まだ今日は終わらない


「……」


 お風呂から出て、部屋に戻ると先輩は静かに頷いて、部屋を出て行った。


 貸してくれた部屋着がちょうどいいサイズだったからなんとなく頷いたのか、それともちゃんと俺が服を着て出てきたから納得したのかはわからないけど。


 もっとわからないことが今、起こっている。

 おれを部屋に置いて先輩は、あろうことか風呂に入ってしまったのだ。


 もちろん覗いたりしていない。

 でも、部屋からでもシャワーの音とかが聞こえてくるので、先輩が風呂に入ったのだとわかる。


 俺は部屋で一人待たされながら、時々聞こえる風呂場の音にソワソワしているところ。


「……どうなってんだよ、これ」


 このまま待っていれば、風呂上がりの先輩が出てくるのは間違いない。


 間違っても裸で、なんてことはないにしても。


 濡れた髪の、湯上がりの先輩を見られるなんて興奮して頭の血管が切れてしまいそうだ。

 ……想像したらのぼせてきた。

 興奮したら鼻血が出そうになるのって、本当なんだな。


「……あっ」


 悶々としていると、ざばっと風呂から先輩が出る音がした。


 まずいと思ったがもう遅い。

 この部屋から外に出るには廊下にでなければならず、そして脱衣所の前を通らなければならない。


 万が一、着替え途中の先輩と鉢合わせなんかしたら……嫌われるなんて騒ぎではない。


「……平常心だ、平常心」


 すう、はあ。

 何度か深呼吸をして気持ちを整える。


 そして、ペタペタと足音が聞こえ。


 部屋の扉が開く。


「あ」

「どうしたの?」

「い、いえ。なんでもないです」


 正直なところ、先輩の寝間着姿とかを想像していたのだけど、先輩は普通に白のTシャツにジーンズという、今からお出かけでもするかのような格好で出てきた上に、髪もきちんと乾いていた。


 風呂上がり、という感じがあまりしない。

 だから、さっきまでの広がった妄想も打ち消されて少し興奮が冷めかけていた、のだけど。


「染谷君」

「は、はい?」

「テレビ、つけていい?」

「え、ええ。いいですけど」

「そ。じゃあ」

「あ」


 隣に先輩が座ると、まるでここがお花畑にでも早変わりしたかのような、爽やかで甘い香りに包まれた。


 さっき借りた服の香りにも似ているけど、それがもっと濃くなったような感じで、冷静になりかけた頭がまたクラクラしてくる。


「染谷君」

「……」

「染谷君?」

「へ? あ、ああすみません、なんですか?」

「テレビ、普段はどんなの見るの? 男の子なら、野球とか?」

「ん、んーと……先輩は野球好きなんですか?」

「んーん、わかんない。運動、苦手だから」

「そうですか。俺もまあ……あんまり見ないかな」


 と、言っている間もずっとチャンネルを回している先輩は、料理番組のところで少し手が止まった。


 普段俺はこういうバラエティを見ないけど、先輩がもしかしたら興味があるのかもと思って、「これにしません?」と聞いてみた。



「料理、美味しそう?」

「え、ええ。それに、美味しそうですよ、これ」


 ちょうど焼けたステーキが画面に映った。

 率直にその感想を言うと、プツンとテレビの電源が切れた。


「あれ?」

「……私、でかけてくる」

「え、今からですか?」

「染谷君は待ってて」

「で、でももう夜ですよ?」

「待ってて」

「は、はい」


 先輩は、さっと立ち上がると足早に部屋を出ていった。


 そして少し強めに扉を閉めて、そのままどこかへ行ってしまった。



「……いじわる」


 私のご飯食べたのに。

 なのに、あんなステーキが美味しそうだなんて、ちょっとむかついちゃった。


 私だって、あれくらいできるのに。

 作ってたのが綺麗な女の人だったから、意地悪で言ったんだ。


 お肉、買ってこないと。

 あんなのを美味しそうって思われながら染谷君に一晩過ごさせたくないもん。

 

 私の料理で満たされて、眠ってほしいから。


 夜食はステーキ。

 せっかくお風呂入ったけど、いい。


 ステーキを食べてもらったらもう一度ちゃんと体を洗って、それから。


「……染谷君、意地悪したから私も逃がさないからね」


 

 

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