眠り

「……」

「ふんふんふーん」

「……」

「もうすぐ焼けるかな」

「……」


 先輩は出かけてから少しして戻ってきた。

 買い物袋を下げて。

 その中には、どこで買ったかは知らないけどステーキ肉が入っていて、さっさとキッチンで調理を始め出した。

 

 出て行く前はすごく不機嫌そうだったのに、調理を始めると鼻歌まで歌うほどの上機嫌な様子。

 お腹が空いていたのか、それともテレビを見て食欲がわいたのか。


 そういえば先輩が今日、何かを食べているところを俺は見ていない。


 俺のために料理をしてくれて、風呂まで貸してくれたというのに俺はなんと気が利かない男なんだろうと、自分を責めた。

 

 先輩は、きっとお腹が空いていたに違いない。

 なのにそんなことを考えもせずにあんなテレビを見せて先輩の空腹を助長させるようなようなことを……すみません、先輩。


「……」

「焼けたよ」

「あ、はい」

  

 ジューッといい音を立てるステーキを、フライパンのまま先輩が運んできた。


 そしてテーブルにあった鍋置きにのせる。

 随分とうまそうに焼けている。

 ステーキは焦がさないんだなと、変なところに感心していると先輩が、「食べて」と。


「え? 先輩が食べるんじゃないんですか?」

「私? お腹空いてないからいい。食べて」

「で、でも」

「いらないの? 美味しそうじゃない?」

「……いただきます」


 正直、お腹は空いていない。

 それに、まさか俺のために作ってくれていたとも思わなかったので呆気に取られた形だ。


 しかし、どうして先輩は急に俺のためにステーキなんか……もしかして、俺がテレビを見てうまそうだって言ったから?


 だとしたら…-俺を喜ばそうとしてってこと、なのか?

 いやいや、それはさすがにプラス思考が過ぎるだろうけど。

 でも、俺のために作ってくれたものをたべないわけにはいかない。


「いただきます」


 用意されたナイフとフォークでステーキをカットしてそのまま一口。


「……うまい」


 ちょうどいい塩加減と焼き具合。

 お腹いっぱいだったはずなのに、白ごはんが欲しくなるおいしさだ。


「美味しい?」

「は、はい。美味しいです!」

「そ。ならたくさん食べて」


 先輩は立ち上がると、そのまま部屋を出て行った。


 そして一人残された俺は黙々とステーキを食べる。


 うまい。

 その前に食べたものが本当に先輩の料理だったのかと疑いたくなるほど、うまい。


 しかしお腹がいっぱいだ。

 脂っこいし、普段から少食な俺には夜食にステーキなんてやはり多すぎる。


 けど、食べないと。

 先輩はきっと、今日一日のお礼のつもりでこれを一生懸命作ってくれたんだから。


「……うぷっ」


 ただ、気持ちだけでは体はついてこない。


 無理やり口に肉を頬張ってなんとかフライパンを空にした。


 が、そこで俺は力尽きる。


 満腹による眠気と、胃もたれによる気分の悪さが混ざり合って、そのまま仰向けに倒れると、白い天井を見上げながら視界がぼやけてくる。


 薄れゆく意識の中でチラッと時計を見ると、時刻はもう夜の十一時。


 こんな時間まで起きていたのも久々だったからか、現時刻を自覚すると眠気が急に襲ってきた。


 先輩の部屋で片付けもせずに食い散らかして眠るなんて愚行だけはしてはいけないと、なんとか体を起こそうとするもどうにもならず。


 俺はそのままゆっくりと、目を閉じた。



「……きゅん」


 寝ちゃった。

 染谷君が、寝ちゃった。


 お腹いっぱいで眠っちゃった。

 可愛い。

 無邪気。

 こういう姿を私、見たかった。


 いつも私のためにいい格好をしようと頑張ってくれてたのもよかったけど、私にしか見せない姿ってものを見たかった。


 お腹いっぱいで眠る彼の寝顔、いい。


 美味しそう。

 朝から何も食べていないのに、すごく満たされた気分。


「ふふっ、夜は長いからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る