きゅん
♤
「……」
この俺、染谷樹は氷女乃凍花先輩のことが大好きである。
だから当然、先輩の作る手料理なんかにも憧れていたし、その憧れの品が目の前にあるのだから心躍るはず、なのだけど。
「食べないの?」
「い、いえ……いただきます」
なんだろう、この料理は。
鳥につつかれまくったあとの目玉焼きみたいなのと、黒い汁、そして焦げ臭いパン。
何をどう、食べたらよいのか。
手が伸びない。
しかし、じっと先輩に見つめられると食べないわけにもいかない。
まずは……この黒い汁を飲んでみようか。
変な匂いは……しないけどちょっと焦げ臭い?
「……」
「どう? 美味しい?」
「え、ええと……はい、大丈夫です」
手料理に対して大丈夫だなんて、そんな毒見をした後のような感想を述べるのも失礼な話だろうが、しかし大丈夫という以外の感想はなかった。
まずくはない。
不思議と。
ただ、味がしない。
こんなに色が濃いのに味がしない。
視覚と味覚がマッチしないので、脳が混乱しそうになる。
「そ。なら、いっぱい食べてね」
「は、はい」
もちろんおかわりとはいかないが、出されたものはちゃんと綺麗にいただこうと、勇気を持って箸を出す。
次は目玉焼き。
すでに食い荒らされたように黄味がぶっつぶれたそれには塩胡椒がかかっている。
「……ん?」
「どうしたの? 美味しくない?」
「い、いえ。美味しい……」
料理は見た目ではないという話を時々聞くが、まさにこれがそうなのかもしれない。
ちょうどいい塩梅の味付けがクセになる。
ご飯がほしい。
なのになぜか白ごはんはない。
「美味しい? よかった、もう一枚焼く?」
「い、いえ大丈夫ですよ。朝はそんなにたくさん食べませんから」
「いらないの?」
「……じゃあ、おかわりを」
「うん、わかった」
先輩に悲しそうな顔をされて俺のこんにゃくみたいな意思は揺らぎ、そして折れ曲がる。
先輩は軽快に立ち上がってキッチンへ。
俺はその間に焦げ臭いパンを食べた。
もちろん焦げていた。
ぼろぼろと、噛む前から崩れていくそれはまるで、炭を食べているような感覚だった。
それに、何も塗っていない。
シンプルにまずかったが、何故かホッとしたのは見た目と味が一致したおかげなのかもしれない。
「……」
キッチンでもう一度目玉焼きを焼き始める先輩を俺は、じっと見つめていた。
料理は苦手なようだけど、それでも積極的に作ろうとしてくれるのは果たして、俺が片付けを手伝っているお礼のつもりなのだろうか。
それともただの練習台か、はたまた俺にこそ食べてほしいなんて……いや、それは考えすぎだろうけど。
でも、こうやって先輩が俺のために料理をしてくれる日がくるなんて夢のようだ。
味云々なんてどうにだってなるんだし、こうして二人っきりで休日に会えることがまず嬉しい。
この後は買い物、か。
先輩と買い物にいけるなんて、これまた夢のような話だけど。
先輩は俺のこと、どう思ってるんだろうなあ。
♡
「ドキドキ」
私の料理、美味しいって言ってくれた。
味噌汁も、お母さんに作った時は美味しくないって酷評されたけど今日はうまくできた。
目玉焼きも半熟でいい感じだったし、パンはこんがり焼き目がついてサクサクにしてみたの。
よかった、昨日ちゃんと練習して。
昨日は失敗しちゃったけど本番に強いよね、私って。
さっきみたいに、もう一度半熟に仕上げて染谷君に喜んでもらわないと。
私の料理以外食べたくないって、言わせたいな。
ご飯を食べてる彼の真剣そうな顔、とてもかっこよかったし。
「……きゅん」
胸がきゅんきゅんする。
これってもしかして……うん、そうなのかな。
私、どんどん彼に惹かれてる。
優しくて一途で、私を肯定してくれる彼といるのが心地いい。
早くお店開かないかなあ。
荷造りロープ買って雑誌を縛って……染谷君も縛っちゃったら……ううん、そんなことしなくても彼は逃げないものね。
必要なものを買ったらそのまま、スーパーにも行かないと。
お昼も私、張り切って作るから。
パスタなんかどうかしら。
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