甘い

 先輩が笑っていた。


 部屋に入ると、部屋の中央に正座していて、そしてこっちを見てクスッと笑った。


「あ」

「どうしたの?」

「……先輩、何かいいことありました?」

「何が?」

「いえ、別に……」


 クスッと笑ったかと思えば、いつもの無表情に戻った。

 気のせい、だったのだろうか。

 いや、俺が先輩の表情を見間違えるわけない、なんてちょっとキモいけど。


 たしかに笑っていた。

 めっちゃ可愛かった……。


「あの、コーヒーどうぞ」

「ありがと」

「ここ、置いておきますね」

「うん。いただきます」

「あ」


 俺がテーブルにコーヒーを置いた瞬間、先輩がカップではなく俺の手を掴んだ。

 思わずコーヒーをこぼしそうになったが、先輩は何故か俺の手を掴んで離さない。


「……あの、何か?」

「染谷君、手、あたたかいね」

「そう、ですか?」

「うん。私、冷え性だから。とてもあたたかい」

「……」


 ぎゅっと手を握られると、俺の体温がぐんぐんと上がっていくのがわかる。


 手を握られたのは初めてではないが、しかし前とは状況が違う。


 何気なく、部屋の中で二人っきりのこの状況でそんなことをされたら、誰だって期待せずにはいられない。


 先輩、もしかしておれのことを誘って……いや、それはさすがにポジティブが過ぎる。


 でも、こんなことを誰にでもするような淫らな人じゃないと、俺は信じてる。


 だからやっぱり俺のことを……。


「せ、先輩」

「何?」

「……好きです。やっぱり俺、先輩が好きで好きで、たまらないんです」

「うん」

「……あの、俺、先輩のことが大好きです」

「うん」

「……」


 先輩へ、いつもより全霊を込めて気持ちを伝えたつもりなのだけど、先輩はいつも通りの空返事。


 そして、手を離してしまった。


「コーヒー、いただくね」

「え、ええ」

「うん、美味しい」

「……」


 どうやら、やはり俺が期待しすぎていただけだったようだ。


 先輩が俺のことを好きなら、さっきの告白でなんらかのアクションがあったはずだ。

 でも、いつも通り。

 

 俺のこと、からかってるのか?

 わからん。ほんとにわからない。


 俺は先輩に近づいてるのか、それとも遠ざかってるのか。


 自分の部屋だというのに、迷路の中にいるような感覚にさせられながら、俺も一口コーヒーを飲むと、とても苦い味がした。



「……」


 ドキドキ。

 私、今すごく脈が乱れてる。

 このまま手を握ってたら私の緊張が伝わりそうだから思わず手を離しちゃった。


 ドキドキ。

 なのに、付き合ってほしいってなぜか言ってくれない。


 もしかして私をからかってる?

 ううん、染谷君はそんなことしないよね?


 ねえ、早く。

 私、信じてるよ?


 一度コーヒーを飲んで呼吸を整えてから、今度は手を握るだけじゃなくて、体も近づけてみよう。


 言葉にできない私だけど。

 この気持ちを態度で示そう。


 ねっ、それならわかるよね?

 もしそれでも言ってくれないなら私……また、疑っちゃうよ?


 私のことは遊びなんじゃないかって。

 だから、早く、ね。


 そうしないと、明日から染谷君が話す全ての女を敵と見做さないといけなくなるの。


 みんな、敵。

 全員、邪魔。


 そんなことになりたくないの。

 だから次こそちゃんと言ってね。


 ……コーヒー、甘い。

 ブラックなのに、甘い。

 染谷君がいるからかな。

 染谷君がいれてくれたからかな。


 ……もっと甘くして?


 もっともっと。


 初めてのキスの味は、コーヒーの苦くて甘い、不思議な味がいいな。

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