題が広がっても困る。

 

「世話、されたいの?」

「え?」

「猫になりたいの?」

「う、うーん、猫みたいになれたら楽しそうですけど、なりたいかと言われたらどうでしょうか」

「猫みたいな人が好きとか?」

「猫みたいな……」

 

 よく見ると、先輩はどことなく猫っぽくはある。

 だけど、それがイコール猫みたいな人かと言われたら微妙だし。


 ていうか早く猫の話題を終わらせたかったのにどうしてこうなった?


「猫、好き?」


 どうやって話を逸らそうかとあれこれ悩んでいると、先輩がまた質問を飛ばしてくる。

 猫が好きかどうか。

 嫌いじゃないし、犬派か猫派どっちかと聞かれたら猫なんだろうけど、たまらなく好きってほどじゃない。


 ただ、こんな話をくどくど説明しても仕方ないしなあと悩んだ挙句、「好きですよ」と。


 すると、先輩は包丁をカランとキッチンに放ってから。


「にゃあ」


 先輩が鳴いた。

 にゃあ、と。


「……え?」


 予期せぬ鳴き声に、俺は固まってしまった。

 しかし先輩は、今度は手をぐーにして、猫のように両手を曲げて、「にゃあ」と再び。


「……あ、あの、先輩?」

「猫、好き?」

「え、ええと」

「ダメ。私に好きって言わないと、ダメ」

「は、はい?」

「私以外の人が好きなのは、おかしい」

「ひ、人じゃないと思いますけど」

「にゃあ」

「……」


 なにがなんやら。

 しかし、ひとつだけ言えることは。


 死ぬほど可愛かった。

 あまりのかわいさに俺はぶっ倒れてしまいそうなほどだった。


 そして、先輩がもう一度「にゃあ」と鳴いたところで俺は、我慢できずに言った。


「せ、先輩……可愛すぎて俺、おかしくなりそうです」


 本当にもう、耐えられなくなって先輩を押し倒してしまいそうだったので振り絞るようにそう告げた。


 すると、先輩はポーズを解いて「猫より、私が好き?」と。


「そ、そんなの当たり前ですよ。先輩のこと以外、好きじゃありません」

「うん。じゃあ、猫に惑わされたらダメ」

「……はい」

「私のこと、好き?」

「はい、もちろん」

「うん」


 納得したように頷くと、先輩はくるっと背を向けて廊下を覗き込んでから、再び俺の方を向いて、言った。


「私のこと、飼ってみる?」


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る