グツグツ

「……遅いな」


 先輩が部屋を出て行ってから早三十分は経った。


 俺はもちろん先輩の言いつけを守って部屋にいる。

 まあ、鍵もないし俺が勝手に出て行ったら開け放したままになってしまうし。


 それ以前に。


「靴、ないもんな」


 今日はどうやって帰ればいいのか。

 最悪裸足で帰るしかないな。


 先輩、途中で俺の靴を捨てたことに気づいてくれないかな。

 いや、無理だろうな。

 あんなに雑に、仕分けもせずに靴をぽいぽい捨てたんだし。


「はあ……なんか時間が経つのが遅いな」


 先輩といる時はあっという間なのに。

 先輩がいないと、本当に時が止まったようだ。


 早く帰ってきてくれないかなあ。

 どこで何してるんだろ……。




「お靴さん、バイバイ」


 アパートの下のゴミ捨て場に段ボールをぽいっと。


 これでもう、彼は帰れない。

 もちろん、帰さないよ。


「んー、それじゃ買い物いかないと」


 ゆっくりとスーパーへ向かう。

 その間、染谷君が部屋から逃げてないか何度も不安になるけど、靴がないからさすがに出て行ったりしないよねと、言い聞かせながら。


「染谷君……私、染谷君の気持ちに応えたい」


 こんなふうに誰かのことばかりを考えてしまうのは初めて。


 あんなふうに、誰かに毎日好きって言われたことなんてなかったから。


 もう、染谷君がいないとダメみたい。

 いないとダメ。

 明日もお休みだから、帰っちゃったらまた迎えにいかないといけないから。


 だから帰ったらダメ。

 いいつけ、ちゃんと守っててね。

 私、ノロマだから歩くの遅いし、買い物に時間もかかっちゃうけどちゃんと待っててね。


「でも、もしいなかったら……」


 そんなことはないと思うけど。

 もしも、万が一そんなことがあったら私……。


「染谷君も段ボールに詰めないと、ね」




「……はっ」

 

 うたた寝をしてしまっていた。

 そして、悪い夢を見たわけでもないが悪寒が走って目が覚めた。

 なんだろう、蒸し暑いくらいなのにめちゃくちゃ寒気が……。


「ただいま」

「あ……おかえりなさい、先輩」


 ブルっと身震いしたところで先輩が帰ってきた。

 

 手には買い物袋を下げている。

 段ボールは……当然だが持っていない。


「染谷君、退屈だった?」

「い、いえ。うとうとしてました」

「寝てていいのに」

「そんな、さすがに悪いですよ。ええと、それより」

「あ、夕食の献立はハンバーグにしたから。嫌い?」

「す、好きですよ」

「そ。なら、座って待ってて」


 先輩に言われるまま、俺は立ち上がりかけた腰をおろす。


 すると先輩は少しだけ満足そうに、笑った、気がした。


 気のせいだったのかもしれないけど、先輩が機嫌良さそうにしていたので俺は敢えて細かいことには触れず。


 窓の外を見ると、日が暮れかかっていた。

 門限とかがあるわけではない我が家だが、果たして俺はいつ帰れるのかと、そんな不安がよぎった。


 帰りたくないはずなのに。

 どこか、帰りたくても帰れないかもしれないなんて、そんなありもしない不安が、夕暮れと共に暗くなる部屋で俺を包んでいった。



「グツグツ……煮込みハンバーグ」


 グツグツ。 

 じっくり、煮込んだら美味しいんだよね。


 グツグツ。

 じっくり、今日はいっぱい時間があるもんね。


 今日……ううん、これからずっと。

 染谷君、ゆっくり二人の関係を育もうね。


 ちゃんとお部屋にいてくれたから。

 嬉しい。 

 私に気を遣って早く帰ろうとする思慮深いところも、優しい。


 でも、それは余計なお世話だから。

 早く帰るなんて、ダメだよ。


 じっくり、コトコト。

 このハンバーグみたいにゆっくり、じわじわと、でもしっかりと。


 私の熱であなたを、包みたい。


「ふふっ、もう一度寝ててもいいのに」


 そうしてくれたら私。


 いたずら、しちゃうのに。


 

 

 

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